リプロな日記

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「性教育」を毛嫌いする日本が抱えている大問題 :女性の権利に対する意識低下につながっている

性教育」を毛嫌いする日本が抱えている大問題
女性の権利に対する意識低下につながっている

toyokeizai.net

阿古 真理 : 作家・生活史研究家2022年06月20日

コピペします。

日本ではなぜ性教育が「危険視」されてしまうのか(写真:msv/PIXTA
 アメリカで中絶をめぐる激しい議論が巻き起こっている。きっかけとなったのは、人工中絶の権利を認めるアメリ最高裁の判決「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性があるという情報が漏えいしたことだ。近く最高裁の最終意見が出るとみられる中、アメリカでは著名人も巻き込んだ「プロチョイス(人工中絶擁護派)」と「プロライフ(中絶反対派)」の戦いが激しくなっている。
 一方、日本では人工中絶には配偶者の同意が必要とする母体保護法に対する批判が強まっている。アメリカを含む多くの国では、女性が妊娠、出産、中絶など性や子どもを産むことを選択・決定できる「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」が認められているが、日本ではまだこの意識は低いと言わざるをえない。
 アメリカでの論争はけっして日本人に関係がないことではない。本稿では日本でリプロダクティブ・ヘルス/ライツに対する理解や議論が深まらない理由が、性教育を毛嫌いする教育現場にある可能性について、作家の阿古真理氏が論じる。


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中絶に配偶者の同意なぜ必要?
 人工妊娠中絶ができる飲み薬2種類について、厚生労働省が「投薬や服薬には配偶者の同意が必要」という見解を5月17日の参議院厚生労働委員会で明らかにしたことに対し、批判が広がっている。

 これらの薬は、昨年12月にイギリスの製薬会社から日本での使用を認めるよう申請されている。日本では現状、中絶の方法は手術しかないが、すでに70以上の国と地域で経口中絶薬は承認されている。

 厚生労働省子ども家庭局母子保健課に発言の意図を問い合わせたところ、母体保護法に基づいたとのこと。法律を確認すると、第14条で、母体の健康を著しく害するおそれがある、あるいは暴行などで妊娠した場合は、「本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる」とある。

 ただし、「配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき、又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる」ともある。批判の焦点は、レイプその他で相手と連絡を取りたくない、相手がわからない場合もあるのに、なぜ配偶者の同意が必要と言うのか、ということにある。

 しかし、母体保護法はそういう場合の例外も、きちんと記している。発言とその内容に関する報道からは、その例外が見えにくい、あるいはそれ自体がきちんと周知されていないことが問題だったと言える。

 法律は時代に合わせて変えていける。今は、中絶の前提として、配偶者の同意が必要と、法律の条文の最初に書く必要があるかを考える時期なのではないだろうか。

 厚労省からは、「国民の価値観・家族観を注視しながら、今後も適切な運用を心がけていきます」という回答が得られた。問われているのは、私たち国民の価値観である。そこで、中絶の権利を含むリプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)とは何か、改めて考えてみたい。


性に関する意識や制度が遅れている日本
 自分の体は自分のモノ、とするリプロダクティブ・ライツは、1970年代のフェミニズム・ムーブメントのときから強く主張されている。1994年にカイロで開かれた国際人口開発会議で提唱されるなどした、国際的に確立した女性の権利である。

 日本では、生殖に関わる過程で健康な状態にあることを指す「リプロダクティブ・ヘルス」と組み合わせ、「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」という概念がよく使われる。2000年の男女共同参画基本計画で、このリプロダクティブ・ヘルス&ライツは、女性の人権の1つとしている。

 しかし、性に関する意識や制度が遅れがちな日本で、リプロダクティブ・ヘルス&ライツは本当に確立した権利になっているのだろうか。

 「中絶するかしないかは女性の権利で、この問題についてはちゃんと考えないといけないと思います」と話すのは、東京都足立区立中学校で保健体育教師として長年、性教育の授業に携わってきた樋上典子氏だ。

 「授業では、いい悪いは一切言いません。中絶するなら、母体保護指定医師がいる病院をちゃんと選ぶこと、初期のほうが体にもお財布にも負担がかからないという話はします」

 しかし、日本の教育現場では、中絶の権利以前の問題が山積している。学習指導要領が「妊娠の過程は扱わないものとする」と歯止め規定を設けてきたため、性交によって妊娠することを教えない学校が多いからだ。しかし、樋上氏は長年、性交によって妊娠することをきちんと教えている。段階を追って性は大切なこと、と男女共修の授業で教えているため、生徒たちは恥ずかしがらずに受け止めるという。

 樋上氏は、別の中学校の男性教師から「『なんで精子卵子がくっつくんですか』と聞かれて、『高校生になったら教わります』とごまかしてしまいました」と言われたことがある。しかし、高校でも"歯止め規定"は有効だ。

