リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

こどもと一緒にいるときに、不便を感じたり、周りからの理解や配慮が欲しかった場面を教えてください!

2023/06/26 PoliPoliGovに提出した意見

以前、行政に意見を届けるプラットフォーム「PoliPoliGov」から依頼されたこども家庭庁からの意見募集に以下のように答えました。テーマは「こどもと一緒にいるときに、不便を感じたり、周りからの理解や配慮が欲しかった場面を教えてください!」でした。

1.子どもと2人で世界に取り残された気分になるとき。

「育児休暇」を取ることで、それまでに積み上げてきたキャリアが「寸断」され、自分だけが世界から取り残されたような気分になる人は少なくありません。初めての妊娠・出産・子育ては、「初めてのこと」の連続で、わからないことだらけで不安だし、昨今の育児雑誌は「うちの子は違う?」と不安をなおのこと煽ります。「子育て」そのものがキャリアになり、自分が日々学び成長していることが実感できるような取り組みが大事です。

私自身は出産後にプレイセンターのスーパーバイザー養成講座で資格を取り、そこで学んだことを活かして「育児は育自」をモットーとする子育て支援自助グループを作り、活動しました。先輩ママたちと接することで、「育児はええかげん」でいいということも学びましたし、子どもは放っておいても育っていくということも実感でき、さらに「育児」を通じて自分を成長させることができることも実感できました。

ニュージーランドのプレイセンターは今では幼児教育の国家資格を取れる場になっており、自分の子どもを育てる経験をキャリアの礎にして、そこから新たなプレイセンターを立ち上げていくようなキャリア形成の一つの道を提供しています。日本のプレイセンターは、現在は子どもを連れて遊びに行き、親がレスパイトする場として活用されることが多いようですが、スーパーバイザー養成の方に少し力を入れていくことで、幼児教育のプロを養うだけではなく、アイディアを出し合ってグループを運営していくようなオーガナイザーとしての力をつけていくこともできます。

こうした取り組みに、国としてももっと積極的に係ることで、子どものより良い成長と共に、親が自分を犠牲にする子育てではなく、親も一緒に育っていけるような自分育ての場にできると思います。プレイセンターでの「学び」を国が積極的に後押しする(資格の認証など)ことで、「育児休暇」はただの休暇ではなく、次のキャリアのためのステップアップの場にしていくことも可能ではないでしょうか。ちなみに、ニュージーランドのアーダーン首相もプレイセンター経験者のようです。ニュージーランドでは、プレイセンターでの活動が履歴書に書けるキャリアとして扱われていると聞いています。「子育て」がキャリアの空白になるのではなく、「キャリアアップ」のチャンスにできるような仕組み作りが重要だと思います。

2.「子産み機械」「子育て機械」と貶められ、自尊心を失うとき。

たとえば、ワンオペ育児をしているなどでレスパイトを取った方が望ましいと周囲からは思われているのに、内面化した罪悪感のために、取れなくなってしまう人がいました。10代で出産し、周囲の年上の妊婦に「ダメな母」と思われないようにと、背伸びして頑張って「いい母」をふるまおうとしていた人もいました。「いい母親」を目指すそこには、「ただの子産み機械・子育て機械」に貶められてくないという気持ちも働いているように思います。実際に、そのような発言をする政治家も後を絶たないのはご承知の通りです。「子産み・子育て」を尊重し、現在そのさなかにある人々を尊敬し、感謝の念をもってふるまうような社会的土壌を作っていく必要があります。そのためには、「子育て」をしていて「報われた」「成長している」と、当事者が心から感じられるような環境が必要です。

