リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

妊娠の廃止を目指したカナダの過激派フェミニストを再考する: 女性の生殖労働の搾取と激しく闘ったシュラミス・ファイアストーン

The Tyee, Victoria Margree 13 Aug 2019The Conversation


筆者ヴィクトリア・マーグリーは、ブライトン大学人文科学の主講師でフィクション文学とフェミニズム理論を専門としている。

Revisiting the Canadian Radical Feminist Who Wanted to Abolish Pregnancy | The Tyee

仮訳する。

 1970年、作家のシュラミス・ファイアストーンがフェミニスト宣言『性の弁証法-フェミニスト革命の事例』を発表し、出版界の一大センセーションとなった。半世紀を経た今、彼女が人工子宮の開発を呼びかけたことは、しばしば嘲笑を込めて回想されることもあった。
 ところが、中絶の権利と生殖技術が緊急の課題となっている今日、女性の生殖労働の搾取に関する彼女の主張は非常に重要性を帯びている。
 カナダ出身のファイアストーンは、マニフェストを発表した当時、美大生であり、シカゴとニューヨークで台頭してきた女性解放運動の中心的人物だった。1960年代から1970年代にかけて、19世紀後半に始まったフェミニズム運動の再生のために組織された女性たちの先駆けの一人であり、第二波フェミニストとして知られている。
 彼女の著書は広く売れ、主流派の論客と他のフェミニストの両方から賞賛と非難の両方を集めた。論争が起きたのは、ファイアストーンが「妊娠は野蛮である」と発表し、女性の出産という役割を女性抑圧の源としたためである。そして、男女不平等の問題を解決したユートピアの未来を想像する一環として、「生殖のくびき」から女性を解放するために、生物学的生殖に代わって、人工子宮での胚の発育である体外発生(エクトジェネシス)を提案した。

 1970年当時、ファイアストーンの提案はSFの世界の話としてあっさり否定された。しかし2017年、科学者たちは子羊の胎児を数週間妊娠させる「バイオバッグ」を作ることに成功した。あらゆる可能性を秘めた人間のエクトジェネシスが持つ倫理的、政治的な意味は、まだ評価され始めたばかりである。例えば、人工子宮は、中絶に関する議論の条件を根本的に変えてしまう可能性がある。
 ファイアストーンは、人工子宮を女性の生殖に関する選択肢と自律性を高める機会だと考えていた。しかし、この技術が、妊娠中の人の身体を支配する新たな形態を正当化するために使われる可能性も同様にあり、中絶反対論者は、胎児を人工妊娠に移すことができれば中絶はもはや必要ないと主張する。


抑圧とテクノロジー
 ファイアストーンは、女性の抑圧の歴史的起源は、有効な避妊法が広く普及する以前に、妊娠可能な女性が行った無秩序な妊娠にあると考えた。出産適齢期の女性の多くが、妊娠・出産・育児という絶え間ないサイクルに巻き込まれることで、女性は食料や住居などの生活必需品を男性に依存し、他の社会的機能から排除されることになった。そして、「男は生産者、女は再生産者」という人類初の階級区分が生まれたのだとされる。

 ファイアストーンは、このような状況をすべて変えることができると指摘した。信頼できる避妊法、安全な中絶方法、新しい体外受精の技術など、生殖技術の発展により、女性が自分の生殖能力をコントロールできる可能性が生まれた。自分の希望と計画に従って、母親になることも、ならないことも選択できるのである。
 しかし、問題は、1970年当時、この自律性を約束する技術が、家父長的・保守的な勢力の支配下にあり、女性の中絶を否定したり、既婚女性にのみ避妊を認めていたことである。ファイアストーンは、政治理論家カール・マルクスの言葉を借りて、女性たちに一時的に「人間の生殖能力のコントロールの掌握」しようと――つまりプロレタリアートが生産手段を掌握しなければならないように、生殖技術を自分たちのものにしようと――呼びかけた。つまり、中絶や体外受精を女性自身がコントロールし、男性が支配する政治や医学の専門機関に依存させられないようにすべきだということである。

 女性が生殖における伝統的な役割から解放されることで、ファイアストーンは、異なる種類の子育てが出現すると考えた。男性の権力の象徴である核家族を廃止し、「世帯」と呼ばれる大人のグループによって子供を育てる拡散型の子育てに置き換えることも可能だと考えたのである。親としての責任を共有することで、女性はそれまでの職業やアイデンティティを犠牲にすることなく、母親になることができる。子どもは複数の大人と育つことで恩恵を受け、親になれない人たちにも子育ての道が開かれる。


ファイアストーンの現在を読み解く

 第2波以降のフェミニズム理論の発展により、ファイアストーンの作品には重大な欠陥があることが明らかになった。その中には、黒人女性の生殖能力に対する虐待の歴史が見えていなかったことや、身体に対する恐怖心のために妊娠中の身体的問題ばかりに焦点を当てていたことが挙げられる。彼女は出産を「カボチャのクソをするようなもの」と表現している。
 それでも、今日、彼女のマニフェストは、私のようなフェミニストによって見直されている。それは、彼女の活動が、望まない妊娠を解消する権利だけでなく、子供と親が共に成長できる条件の下で子育てをする権利を求めるリプロダクティブ・ジャスティス運動の原則と共鳴しているためである。
 また、進歩的な目的のために技術を「ハッキング」することを提唱するゼノフェミニスト*1や、クィア理論家や「完全代理出産」を提唱するソフィー・ルイスのように、生物学的家族を超えた親族関係とケアについて再考しようとする人々も、ファイアストーンからの影響をますます受けるようになっている。
 1970年に『性の弁証法』を出版した直後、ファイアストーンはフェミニズム運動から身を引き、公の場から姿を消した。ファイアストーンは、ビジュアルアーティストとしてのキャリアに集中する一方、精神疾患を繰り返し、入院することもあったようだ。2012年、ニューヨークで死去した。
 ファイアストーンが人々の記憶に残っているのは人工子宮を要求したことだが、彼女の考える進歩的な社会は、妊娠を完全に廃止することよりも常に豊かなものであり、「昔ながらの」生物学的な方法で生殖を続けたいと考える人がいることも認識していた。彼女にとって最も重要なのは、「子どもを産まない、あるいは人工的に産むという決断」が「伝統的な出産と同じくらい正当なもの」になることだった。
 彼女の本を再読する価値があるのは、依然として妊娠する能力が、多くの搾取と不平等が働く基盤になっているという認識を中心にしているためであり、これに対処するには、社会は根源的な方法で思考していかねばならないからである。

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The Moral Imperative for Ectogenesis | Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics | Cambridge Core(2007)
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*1:科学技術による身体の「疎外」を戦略的に引き受け転覆の手段とする新たなフェミニズムの流れ