リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

妊娠初期の中絶体験に関する構成主義的ビジョン

Sam Rawlands医師の論文より

A Constructivist Vision of the First-Trimester Abortion Experience - PMC

 既存の制約がない世界では中絶経験はどのように見えるでしょう? 女性のリプロ・ライツを追求するために、国家は積極的に義務を果たすべきです。妊娠初期に中絶する女性の権利に干渉し、制約を課すのであれば、説明責任は国家の側にある。このビジョンでは、中絶は人間中心的であり、可能な限り平常化されます。

 中絶に関する質の高い情報は、複数の情報源とさまざまなフォーマットで自由に利用できます。可能な限り、中絶は女性が選んだ場所で行われ、薬による中絶の場合は、必要なときにすぐさま優れた臨床的支援を受けながら自己管理すればいいのです。中絶の生きた経験を支えるために医療者には環境を整える責任があるのです。
 中絶の非犯罪化については、どのような法律を解体する必要があるのでしょう。私たちは「構成主義」アプローチを採用し、中絶を経験した女性の生きた経験を含む研究や文献から、質の高い中絶体験を支えるために何が必要かを考えています。
 私たちの脇には、子宮を持つ人々(以下、簡潔にするために「女性」と表記します)に、望まない妊娠にどう対応するかを自由に選択する能力を与えるための進歩を妨げかねない規制があります。私たちは、できる限り、中絶に特化した法律が全くない状態から、ゼロから構築するアプローチをとっています。
 この論文では「中絶」という言葉を使いますが、これは先入観にとらわれた含蓄のある言葉として捉えられ絵勝ちであることを認識しています。私たちの構成主義的アプローチに則って、私たちはこの用語を成立した妊娠(つまり胚の着床後)の終了をもたらすために必要な手順を示すために、単純に使用します。
 私たちは、質の高い中絶体験の主要な要素として、人間中心主義に集中します。人間/患者中心のケアとは、女性(と適切な場合にはパートナー)に、自分自身の個々のヘルスケアについて情報を提供し関与させるアプローチ、またヘルスケアサービスの共同設計にサービス利用者を関与させることを意味します。
 自己管理による中絶は、正式な場での屈辱や、その中での恥や無力感からの解放や逃避の源になりえます。私たちは(医療施設に行かずに)自分で行う妊娠初期の薬による中絶は、十分な情報をもとに、承認された供給源からの薬を用いてエビデンスに基づいて行われる方法に従えば安全だとみなしています。
 私たちの関心は、不正確・不十分な情報の提供や欠陥のある中絶サービスの提供によって、女性が損害を受けたり、重大な損害の不必要なリスクにさらされたりしないようにすることです。したがって、今後の規制の対象は、妊婦ではなく、非公式なサービス提供者であるべきだと提案します。
 妊娠中絶を決意した女性は、中絶手術ができるだけ早く行われることを望み、遅れを苦痛に感じます。中絶サービスへのアクセスを容易にすることは、私たちのビジョンの重要な側面です。私たちはこのビジョンを拡大することを否定しませんが、正式な医療制度の外で行われる中期以降の中絶を今は扱いません。
 外来での薬による中絶は一般的に妊娠10週までに制限されていますが、この上限についてはまだ模索が続けられています。WHOは妊娠12週までの自己管理による薬による中絶を推奨していますが、それ以上の週数についてはエビデンスが限られているとを認めています。
 私たちの出発点は、国家権力が妊娠第一期の妊婦に対する制約を正当化するのは、はるかに困難であるということです。国家とその代理人の評価は、妊娠初期の段階については狭く解釈されるべきです。
 多くの研究が、中絶へのアクセスに経済的な障壁があることを報告しています 。私たちのビジョンでは、女性はヘルスケアの重要な要素を慈善事業に頼ることは想定されていません。女性が希望すれば、薬、材料、料金は、市民権の有無にかかわらず、誰に対しても国がすべて負担すべきです。
 妊娠の結果がどうであれ(分娩、流産/中絶、子宮外妊娠)、このような補償は同じにしなければなりません。交通費も、国家手当を受けている人や低所得者層など、必要な場合は国が負担してくれるのを当たり前にしなければなりません。
 私たちは、女性のリプロダクティブ・ライツを追求するために、尊重する義務、満たす義務、保護する義務という見出しで国家に義務を課すというビジョンを提案しました。私たちは、このような想像の世界が現在の現実からかけ離れており、決して実現されないかもしれないことを認識しています。
 では、なぜわざわざそのようなビジョンを策定するのでしょうか? 私たちの多くは、個人の権利/自由の存在と範囲について、また中絶の文脈における既存の規制制約の可能な限りの解体について、かなりの時間を費やしてきました。私たちは、こうした努力に泥をかぶせたりを無にしたりはしません。
 むしろ、この論文の主な目的は、中絶の合法性に関する議論から注意をそらすことなのです。制約のない世界から出発することで、中絶サービスが使われ提供される環境と国家の義務の枠組みに焦点が当たります。個人の権利と自由を実現するための重要な土台となるのは、これから作る環境と国家なのです。

 大好きなSam Rawlands医師の論文を少しもじってエッセー風にしてみました。論文にしてこの温かさ。女性の尊厳と健康と権利のために、尽くしてこられた医師の皆様の思いとご尽力に感謝します。日本人医師にもきっと同様の思いの方々がいるはずだと、信じています。

A Constructivist Vision of the First-Trimester Abortion Experience - PMC