リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

自民党綱領の変遷

忘備録

自民党の立党宣言・綱領を見て、いくつか気づいたことを。
まず自民党綱領には、立党時のものと立党50年、立党55年の3種類がある。

立党時 1955年(昭和30年) 11月15日(立党宣言とする)党首 鳩山一郎
立党50年 2005年(平成17年) 11月22日(新綱領とする)党首 小泉純一郎
立党55年 2010年(平成22年) 1月24日(新・新綱領とする)党首 谷垣禎一民主党政権下、唯一の総理にならなかった自民党党首)
 ➡2012年(平成24年)党首安倍晋三 ➡12月 自民党政権奪取 第二次安倍内閣

これだけでも、立党以来50年間もそのままにしてきた綱領をなぜたった5年で新たに書き換えたのだろうと疑問が湧く。

そこでどう変わったのかを確認してみよう。

まず1955年の立党宣言を見てみよう。

政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。

大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。

われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。

われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。

右宣言する。

ここで「民主国家」「民主政治」という言葉が2回ずつ使われている。立党宣言には8回も言及されている「民主主義」が、新綱領では2回しか見当たらず(うち1回は「真の自由主義・民主主義」で性格が異なる可能性が疑われる)、新・新年綱領では皆無になる。同様に、立党宣言・綱領には10回言及されている「福祉」という言葉(うち2回は「公共の福祉」)は、新綱領、新・新綱領には全く出てこない。立党宣言では4回言及されている「人権」は、新綱領では1回限り、新・新綱領では皆無になる。

昭和30年11月15日

自由民主党結成
 先述のとおり、終戦後の十年間は、内外ともに苦難と激動と独立体制の基礎固めの時代であり、政界もまた、自由民主陣営、革新陣営を問わず大きく動揺を続けました。

 しかし、そのような環境の中で、国民も政治家も、実に多くのことを体験し、学びました。そして、やがてその貴重な体験と反省の中から、わが国が真に議会制民主政治を確立して、政局を安定させ、経済の飛躍的発展と福祉国家の建設をはかるためには、自由民主主義勢力が大同団結し、一方、社会党も一本となって現実的な社会党に脱皮し、二大政党による健全な議会政治の発展をはかる以外にない、という強い要望が国民の間にも、政治家の間にも芽生えてきたのでした。

 このような国民世論の強い要望と、自由民主主義政党内部での反省も加わって、「保守合同」への動きは、二十八年ごろから活発化したのですが、二十九年十一月の改進党と日本自由党の合同による「日本民主党」の結成を経て、三十年五月の民主・自由両党幹部会談、同年六月の鳩山民主・緒方自由両党総裁の党首会談から、本格的な自由民主勢力の合同への動きが始まったのです。

 とくに、この鳩山・緒方会談は、「保守勢力を結集し、政局を安定させる」ことで意見の一致をみた歴史的な会談でした。

 これをきっかけとして事態は急進展し、民主・自由両党から選出された政策委員会で、新党の「使命」「性格」「政綱」づくりの作業が進められる一方、新党組織委員会では、新党の基盤になる党組織の構造の研究が行われ、その成果にもとづいて広く国民に根をおろした近代的国民政党としての「組織要綱」、党の民主的運営を規定する「党規・党則」「宣伝広報のやり方」等の立案作業が行われました。

 やがて、これら新党の根幹となるべき「政策」「組織」の基本方針の策定が完了したので、十月には政策委員会も新党組織委員会も「新党結成準備会」に切りかえられ、政党の生命ともいうべき「立党宣言」「綱領」「政策」「総裁公選規程」等が最終決定されたのです。

 最後まで問題になったのは、新党の名称でしたが、広く党内外に公募した結果、自由民主主義を最も端的に象徴する「自由民主党」に決定しました。

 こうして諸般の準備が完了し、民主・自由党の合同による「自由民主党」は、とりあえず鳩山一郎緒方竹虎大野伴睦三木武吉の四氏を総裁代行委員として、全国民待望のうちに昭和三十年十一月十五日、東京・神田の中央大学講堂において、華々しく結成大会を開き、ここに戦後最大の単一自由民主主義政党として歴史的な発足をみました。ちなみに、当時の自由民主党所属国会議員は、衆議院二百九十八名、参議院百十五名です。

 自由民主党は、まず「立党宣言」の冒頭で、「政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う」とうたったあと、「われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する」と、自由民主政治の基本精神を明らかにしました。

 また「党の性格」については、(1)わが党は国民政党である、(2)わが党は平和主義政党である、(3)わが党は真の民主主義政党である、(4)わが党は議会主義政党である、(5)わが党は進歩的政党である、(6)わが党は福祉国家の実現をはかる政党である、と規定し、「綱領」には、

一、 わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する
一、 わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する
一、 わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する
と定めました。

 かくして、わが国戦後民主政治の発展に画期的な歴史を画する自由民主党の歩みは、ここに始まりました。

 なお、これより一カ月早く、社会党はすでに左右両派の統一をみていましたから、いわゆる保守・革新の二大政党時代が本格的に幕あけしたことになり、日本の政治は、これを契機として全く新しい前進を示すものと期待されたのです。

なお、新綱領の中には以下のようなジェンダーの視点がいったん登場していたが、5年後の新・新綱領では微塵もなくなっている。

男女がともに支え合う社会を

私たちは、女性があらゆる分野に積極的に参画し、男女がお互いの特性を認めつつ、責任を共有する「男女がともに支え合う社会」をめざします。

さらに新・新綱領では、「人権」が消えた代わりに「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」と、自助>共助>公助の姿勢を明らかにしている。

つまり、新綱領、新・新綱領と新しいものに変わるたびに、より国民を守らない新自由主義的な方向に転換しているように思われる。

しかも、なぜたった5年で変えたのか。

我が党は平成21年総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に、時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したいと思う。

つまり、選挙で敗北したことでなおいっそう「保守」の方向へ転換したというわけだ。もしかしたらこの時に日本会議の影響力が強まったのかもしれない。

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