 樋上氏は関東学院大学でも非常勤講師として「性の健康学」を教えており、選択授業だが400人がオンラインで受講している。授業でアンケートを取ると、「性についてちゃんと学んでいない学生が多く、『男はこうあるべき』『女はこうあるべき』という考えが見え隠れすることがある。しかし、多くの学生が関心を持って履修してくれ、授業を受けることで変容することがうかがえる感想がたくさん届くので、うれしい」。

 恋愛が自分事として切実な大学生は、束縛しようとする相手にも合わせたいと考えがちだが、「中学生は恋愛経験が少なく、客観的な恋愛観を学ぶことができます。どっぷり恋愛に浸かる前に考えさせるのは、大切なことです」と語る。


授業で高校生カップルを想定した議論
 学校で性教育をきちんと教えなければ、妊娠するリスクも、そのリスクを避けるために避妊や中絶があることも教えられない。それゆえ、生活力もなくパートナーシップも十分に育めないまま妊娠すると、人生がゆがんでしまうこと、そして、それを防ぐにはリプロダクティブ・ヘルス&ライツが重要なこと、までたどり着けない。

 樋上氏は中学校で高校生のカップルを想定した授業で、セックスで妊娠したらどうするかを議論させ、最初と最後にアンケートを取る。高校生になるとセックスの体験者が増えるので友だちから相談されるかもしれない、と話すと生徒たちは真剣になる。議論でさんざん悩ませた後に、避妊と中絶の方法を伝えると、より深く理解すると言う。

 「コンドームは、けっこう皆知っていますね。低用量ピルも4、5年前は2割ぐらいしか知らなかったんですが、最近は報道が多いので知っている生徒が増えました。日本では手術で中絶することを知らない生徒が6割近くいます。手術可能な時期が限定されていることを知っている生徒になると、20%以下しかいない。私は必ず『時期があるんだ!』と強調します」

 授業前は、2人が合意すればセックスをしてもいいと思っていた生徒たちが、授業後は慎重に考えるようになる。正しい知識をもとに適切な性教育を行えば、生徒たちはちゃんと受け止めて考えるようになるのだ。

 「寝た子を起こすな、とよく言いますが、上手に起こしてあげることが大事。放置していたら、AVなどで学ぶしかない」と樋上氏。また、「授業で同級生たちの意見を聞くことは、教師が教えるより説得力を持って心に響く」と話す。


学習指導要領が肝心な点をぼかしてきた理由
 小中高校生に早いと考えるなら、いつなら教えても大丈夫なのだろうか。地方では、高校を卒業してからほどなく結婚する人もめずらしくない。社会人を全員集めて性教育を行うのもほぼ不可能だろう。リプロダクティブ・ヘルス&ライツを知っていようがいまいが、望まない妊娠をする、あるいは妊娠させるリスクに、子どもたちはさらされている。

 なぜ学習指導要領は、肝心な点をぼかしてきたのか。性教育の歩みを確認してみよう。樋上氏は40年ほどの教員生活の中で、性教育の変化のただなかにいた。

 1980年代後半、HIVの世界的な感染拡大を背景に、性教育ブームが起こる。足立区では、性交を含めた授業を小中学校連携でどのように進めるか検討する、性教育資料作成委員会が結成された。1992年には小学校でも保健の教科書ができ、性に関する指導が盛り込まれるなどしたことから、「性教育元年」と言われた。

 ところが、2000年頃からバックラッシュが始まり、性交を教えることへの批判が起こる。2001年に母子衛生研究会が作成した中学生向けの教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』は翌年、自民党山谷えり子衆議院議員(現在は参議院議員)が国会で「行き過ぎたジェンダーフリー教育」と批判し、全国でテキストを回収するきっかけを作った。その翌年には東京都立七生養護学校(現東京都立七生特別支援学校)の性教育が、古賀俊昭東京都議などから批判され、教員が処分される。

 この影響で、「私も何度か教育委員会に呼ばれ、危険な性教育をしないよう言われました。一緒に実践を検討してきた指導主事に言われたときはさすがに驚き、怒りがこみ上げました。でも、指導主事も立場上、苦しかったでしょうね」と、樋上氏は明かす。学校現場が萎縮していった様子が、こうした話からうかがえる。

 七生養護学校事件は裁判になり、2013年に最高裁で原告側が全面勝訴している。そのあたりから風向きが変わり始めた、と樋上教諭は感じている。

 2015年、文科省主催で行われた性に関する学習の講習会を受講したところ、あおもり女性ヘルスケア研究所所長で産婦人科医の蓮尾豊氏がピルについてパンフレットに書いていたので驚き、「先生は中学生に避妊・中絶について教えることをどう思いますか」と手を挙げて質問したところ、「絶対に必要です」と断言された。そこで、仲間や校長に「文科省が変わった!」と資料を送った。

 2018年には、再び古賀都議が性交を教える樋上教諭らの教育を問題視し、都教育委員会が足立区教育委員会に介入するなどしたことが、朝日新聞などで大きく報道された。この事件はしかし、メディアが大きく報じたことで、現状の性教育の不足についての関心を高める結果になった。#Me Too運動が盛り上がり、性の問題に対する関心度が高い時期になっていた。

