リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

サンガーのブレイン・チャイルド

避妊ピルから中絶ピルへ

 避妊ピルはアメリカの産児調節運動家マーガレット・サンガーのブレイン・チャイルド(頭脳の申し子)と言われています。貧しい家庭の女性たちが多産に苦しむ姿を目の当たりにして、バース・コントロール運動にまい進するようになったサンガーは、薬を飲むだけで避妊できるようになることを夢見るようになりました。やがて家族計画協会の会長になった後年のサンガーは、科学者で亡き夫の莫大な資産を受け継いだ友人のキャサリン・マコーミックに経口避妊ピルの開発に出資させました。資金提供を受けた科学者たちは無事に経口避妊ピルの開発に成功し、アメリカではエノビッドという商品名で発売され、「毎日飲めば100%避妊に成功する薬」として脚光を浴び、一世を風靡しました。
 ほどなく当初の避妊ピルはホルモン量が多すぎて副作用が強いことが判明したのですが、女性たちはピルを諦めず、さらなる改良を求めました。現在では副作用の少ない低用量ピル、超低用量ピルが主流になっています。その後、避妊注射、肌に貼るパッチ、皮膚下に埋め込むインプラント、微量のホルモンを放出し続ける子宮内避妊具IUSなど、ホルモンの作用を利用した様々な避妊方法が開発されていきました。
 1988年、今回日本で承認申請が提出された「中絶薬」が世界で初めて中国とフランスで導入されました。この新たな「ピル」は避妊ピル以上の衝撃をもって受け止められました。中絶に反対する人々は必死にこの薬の問題性を突こうとしましたが、世界中の研究者たちがこの薬の安全性と有効性についてエビデンス(科学的証拠)を積み重ねていったのです。
 このように、海外では女性たちが自らの妊娠をコントロールする手段が次々と開発され、採り入れられていったのです。それと並行して、国連レベルでも女性の性と生殖の健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス&ライツ)の重要性を確認し、宣言に盛り込む動きが進んでいきました。
 1993年のウィーン人権会議では、「女性の権利は人権」であることが確認されました。この背景には、性暴力被害が女性に大きく偏っていることへの問題意識がありました。1994年にエジプトのカイロで開かれた国際人口開発会議では、国際文書で初めて「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」が提唱され、この理念が女性にとって特に重要であることが翌1995年に北京で開かれた第四回世界女性会議で確認されました。