リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

指定医師のアンダーコントロールにある日本の中絶(4)

日本において「低用量ピル」の認可が何十年も進まなかったのも、緊急避妊薬の薬局販売がなかなか認められないのも、指定医師たちが強硬に反対してきたことが大きな要因になっている。海外の産婦人科医たちが、中絶合法化や中絶薬解禁に向けた運動で重要な役割を果たしてきたことと比べると、なぜこのように「女性たちに敵対する」ような態度になってしまったのかとため息が出る。しかし、歴史を振り返ると指定医師たちが女性たちの「味方」であった時期もある。1970年代、1980年代に、優生保護法から「経済条項」を削除して、実質上、中絶ができなくしようとする与党右派の法案に対して、女性と当時の日母の医師たちは結託して廃案に向けて運動を展開し、優生保護法改悪阻止を勝ち取ったのである。
 実は、その後、密かに指定医師の「裏切り」があった。昨年11月に論座に書いた通り、日本で開発されたプレグランディンという子宮収縮薬は、すでに1970年代後半に妊娠初期中絶について著しい成功を収めていた。その試験結果は、1982年にシンガポールで行われた国際学会で発表されている。この国際学会に参加した3人の日本人産婦人科医たち は、妊娠初期と妊娠中期両方の中絶に関する試験の結果を英語で発表していた 。
 ところが、同じ医師たちが日本語では中期中絶の結果しか報告せず 、1981年に小野薬品工業は妊娠初期のデータはないとして中期中絶専用薬として承認申請をしている。小野の担当者は、本当は初期中絶薬として出したかったとの本音を新聞記者に漏らしている。だが、中期だけであろうと承認されることを選んだのは、よほど指定医師たちからの圧力が強かったためだろう。その見返りに、薬の値段を高く設定したのではないかと、筆者は推測している。