 樋上氏がバックラッシュの時代でも、正面から性に向き合う教育を行ってこられたのは、周囲の理解があり、仲間がいたことが大きい。バッシング前によく授業の見学に来た校長は、「性に対する考え方が変わった。子どもたちにとって、絶対に必要な授業だ」と称賛し、教育委員会にも見学に来てもらうなどしていた。

 樋上氏の中学校の性教育プログラムは、授業見学に来た教師たちから称賛はされるが、歯止め規定の影響で実施は広がらない。公務員のままでは声も上げられない、と正規職員の立場を今春、樋上氏は手放した。世の中を変えるために、仲間と作った性教育の本を7月に刊行し、そうした性教育を広げる活動をしようと考えている。

 来年度には、性暴力根絶を目的とした文科省のプログラム「生命(いのち)の安全教育」が全国の学校で行われるようになるが、ここでも性交については記されていない。

 「なぜ性器が大事なのか、なぜ無断で人の体を触ることがいけないのか、という科学的なことを伝えないで、『守りましょう』だけでは、子どもたちへの説得力に欠けるのではないでしょうか」と樋上氏は批判する。

 このままではいけない、と危機感を持った人々が近年、家庭向けの性教育本を次々と刊行している。しかし、それだけでは一部の人しか、子どもへの伝え方を学ぶことはできない。学習指導要領で性をきちんと学校で教えることを妨げるのは、日本が1994年に批准した子どもの権利条約が定める、子どもが学ぶ権利とあらゆる暴力・虐待・搾取から守られる権利を守っていないことになるのではないか。


性についてわからなければ権利もわからない
 性交をきちんと教えなければ、リプロダクティブ・ヘルス&ライツについて、理解することもできない。性教育をきちんと受けられなかった大人たちは、性が豊かな人生と人間関係を育てるものだと理解できていないのかもしれない。

 「配偶者の同意が必要」といった、女性の自分の体に対する権利を侵害する言葉に敏感に反応する世論からは、リプロダクティブ・ヘルス&ライツに関する知識があり、人権意識が高い人たちが増えたことが見えてくる。

 同時にその反応からは、まだ女性の体を「子どもを産む器」とみなす人がたくさんいることもうかがわせる。何しろ、性交についてすら、教育現場で教えられない期間が長いのだから。性交も学ばず、宿した命を奪うかどうかという決断をする重みを考えることは難しいだろう。

産む、産まないについては、一緒に生きている、あるいはその予定のパートナーがいる場合は、2人で話し合って決める必要がもちろんある。しかし、そういう相手の子でない場合は、本人に決める権利がある。

 先進国の大半は、日本と違って性交を含めた包括的性教育を実践している。性についてきちんと知ることもできず、リプロダクティブ・ヘルス&ライツに関する知識も身に着かなければ、本当の意味で豊かな人生を送ることはできないだろう。

「中絶」がタブー視される日本人女性の気の毒さ:中絶がいまだに「罪」とされるのはなぜなのか

東洋経済オンライン

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レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員2022年06月20日


 1949年に認められるようになってから、日本では1日約400件の中絶が行われています(写真:mits/PIXTA
アメリカで中絶をめぐる激しい議論が巻き起こっている。きっかけとなったのは、人工中絶の権利を認めるアメリ最高裁の判決「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性があるという情報が漏えいしたことだ。近く最高裁の最終意見が出るとみられる中、アメリカでは著名人も巻き込んだ「プロチョイス(人工中絶擁護派)」と「プロライフ(中絶反対派)」の戦いが激しくなっている。
 一方、日本では人工中絶には配偶者の同意が必要とする母体保護法に対する批判が強まっている。アメリカを含む多くの国では、女性が妊娠、出産、中絶など性や子どもを産むことを選択・決定できる「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」が認められているが、日本ではまだこの意識は低いと言わざるをえない。
 アメリカでの論争はけっして日本人に関係がないことではない。本稿では日本における中絶に関する問題点を日本に長く住むフランス人ジャーナリスト、レジス・アルノー氏が指摘する。


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日本で中絶はめずらしくない


 アメリカではついに中絶が違法になるのだろうかーー。日本でもアメリカの女性が中絶する権利に関するアメリ最高裁の画期的な判決である「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性が注目を集めている。

 現在、ワシントンで行われている裁判官の議論は注視されている一方、日本では、日本国内での女性の中絶について活発な議論が行われていないように感じる。だが近年、女性が自身の身体の生殖に関する機能をコントロールできるようになったことほど、男性にとっても女性にとっても重要な問題はないのではないだろうか。

 日本人にとって「中絶」は交通事故のようにめずらしいことだと思われるかもしれない。だが、これはけっしてめずらしいことではない。1949年に中絶が認められるようになってから、現在では1日に約400件の中絶が行われている。

 つまり、出生100に対して、15件の中絶が行われている、という割合だ。1950年から2020年の間に、日本では3900万件の人工妊娠中絶が行われており、「めずらしい」とは言えない。

