リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

二つの薬、二つの道:ジェンダー・バイアスの物語、マルコム・ポッツ

女性のセクシュアリティを支配したがる方向に進化してきた男性たちの習い性は洞察力で克服できる!

Endeavout Vol.27 No.3 September 2003 pp.127-130

Two pills, two paths: a tale of gender bias, Malcolm Potts

ご存じの方はご存じ、マルコム・ポッツさんの論考!

なんと、日本のピルとバイアグラの承認までの速度の違いから話は始まります。アブストラクトを仮訳します。

概要
 日本では避妊薬ピルの登録に30年以上かかったが、バイアグラの承認にはわずか半年しかかからなかった。ピルは学術機関で開発され、大手製薬メーカーは販売しようとしなかった。バイアグラは大企業内で開発され、積極的に宣伝された。アメリカでは、死亡例が大々的に報道されたため、ピルはあやうく市場から排除されかけたが、バイアグラに関連した死亡例は新聞の見出しを飾らない。バイアグラは有名人によって宣伝され、ピルを使用する人は広告に登場しない。神学者でさえ、この2つの薬を異なる基準で扱っている。この非対称性は偶発的なものではなく、根深い二重基準の表れであり、最終的には男性と女性の力における生物社会的な違いや、人類の進化に根ざした生殖の意図に起因していることが示唆される。

 避妊ピルの構想はなんと1921年にすでにあったのだという。それがどの大手製薬会社も手を付けず、1951年になってマーガレット・サンガーとキャサリン・マコーミックがグレゴリー・ピンカスに依頼して初めて研究開発に着手し、1960年にはエノビッドがアメリカで、1999年には日本も国連加盟国の最後の国として承認された。構想されてから日本での承認まで実に78年もかかっている!

 一方、狭心症の薬として開発されていたシルデナフィルの性的な副作用が判明したのは1996年だったが、1997年にはアメリカですばやくバイアグラの承認申請が行われて翌1998年にはアメリカで承認、日本でも1999年には早くも承認されていた。こちらは日本に入ってくるまでわずか3年!!! 

 こうした「開発」面での二重基準だけで はなく、ポッツ氏は副作用に関するマスコミ報道の違い(ピルで死者が出ると大騒ぎするのに、バイアグラは130人死んでもほとんど報じられないとか、バイアグラの方は大統領候補の上院議員が顔出しして宣伝している)とか、ローマ教皇が内部では明らかにピルに寛容な聖職者たちが多かったにも関わらず、少数派意見を採用してあらゆる避妊を否定した一方で、アウグスティヌスの思想を持ち出しながら、彼が「男性の勃起こそ人類の——男性の——神への不服従のしるし」だと述べていることはおくびにも出さないことだとか、1998年の日本の厚生省がまたしてもピルの認可を否定した時にこの省を構成していた役人の数は男性198人に対して女性6人であったなどの事実を明らかにして、これは偶然ではないとする。そして、採集狩猟時代にできたジェンダー差はなかなかしぶといが、人間は進化させてきた洞察力でこの二重基準を克服できるとの方向性が示唆されている。短いが内容のいっぱい詰まった論説。