3.「家族計画」が悪として扱われるとき。

日本の刑法にはいまだに堕胎罪があり、合法的な中絶は母体保護法によって規制をかけられています。このことは二つの面で問題があります。

第一に、子育て中の女性が望ましくないと感じるタイミングでさらに妊娠をしてしまった時などに、「中絶」を選択することに罪悪感を抱いたり、「もう一人産む」ことに多大の負担を感じたりして苦しむことになっています。本当は、産むも産まないもその時の女性のおかれた状況や考え方次第で、どちらを選んでも問題のないような「環境」を整えておくのが国家の責任です。リプロダクティブ・ライツを保障するためには、中絶の非犯罪化と共に、産む選択をする人に手厚い福祉を提供する必要があります。日本政府はリプロダクティブ・ヘルス&ライツの保障が全くというほどできていません。漠然と中絶は「良くないこと」として産む方にじりじり追いやっている一方で、いったん産んだらすべて当事者の「自己責任」としているのが現状ではないでしょうか。

第二に、「子ども(少女)も妊娠しうる」ということを日本政府は全く想定していないようですが、国連レベルでは、「少女を守る」ためにも避妊や中絶の情報と手段の提供は必須だとされています。その姿勢は国連子どもの権利条約一般的意見4号(2003年)「子どもの権利条約の文脈における思春期の健康と発達」の中に、「(a)セクシュアル・ヘルスおよびリプロダクティ ブ・ヘルスのためのサービスへのアクセスを確保するプログラムを策定および実施 すること。このようなサービスには、家族計画、避妊手段、ならびに中絶が違法で ない状況においては中絶のための安全なサービス、充分かつ包括的な産科ケアおよ びカウンセリングが含まれる。」と規定されていることからも明らかです。また、「買春やポルノグラフィーなどで性的に搾取されている青少年は、STD、H IV/AIDS、望まない妊娠、危険な中絶、暴力および心理的困窮を含む、相当 の健康上のリスクにさらされている」ことも懸念されており、正しい情報提供や包括的な性教育も必須のものとして求められています。

最後に。子育て中の女性および/または子ども(青少年)の両方に通じることとして、望まない妊娠の防止(家族計画)は必須のものと考えます。人類の女性は100年前に比べて生涯に9倍もの月経回数(450回)を経験するようになっています。婚姻および出生の高年齢化、そして産児減少はすべての国に見られる現象であり、現代人は避妊手段と共に生きていく必要があります。避妊ピルを始めとするホルモン療法は、望まない妊娠を減らすとともに、副効用として女性の月経の負担も減らします。それを踏まえて、海外の先進国のように避妊ピルを無料で配布するくらいの対策は取ってよいのではないでしょうか。月経の貧困の問題も生じています。また、避妊は必ずや一定の「失敗」を伴いますので、緊急避妊薬や妊娠初期の中絶をより広く普及させていく必要もあります。子宮をもつ身体に生まれたことで「罰」を受けるような社会では、妊娠を怖がり、子どもを産もうとはしなくなる人々が増えるばかりです。

子育て支援を考える際には目の前の「困っている母子」に手を差し伸べるだけではなく、もっと巨視的な視点から考える必要があります。国際社会では人口増が今も問題となっている一方、人口減がしばらくは続いていくことが間違いないこの日本で今、どのようなリプロダクション政策を取るべきか、また、減りゆく人口資源のなかで、いかにして女性人材を活用していくのかを真摯に、緊急に考えなければならないところに今私たちは直面しているのです。

京都大学も参与した世界的な研究で、性差別の激しい国の女性の脳の発達は男性に比べて劣っていることが科学的にも立証されました。女性は男性より劣ったものとして生まれついているわけではなく、社会における「性差別」が女性の脳の発達を阻んでいるのです。日本は残念ながら、ジェンダー・ギャップ指数で、先進国で最下位どころか、世界の国々の最底辺10%に含まれているような「性差別国」です。これを根本から転換していかないと、母子の明るい未来など、決してやってこないように思います。

最後は蛇足になりましたが、「周りからの理解や配慮」といった思いやりのレベルの問題ではなく、国家の制度そのものが根幹から変わらなければお「子育て環境」の改善はありえないということを強く主張させていただきます。