 だが、これだけ中絶が広範に行われているにもかかわらず、日本における中絶の位置づけは屈辱的なものだ。中絶は1880年に「堕胎の罪」が刑法で定められて以来、犯罪とされてきた。女性には1年以下の懲役、医師には3月以上5年以下の懲役が科せられうる。

 しかし同時に、1948年、戦争で疲弊した日本があまりに多くの子どもを育てる余裕がなかった時代に、過剰な出生を制限するために、一定の条件の下で許可されるようになった。つまり、「身体的又は経済的な理由」による中絶を認めたのである。


「二重の道徳的負担」を妊婦に強いている
 だが、今この世の中で「経済的な理由」による犯罪が許されるだろうか。そんなことを支持する国会議員がいるだろうか。にもかかわらず、多くの女性、そして男性に影響を与える非理論的な議論の矛盾を取り上げる議員はいない。進歩的だと思われていた野田聖子氏でさえ、筆者が直接「中絶は非犯罪化されるべきか」と尋ねたところ、その考えを支持しなかった。

 作家のアレクサンドル・デュマは、『モンソローの奥方(原題:La dame de Montsoreau)』の中で、宗教上魚を食べるように命じられている金曜日に、鶏肉を食べるために鶏に「鯉」の洗礼を施す神父を登場させたことで知られている。日本の中絶のスタンスは、禁止としながら、一方では許容していて、デュマの小説の鶏でありながら、鯉と扱われるのに少し似ている。

 日本では結局のところ、女性の中絶を認めているため、「大きな悪」には見えないかもしれない。だが、こうした「偽善」は妊婦に二重の道徳的負担を強いることになる。女性自らによる「産む・産まない」という選択が認められていないため、女性は堕胎という「罪」を犯すための言い訳を「でっちあげ」なければならない。

 「堕胎は、本当は罪である」「自分は罪を犯している」といった罪悪感が、この問題をタブー化させ、女性たちがオープンに議論することを妨げてきたように見える。

 この「産む・産まない」という選択は、女性のセクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)=SRHRに基づくものだ。しかし、日本では、この用語が定着しているとはとても言えない。実際、「堕胎の罪」が「身体的・経済的理由がある場合のみ」問われないという法制度の下で生きる日本の女性には、SRHRが認められているとはおよそ言えないだろう。

 中絶には「夫」の書面による同意が必要(未婚の女性にはその負担がない)であることからも、中絶制度はさらに不条理であることがわかる。このような要求は、出産に関して男性と女性が完全に同調していないという事実をないがしろにしている。日本以外の国で中絶に配偶者の同意が必要としているのは、インドネシアやシリア、モロッコサウジアラビアなど10カ国だけである。


妊娠や中絶は当事者だけの選択
 男性は、物理的には15歳から65歳まで半日ごとに女性を妊娠させることができる一方、女性は自らが妊娠しなければならず、その期間は9カ月にも及ぶ。しかも、女性が一生の内で妊娠できる期間は男性よりはるかに短い(女性の妊娠可能性は35歳で急激に低下する)。

 少なくない数の女性が自らのキャリアが積み上がっていたタイミングで妊娠する。そのため、女性の責任は男性よりもずっと重く、本来であれば妊娠や中絶は当事者だけの選択であるべきなのだ。厚労省は性暴力を受けた女性の中絶など相手から同意が得られない状況においては「同意は不要」との見解を示しているものの、病院によっては中絶が受け入れられない場合すらある。

 また、人工中絶を行う場合、少なくとも母体への精神的・肉体的ダメージは最小限にとどめるべきである。海外では何十年も前から、子宮に器具を入れて掻き出す掻爬(そうは)法など時代遅れな方法ではなく、ミフェプリストン(および入手可能な場合はミソプロストールと組み合わせて)という経口中絶薬を服用する方法が用いられてきた。

 フランスはミフェプリストンを1988年に認可している。中国も1988年で、チュニジアは2001年に、アルメニアは2007年に認可している。ウズベキスタンでも処方されているが、日本の女性にはまだ処方されていない。

 また、産婦人科医は多くの国では女性が助けを求める存在だが、日本ではむしろその存在が足かせになっている。実際、彼らは、中絶薬を阻止するか、女性にできるだけ多くの薬代を請求しようと闘っている。

 日本産婦人科医会の木下勝之会長(当時)はNHKの番組で、「臨床試験の結果、安全だと判断されれば、日本は中絶薬の導入は仕方がない」としながら、「この薬で中絶が簡単にできると思われないか心配している」「相応の管理料が必要」などとして中絶薬の値段を手術の値段(10万円くらい)に合わせるのが望ましいと語った。

 同会長は、医者というより、石油会社の社長のようだ。彼にとって子宮はお金を搾り取る場所であって、女性の体の一部ではないのだ。WHOによれば、経口中絶薬の平均の値段は740円。木下氏は、恥知らずにもその135倍の値段が相当だと主張している。


