リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

昨日,わざわざ琵琶湖の向こうまで某社の児童英語教室のセミナーに出掛けていった。教室を開催するかしないか,まだ最終決定してはいないけれど,今さら後には引けないかなぁ……。ともかくもお仕事しなくっちゃとも思うから,まあ,やるだけやってみようかという気分が強い。(それに,新しいことをやるときの「わくわく」もある……ん〜,好奇心は猫をも殺すってか。)

でも,やるからには準備がたいへんになる。今日は,英語を学びたいという友人相手に,英語会話の体験レッスンを行なった。昨日の電車のなかの時間も使って準備したから,我ながらけっこういいレッスンができたと思うし,それなりに満足してもらえたようなんだけど,お金の話になったとたんに,なんとなく尻込みする気配が……自分もユーザーの立場だから*1,理解できるところもあるけれど,なかなか辛いものがある。わたしとしても,友人だと,通常料金を取りにくいし,レッスン後の「おしゃべり」を切り上げて帰ってもらうタイミングも難しいし……。

ただ,今日のレッスンを組み立ててみて,しみじみ思ったのは,「言葉を教える」ということは,文化を教えることでもあるし,自文化の見直しにもなる。さらには,ある種の自己点検にもつながっていくということ。「何のための英語(外国語)なのか」といういつもの問いも,また浮かんできてしまうし。

今までは,自分の娘について,「なぜこの子に英語を学ばせるのか」を考えていたけれど,他の子どもにも教えるとなると,それとはまた別の答えが必要になるだろう。ちゃんと自分の考えをまとめておかなくちゃ,と思う。

*1:最近,子どもに英語を教えてくれているネイティブの先生がたに,英語で苦情メールを出すことが何度もあった。高いお金を取っているくせに……と思うから,不本意なことをされるとなおさら腹が立つ……明日は我が身と思えばなおのこと,しっかりせねばと思うわけだが。