リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

無痛分娩へのニーズをどうとらえるか

きくちさかえさんとの対話から

高名なバースエデュケータのきくちさかえさんから突然のお電話があり、少しお話ししました。せっかくなので話した内容を忘れないうちに、ここでシェアしておきます。
無痛分娩を望む女性と中絶を望む女性のニーズは、似たものだと思うかというご質問だったかと思います。いや、無痛分娩と中絶薬……という比較だったかもしれません。

それを考える前に、無痛分娩について、私は二つ問題を感じているとお話ししました。

一つ目は、出産や中絶が減っていくなかで収入を確保しようとして、多くの産婦人科医が急速に無痛分娩を導入しているという問題です。本当に女性のためなのか? 女性たちが無痛分娩に追いやられている(作られたニーズである)という側面はないのか? 

二つ目は、拙速な無痛分娩導入で、果たして本当に質のいい医療を提供できているのか? というのも、「無痛分娩にしたのに痛かった」という女性たちの声が、けっこう聞こえてくるからです。

お産そのものよりも前処置が激痛だったとか、無痛になっていたタイミングが陣痛とズレていたので意味がなかったとか、無痛にしたはずなのに結局ものすごく痛かっただとか……。海外の最新技術をちゃんと訓練し、習得して導入しているのだろうかと、首をひねらざるを得ません。

それでも「無痛分娩はやめた方がいい」とは思わないし、ニーズをもつ女性たちを否定する気もありません。そもそも「痛み」への耐性には個人差が大きいので、なおさらです。個人がニーズをもってしまうのはだれにも妨げられません。

出生前診断も、不妊治療も、しかりです。すでに存在している技術に対して欲望を抱いてしまうこと自体を否定することには意味はないし、かえって有害です。出生前診断を受ける人を「優生思想」だと決めつけて糾弾することには、強い違和感も抱きます。

ただし、その提供のされかたが商業主義的あるいは誘導的になっていないか、真に女性たちのために役立っているのかといった点には目配りしたいし、ニーズをもっている女性たちには、寄り添って、メリット/デメリットを一緒に見極めて、自分の意見はもっていたいし、必要だと思えば、自分の考えを伝えることもあるかもしれません。

先日、某政党の「女性の健康」の会議でちょっとだけ話す機会を与えられました。直前に話していらしたのはHPVワクチンの被害者の方で、自分のような被害者を出さないようにワクチン接種の勧奨を止めてほしいという陳情でした。身体のまひのために苦労されてきたこと、辛く苦しい経験をしてきたこと……なかでも、今も「時給200円で(障がい者用の)作業所で働くしかない」という下りには、ショックを受けました。

これは社会的に公正ではありません。ワクチン接種という公共のために必要な行為が原因で、被害を受けた人がいるのなら、国はもっと丁重に補償をしていかなければならない。きちんと補償をせず、障がいをもって生きることになってしまった人たちの人権を認めず、ウェルビーイングを高めることを国がやっていないから、こうして「自分のような被害者が二度と出ないように」と言わざるを得なくなるのだと。何につけても「被害者」に謝らず、被害を放置しているこの国の在り方に強い憤りを感じました。

なお、私の娘はちょうどHPVワクチンの副反応が問題になって厚労省が無料接種をやめてしまった時期に、思春期の始めに突入した世代です。私の周囲の医師たちも接種に反対していました。でも私は日本の医師たちの言い分も聞き、英語で情報も確認した結果、大枚はたいて娘にワクチンを接種させました。

その時に根拠にしたのは次の3点です。第1に、海外では日本のような副反応騒ぎは起きていなかったこと。第2に、こういうワクチンは確かに非常に少ない率かもしれないけど、激しい副反応が出てしまう人がいて、それをゼロにすることはほぼ不可能なこと。だけど、そのごくまれな例のためにワクチン接種を止めてしまうと、本来なら予防できた感染症がその社会集団の中で広まってしまうこと。つまり公共善の問題としてとらえれば、ワクチン接種は義務でもあるのです。第3に、娘が子宮頸がんにかかってしまったときに、取返しようのない後悔をするだろうという親としての心配です。

ARTで生まれてくる人が年間数万人、十数人に一人にもなっている今、試験管ベビーに反対していた時代のフェミニストとは、もはや違った違った時代にわたしたちは生きているのです。柔軟に、だけど基本的には「女性たちのために(もはやこの言説も古くなりつつありますが……とりあえず)」どうあればよいのか、という立場でものを考えていきたいです。

結論としては、無痛分娩へのニーズと中絶薬を求めるニーズとはかなり違うように思うのですが、それを考えるのはこの次にしましょう。仕事に戻らねば。