世界からもだいぶ遅れている
 ヒポクラテスの誓いの最初の1行で2400年も前から謳われている、患者を癒やすという職業をあからさまに裏切る医師に、日本の女性はいつまで耐えるべきなのだろうか。日本人はこれ以上、こうした不適切な現状を許すべきではない。政府は、薬による中絶を許可するために、再度、「夫」の同意を求めることを考えているようだが、先進国で女性にそのような要件を課している国はない。

 フランスでは、1975年以降、男性98%の国民議会の投票による法律で中絶が認められている。1982年から社会保険から一部還付され、2013年から全額還付されている。日本の女性も男性も、フランス、中国、スウェーデンウズベキスタンと同じように、女性のSRHRへの基本的なアクセスを求めるために立ち上がる時が来ているのだ。

1世紀以上も「子宮内容除去術」を行ってきた日本

戦前の日本婦人科学会雑誌と戦後直後の日本産科婦人科学会雑誌を読んで見えてきた


日本の中絶医療の「常識」はあまりにも海外と違っていて、びっくりさせられることが多いのですが、今回気づいた「事実」もショッキングでした😱


海外のD&Cは妊娠のごく早期に子宮内膜を搔き取る


日本の「搔爬」は、妊娠産物がつまみ出せる大きさになってから鉗子でつまみ出し、子宮内膜を搔き取る…


だから私の中絶も先送りされたのだ……😭


中絶で小さすぎると「取り残すことがある」という医師の言葉を、わたしはキュレットの先端が小さいから引っかからないという意味かと解釈してきたけど……


吸引だったら妊娠4-5週で終わらせられるのに、わざわざ大きくしておいて「鉗子でつまめる」ようになるまで待つという意味だったらしい💢……


海外の中絶医療は19世紀の終わりに器具中絶が登場する第一次革命があり、1970年前後に吸引が広まる第二次革命があった


1980年代終わりには中絶薬が登場する第三次革命を経過し今がある


しかし、日本の中絶医療は第一次革命止まり


しかも海外とは違う形の器具中絶が今も行われている……100年以上も😡

中絶禁止法が浮き彫りにする「母親ペナルティ(motherhood penalty)」とは

*Bazaar 2022/06/11

安全で合法的な中絶手術を禁止する法律は、出産や育児における男女格差を加速させる

By Marie-Claire Chappet

 米最高裁がまとめた、中絶に関する文書がリークされ波紋が広がっている。1973年に人工妊娠中絶を女性の権利として認めた「ロー対ウェイド事件」の判決を覆す内容の草案が報じられたのだ。この判決が覆されれば、アメリカの多くの州で人工妊娠中絶手術が違法になる可能性がある。

 中絶は、倫理的、宗教的、政治的、そしてジェンダー的な立場の違いから、様々な意見の衝突を生んでいるトピックの一つ。ただ一つ言えることは、女性の身体に関する重大な決定事項であるということである。

 男性議員が女性の身体に関するルールを決める、という不公平に焦点が当てられがちだが、この問題がはらむ不公平は根深い。中絶の定義や賛否両論以前に、男女の育児格差という点で明らかな不公平を生んでいる。出産や育児によって女性が被る不利益のことを「母親ペナルティ(motherhood penalty)」と呼ぶが、中絶の禁止はその最たるものではないか。中絶の権利を侵害し、妊娠を強制することは、非常に残酷な行為である。

 「母親ペナルティ」は、日常にありふれている。子どもを産まなければならないという社会的な圧力があり、産まなかったり産まないことを決めたりすると、普通ではないと思われたり、同情されたりする。子どもを作ると決めた場合にもシビアな影響がある。英国では、年間54,000人の女性が妊娠しただけで職を失い、年間39万人の働く母親が、職場で否定的で差別的な扱いを受けているという。給与についても、2人の子どもを持つ女性の週給(中央値)は、子どものいない女性より26.1%低い。対照的に、子どものいる男性の週給(中央値)は、子どものいない男性より21.8%高いという。依然として子育てのメインは女性とみなされているのだ。

 父親になることは選択肢の一つとして扱われるのに対し、母親になることは”生まれながらの権利”として扱われている

 出産や育児と同様に、中絶においても、男性が不利益を被る「父親ペナルティ」の概念はない。父親になりたくなければ、男性は物理的に自由に立ち去ることができる。この決断によって恥をかくことも罪に問われることもない。しかし、女性にはそのような自由はない。

 安全で合法的な中絶手術を禁止する法律のもとでは、多くの女性にとって、母親になることは事実上避けられないことになる。男性と違って女性は、本人が希望するかどうかに関わらず、“母親になること”を人生を通して刷り込まれている。幼少期に人形やベビーカーで遊ぶことを覚え、10代で安全な性行為について講義を受け、私たちは何年にもわたってこのイデオロギーを叩き込まれてきた。人生のあらゆる場面で、自分は単なる女性ではなく、出産を待つ母親であり、シングルであることのリスクを認識させられるのだ。私たちはプラスチック製の赤ん坊の世話や、10代での妊娠という恐ろしい事態に対する責任を負っているが、男性にはそのような試練は与えられない。父親になることは男性にとって選択肢の一つとして扱われるのに対し、母親になることは、女性の“生まれながらの権利”として扱われているのだ。

