リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

……上記のとおり,論文一色になっていた生活を見直して,以前のように社会活動にも少し戻ろうとしているというわけだ。なお9月25日のコメントで,demianさんには他の言語のほうがよっぽど「地域の外国人」と交流するために役立つというご指摘を受けましたが,「なぜ英語か?」という話は,じつはわたしが何度も立ち返っているテーマなんだよね。今回のサークルの名前も「英語」をつけるかどうか,「グローバル」にするかどうかで迷ったけれど,結局「イングリッシュ」という言葉を選んだ。

コメント欄でのお返事につけ加えると,ひとつにはたぶん,わたしは単純に英語が好きなんだよね。そして,わたしが人様より少しはできて,なにかしら社会に還元できるものがあるとすれば,それくらいだから。(他の言語はできないし。)

おまけに「英語」と掲げることで関心をもってくれる人が増える。じつは「英語」は,「子どものため」と思って集まってくる母親同士を結ぶツールにもなるんです。母親たちの英語子育て熱はすごいから……それほど彼女たちはプレッシャーを感じている。「子どもの将来のために英語は必要」というプレッシャーに加えて,「自分がその環境を与えてやらなくっちゃ」というプレッシャーもある。一方には,「自分が果たせなかった夢」を子どもに期待するしかなくなるように,女性たちの能力を埋もれさせる社会の問題もある。

じつは……趣味と実益とを兼ねて,本当に子どもに英語を教え始めようかと,真剣に悩んでいる。論文をどうするか,ということも含めて,またしても,自分の生き方に関する大きな転機が再び訪れている。

もうちょっと若かったら,がむしゃらに研究職目指して頑張ってるかもしれないけれども……。

ところで,以前,子育て支援に関係していた頃にも「なぜ英語か」という問題に突き当たった。偶然知り合ったフィリピン人のママたちは,英語サークルに誘えたけれども,中国人ママなど,英語圏以外から来た女性たちが孤立しているという話は市の子育て支援課を通じて聞き知っていた。「英語」だけじゃダメだとは分かっていた。じつは,英語サークルを作るときにも,「英語」ではなく「ワールド」という言葉をつけることにこだわったのも,いずれは多言語で展開できないかとひそかに狙っていたからだ。

でも,わたし自身,赤ん坊を抱えて子育て支援ボランティア(+その頃関わっていた男性助産士反対運動)に奔走している毎日で,“地域の交流のために”複数の外国語を習うなんて時間も余裕もなかった。残念ながら,当時の子育て支援グループの仲間の中には,英語以外の外国語をしゃべれるママ友だちはいなかった。また一方で,日本に来ている外国人のほとんどが,むしろ共通語としての「日本語」のほうを知りたがっているという事実もあった。「日本語を教えることでコミュニケートできるようになる」ということを,あるボランティア・センターの方から示唆された。その頃,ママ友だちのひとりが手話を学び始めたのにも啓発された。おまけに,日本語ボランティアのセンターは,その時住んでいた家の斜め向かいにあった。そこで結局,時間を捻出すればどうにかなる!と,日本語教授法の勉強にも手を染めた……のだけれども,そのとたん,家族の都合で引っ越すことになってしまった。以来,日本語教授法も少しは知っておきたいなぁ……と思っている。だけど,今は環境的に無理。

それに,あっちもこっちもボランティアでは,とてもやっていけない。

本当にこの国で外国人や障害をもつ人との共生社会を実現しようというのなら,日本語教師や手話通訳などがきちんと職業として成り立つような制度が作られるべきだ。子育ても,高齢者介護も,病気や障害をもつ人の介護も,日本語教師も,なんもかんも「能力のある主婦」にボランティアでやらせようたって,そうはいかない。(そのつけが少子化である。)おまけに,もはや「妻は働きつづけるほうがいい」という男性が過半数を超える時代で,あれやこれやの家族的負担の上に,今度は生活費をきちんと稼ぐことまで,女たちは要求されている。女性が働きつづけていける(そして,買いたたかれない)ような社会にするには,リプロの負担を男性が相当に分かち合う必要があるというのは自明の理。

先日,カナダ人の英語の先生が「これを言うと日本人は怒るけど」という前置きつきで,「日本人は働き過ぎなのではない,オフィスに長くいすぎるだけだ」と言っていた。オフィスにいるというだけではなく,同僚とのつきあいに時間を割いているというのも加えれば,これはかなり当たっている指摘だと思う。男性労働者の育児時間取得が目標をはるかに下回っているのはなぜなのか。海外にくらべて日本人男性の家事・育児労働時間が極端に低いのはなぜなのか。その分,いったいだれが家事・育児労働をしているのか。それがどんな結末をもたらすかは火を見るより明らかなはずだ。

怒りで話が広がってしまった。ちょっと話を戻そう。

子どもに英語を教える仕事も,じつは「買いたたかれている」職業のひとつだと思ってはいる。それでも,何もないよりはマシだと思わされてしまう“現実”が悩ましい。客観的にみれば,もはやわたしは事務員のパートにさえ雇ってもらえない年齢だ。

学位を取ればどうにかなると言う人もいる。しかし,学位さえ取れば大学に勤められるというほど,現実は甘くない。子どもの年齢を考えると,単身赴任は避けたい。だけど今,暮らしているところから通える範囲内のポストの数はあまりにも限られている。

……そんな風に考えると,がむしゃらに学位を取る魅力がどんどん薄れていってしまうのだ。
リプロの研究は趣味の範疇にとどめて,もうひとつの趣味(?)である英語のほうで食べていくか?(いや,「家計の足しにする」がせいぜいだな。)

話があちこちに飛んでしまったかもしれない。結局,みんなこんがらがってつながっているのだ……悩ましい。