リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

人権教育及び人権啓発の推進に関する法律

国の人権尊重義務、保護義務、充足義務は書いてない……

あまりにもミスリードだと思う。日本の「人権教育」……

人権教育及び人権啓発の推進に関する法律 | e-Gov法令検索

平成十二年法律第百四十七号
人権教育及び人権啓発の推進に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、人権の尊重の緊要性に関する認識の高まり、社会的身分、門地、人種、信条又は性別による不当な差別の発生等の人権侵害の現状その他人権の擁護に関する内外の情勢にかんがみ、人権教育及び人権啓発に関する施策の推進について、国、地方公共団体及び国民の責務を明らかにするとともに、必要な措置を定め、もって人権の擁護に資することを目的とする。


(定義)
第二条 この法律において、人権教育とは、人権尊重の精神の涵かん養を目的とする教育活動をいい、人権啓発とは、国民の間に人権尊重の理念を普及させ、及びそれに対する国民の理解を深めることを目的とする広報その他の啓発活動(人権教育を除く。)をいう。


(基本理念)
第三条 国及び地方公共団体が行う人権教育及び人権啓発は、学校、地域、家庭、職域その他の様々な場を通じて、国民が、その発達段階に応じ、人権尊重の理念に対する理解を深め、これを体得することができるよう、多様な機会の提供、効果的な手法の採用、国民の自主性の尊重及び実施機関の中立性の確保を旨として行われなければならない。


(国の責務)
第四条 国は、前条に定める人権教育及び人権啓発の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、人権教育及び人権啓発に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する。

藤田早苗著『武器としての国際人権』によると、

大阪市立大学(現在は大阪公立大所属)の阿久澤麻理子教授が1999年から2000年にかけて東京から福岡まで1736人の学校教員や社会教育の担当者を対象にアンケートしたところ、その多くが人権を思いやりなどの抽象的価値観と同一視していたという。(p.17)

政府は「人権=思いやり」というミスリーディングを広めているように思える。


人権を実現するために必要なのは「国家が義務を果たす」ことなのだ。


藤田早苗氏の著書からさらに引用すると……

人権について国連の人権高等弁務官事務所は次のように説明している。

 生まれてきた人間すべてに対して、その人が能力・可能性(potential)を発揮できるように、政府はそれを助ける義務がある。その助けを要求する権利が人権。人権は誰にでもある。

 つまり人権の実現には、政府が義務を遂行する必要があるのだ。
 その義務は三つある。


① 人がすることを尊重し、不当に制限しないこと:「尊重義務」(respect)。
② 人を虐待から守ること:「保護義務」(protect)
③ 人が能力を発揮できる条件を整えること:「充足義務」(fulfil)

2014年に発行された東京書籍の中学生教科書『新しい社会 公民』では、自由権社会権を次のようにそれぞれ説明している。

自由権:自由に生きる権利:わたしたちが個人として尊重され、人間らしく生きていくうえで、自由に行動することは欠かせません。このような自由を保障するのが自由権です。自由権は、近代における人権保障の中心であり、現在でも重要な権利です。国家が個人の自由を不当に侵害することは許されません。自由は「公共の福祉」のために制限されますが、その制限は本当に必要なときにしか認められません。また、独裁政権や軍事政権の国で見られるような、不当な逮捕や拷問、思想や意見の弾圧は決してあってはなりません。(p.48)

社会権社会権生存権:人々が人間らしく生きるために生活の基礎を保障するのが、社会権です。19世紀には、自由権の保障のもとで、経済活動がさかんになり、その結果、貧富の差が拡大しました。そこで、「人間に値する」生活を保障する社会権が登場しました。日本国憲法は、生存権、教区を受ける権利、勤労の権利、労働基本権を保障しています。

ご覧の通り、自由権については「国家の侵害は許されない」とありますが、社会権については「憲法が保障している」と書いてあるだけで、国家が国民の権利を保障する義務を負っていることが何も説明されていません。


この姿勢は一貫としているので、たまたまではないと思います。