 「母親ペナルティ」からの解放は困難だ。私たちは子供を産まないことを非難され、産んだら産んだで不利益を被る、という二重苦のなかで生きている。「母」と「女」を切り離せない社会においては、中絶によって子供を産まないという決断は、許されないことのようだ。これまで何十年にも渡り、女性の目的は母親になることとされてきた概念を覆すため、多くの女性が努力してきた。その努力ですら、子育てと同様に、女性が不当に担ってきた仕事であるが、このように私たちの身体の自己決定権を奪うことは、これまでの努力に対する冒涜であり究極の“ペナルティ”である。

 子供を産まないことを非難され、産んだら産んだで不利益を被る、という二重苦のなかで生きている

 中絶に反対することがミソジニー(女性蔑視)的な行為であるとされるのは、このような理由からである。意思に反して、妊娠や出産という危険で重大な経験を強いられるのは恐ろしいことである。私たちはまるで、意志を持った人間ではなく、新たな生命をのための単なる保管庫だ。ただ、中絶反対論者にとって貴重なその“生命”も、いつか中絶を望む女性に育つかもしれないと考えると皮肉としか言いようがない。

 なぜなら女性として生まれる限り、中絶の禁止があろうとなかろうと、「母親ペナルティ」を強いられることには変わりがないからだ。 その社会のなかで、彼女らが積極的に子供を産みたいと思うかどうか、疑問に思わずにはいられないのだ。

※この記事はUK版『ハーパーズ バザー』が2022年5月10日に公開した記事を抄訳したものです。

Translation: Tomoko Takahashi From Harper's BAZAAR UK

人工妊娠中絶を巡る米国の歴史 再び違法になるのか?

ナショナルジオグラフィック 2022年6月15日 5:00

www.nikkei.com

写真はキャプションのみ紹介:この写真で患者を診察する外科医のジョージ・T・ストローザー(右)は、1954年にバージニア州法に違反して人工妊娠中絶を行った罪で逮捕された。(BETTMANN, GETTY IMAGES)


 米国で人工妊娠中絶をめぐる問題が再び激しい議論を巻き起こしている。女性が中絶を選択する権利を認めた過去の連邦最高裁判所による判断が覆される可能性が出てきたのだ。

 米国では、1973年の「ロウ対ウェイド」裁判により中絶の権利が認められているが、現在の最高裁がこれを覆す方針であることを示す意見書がメディアに流出した。この草稿を執筆したサミュエル・アリート最高裁副長官は、一部の歴史家の著作を引用し、中絶の権利は米国の「歴史にも伝統にも」根差していないと結論付けた。

 しかし、問題はその歴史観だ。解釈は多少異なるものの、人工妊娠中絶の歴史を研究したことのあるほとんどの学者は、妊娠を意図的に終わらせる行為が必ずしも過去に違法だったわけではなく、論争的ですらなかったと主張している。こうした学者の意見とともに、米国における長く複雑な人工妊娠中絶の歴史を振り返ってみよう。


胎児の形に切り抜いたプラカードを持って、ホワイトハウスから米議会議事堂までデモ行進する中絶反対者たち。(PHOTOGRAPH BY JEAN-LOUIS ATLAN, GETTY IMAGES)


法律制定以前、中絶は「ごく一般的だった」
 植民地時代から建国直後まで、中絶に関する法律は米国には一切存在していなかった。米オクラホマ大学法律大学院の法律史学者カーラ・スピバック氏は、2007年10月発行の学術誌「William & Mary Journal of Race, Gender, and Social Justice」のなかで、キリスト教会が中絶に関して快く思ってはいなかったものの、それはあくまで不道徳的な行為または婚前交渉の表れであるという見方をし、殺人とまではみなしていなかったと記述している。

 当時、妊娠初期での中絶はごく一般的だったと、米ケネソー州立大学の助教で女性の権利と公衆衛生の歴史家であるローレン・マカイバー・トンプソン氏は言う。

 妊娠検査の精度が低かった時代、胎動が感じられるようになる前の中絶は起訴されることも批判の対象になることもなかったと、多くの歴史家が指摘する。当時は、胎動だけが妊娠していることを示す唯一の証拠だった。初めての胎動は通常妊娠中期、遅くても20週頃までには感じられるようになる。胎児は、そこで初めて赤ちゃん、または人として認められていた。


どうやって中絶していたのか?
 この時代、妊娠の継続を望まない女性には様々な選択肢があった。自宅の菜園で普通に育てられている薬草を混ぜ合わせて摂取すると、当時の言葉で言う「障害物」を取り除き、生理を再開させることができたという。

 「誰にも知られることなく、女性が自分で決定することだったんです」と、マカイバー・トンプソン氏は言う。

 妊娠した女性は、助産師に相談したり、近くの薬局へ行って市販の中絶薬や洗浄器具を購入することもできた。1855年の家庭医学書には、子宮からの出血を起こさせる「通経薬」に関するページがあった。直接「妊娠」や「中絶」に言及したわけではなかったが、「子宮からの毎月の排出を促す」と書かれていた。

 女性が妊娠中絶を選択する理由は様々あるが、効果的な避妊法がなかったこと、未婚者の出産に対する社会の目、出産の危険性などが主な理由だった。1835年、米国の出生率は高く、平均的な女性の出産回数は6回を超えていたものの、多くの女性はその回数を低く抑えたいと思っていた。

 現代医学が発達する前、出産が女性に大きな危険を及ぼすことは、広く認識されていた。歴史家のジュディス・ワルツァー・リービット氏は、1986年の学術誌「Feminist Studeis」で、「たとえ出産を乗り越えたとしても、それによって受けたダメージで一生苦しむかもしれないことを、女性たちは理解していた」と指摘している。

 こうしたことから、意図的に妊娠を終わらせることはごく一般的に行われていた。19世紀の妊娠のうち35%は中絶で終わっていたという推定もある。


全米の州で中絶が合法化されるきっかけとなったロウ対ウェイド裁判の原告女性ノーマ・マコービー(撮影当時35歳)。裁判では、ジェーン・ロウという匿名を使用していた。(PHOTOGRAPH BY BILL JANSCHA, ASSOCIATED PRESS)


 ただし、奴隷の妊娠中絶は厳しく制限されていた。生まれた子は所有物とみなされていたためだ。歴史家のリーシー・M・ペリン氏は、2001年8月の学術誌「Journal of American Studies」に掲載された論文で、奴隷所有者は自分の奴隷が勝手に中絶しないかどうか疑心暗鬼になっていたと書いている。なかには、自己堕胎を疑われて部屋に監禁された奴隷もいたという。綿の根を噛んだり、テレビン油を飲んで中絶を試みた奴隷女性もいた。

 一方、中流から上流階級の白人女性は有利な状況にあった。19世紀の米国では、男女の社会的な役割分担がはっきりとなされており、妊娠、出産、生殖管理に関する知識は、医師ではなく女性から女性へと伝えられていた。「自分の生殖に関することは、自分のなかだけで決定することができたのです」と、マカイバー・トンプソン氏は言う。


 「1982年には、流産した女性が殺人罪で起訴されるようになるかもしれません。中絶は政治ではなく個人の問題です」。1980年、人間の生命は受精時に始まるとする法案が米議会上院に提出されたことに反対して、中絶権利擁護団体「プランド・ペアレントフッド」が作成した広告。ロウ対ウェイド裁判以来、中絶反対者は、憲法改正やその他の法制化によってこの判決を覆そうと働きかけてきた。(BRIDGEMAN IMAGES)
中絶が犯罪に
 しかし、それは徐々に変化し、州の法律で人工妊娠中絶を禁止しようとする動きが出始める。その多くは、無規制だった市販の中絶薬や、胎動が感じられた後の中絶に関するものだった。1821年に初めてこれを条文化したコネティカット州は、「胎動初覚後の女性の流産」を引き起こす目的で、毒もしくは「その他の有害で破壊的薬物」を提供または摂取した者は処罰されるとしていた。

 19世紀半ばに医師の職業化が進むと、女性の生殖周期のケアは女性の助産師ではなく男性の医師に任せるべきであるとする声が、医師たちの間で高まった。それとともに、妊娠中絶への批判も始まった。

 その先鋒(せんぽう)に立ったのが、ホレシオ・ストラーという婦人科医だった。中絶は犯罪行為であると考えていたストラーは、1857年に米国医師会に加入して1年も経たないうちに、反中絶の立場をとるよう医師会に強く働きかけた。また、仲間の医師たちを集めて「中絶に反対する医師の会」を立ち上げた。医師たちが公に意見を述べるようになったことで、中絶を犯罪行為とする法律が次々に成立した。

 反対者にとって、中絶は道徳に反するだけでなく、社会悪でもあった。移民の流入、都市の拡大、奴隷制度の廃止で、白人は自分たちにとって好ましくない集団が多数派になることを恐れていた。そして、白人女性が国の将来を守るためにもっと子どもを産むべきだと主張するようになった。


中絶禁止の弊害
 米オレゴン大学の歴史学者ジェームズ・C・モーア氏は、『Abortion in America(アメリカの人工妊娠中絶)』と題された本のなかで、1900年までに米国は人工妊娠中絶に関する法律が一切なかった国から、正式に違法とされる国に変貌を遂げたと書いている。そのわずか10年後、全ての州が反中絶法を成立させていた。ただしその多くは、母体に危険がある場合を例外としていた。

 中絶に関して、以前なら普通に入手できたはずの情報を得ることも難しくなった。1873年に、わいせつ物を郵便で送ったり、州境を超えて運ぶことを違法とするコムストック法が施行されたが、そのわいせつ物には中絶や避妊に関する情報も含まれていた。


 1984年9月、中絶反対者とフェラーロ支持者が入り混じったボストンの演説会場。カトリック教徒だったフェラーロは、個人的には中絶に反対するが、他の国民にその考えを押し付けるつもりはないとの立場をとっていた。(PHOTOGRAPH BY SEAN KARDON, ASSOCIATED PRESS)
さらに、1906年の純正食品・薬品法によって、薬品名を改ざんした医薬品や体に有害な医薬品の製造・販売・輸送が禁じられた。こうして、安全な中絶の方法へのアクセスがますます困難になっていった。

 しかし、それで中絶を求める女性の数が減るわけではない。結果として、20世紀には未認可の医師による中絶行為が増加した。高額な費用を出すことのできる人々は、口コミでもぐりの中絶医を探し出す。お金がない女性は、昔ながらの薬草のレシピを試してみたり、漂白剤入りの洗剤で洗浄したり、果ては自分で胎児を取り除こうとしたりした。


1986年3月9日、米国の首都ワシントンDCでデモ行進する中絶権利の擁護者たち。女性が持つプラカードには「私は助産師で、中絶の権利を支持します」と書かれている。(PHOTOGRAPH BY ANN E. ZELLE, GETTY IMAGES)


 20世紀にどれくらいの女性が中絶を求めたのか、どれくらいが自己堕胎を試みたり、もぐりの中絶医による施術で死亡したかははっきりわかっていない。1942年、この問題に頭を悩ませていた米国勢局主任統計学者のハルバート・ダンは、正確な報告件数こそないものの、中絶は明らかに妊婦の死亡率を引き下げるうえで最大の障害となっていると書き残した。

現代まで続く論争
 1967年には、母体の健康が危険にさらされている場合と、性暴力の被害者を例外として、中絶は全ての州で重罪とされていた。

 しかし、流れが変わったのは1970年代に入ってからだった。多くの州が、中絶を違法とする法律の見直しを始めたり、規制を緩和し始めた。そして1973年、有名なロウ対ウェイド裁判と、知名度は低いものの同等に重要なドウ対ボルトン裁判の2つで、女性の中絶権を認める判決が下された。

 それ以来、米国ではこれらの判決が与えた影響をめぐる論争が続いている。判決から50年近くが経ち、今生きているほとんどの女性は、ロウ対ウェイド以前の世界を知らない。「ロウ対ウェイドは、中絶の安全性、有効性、アクセスのしやすさという点で米国の風景をがらりと変えました」と、マカイバー・トンプソン氏は言う。その風景は、ロウ対ウェイドが覆された後、どのように変わるのだろうか。これまでの歴史を見れば、その答えはわかるかもしれない。


文=ERIN BLAKEMORE/訳=ルーバー荒井ハンナ(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2022年5月26日公開)

Women’s embodied experiences of second trimester medical abortion

Sage publishing, Feminism and Psychology 2017

Women’s embodied experiences of second trimester medical abortion

要約を仮訳する。

薬による中絶を経験した女性たちの身体的経験

 一般的に中絶は、特に妊娠中絶は、多くの文脈で社会文化的な可視性が制限されている経験である。世界各地の妊娠中期中絶に関する研究は、中絶方法のリスクや受容性、中絶を求める女性の特徴や意思決定など、さまざまな関連要因に焦点をあててきた。これまでの研究は、女性の生活体験の観点から、妊娠中期中絶の身体性を適切に扱っておらず、また、これらの体験が中絶の将来の枠組みにどのような影響を与えるかもしれない。妊娠中期中絶の女性の身体的経験に対する理解を深めるために、私たちは、最近スコットランドで妊娠中期中絶を求めた18人の女性の証言を利用しています。彼女たちの経験の4つの側面を取り上げる:妊娠の後の認識、中絶に終わった妊娠第2期の経験、妊娠第2期の中絶の「陣痛」、そしてその後の身体の移行である。この論文には二つの重要な目的がある。第一に、これらの経験を可視化し、それらが支配的な妊娠に関する社会文化的物語とどのように関連するかを考察すること、第二に、それらを解釈するための一つの手段として「限界性」の概念を探求することである。私たちの発見は、妊娠中期中絶をめぐる今後の研究、政策、実践に情報を提供することに貢献する。また、中絶をめぐる沈黙を減らし、アクセスの公平性を向上させるための努力を継続する必要性を強調するものである。

FIGOの情報サイトGLOWMにある文書

忘備録

Surgical Techniques for First-Trimester Abortion
Borgatta, L, Kattan, D, et al, Glob. libr. women's med.,
(ISSN: 1756-2228) 2012; DOI 10.3843/GLOWM.1044


Dilatation and Curettage
Hulka, J, Glob. libr. women's med.,
(ISSN: 1756-2228) 2008; DOI 10.3843/GLOWM.10037


Second-Trimester Surgical Abortion
Hern, W, Glob. libr. women's med.,
(ISSN: 1756-2228) 2016; DOI 10.3843/GLOWM.10442