リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

文部科学省の「人権」の定義・法務省人権擁護推進審議会の「人権に関する基本的認識」

まったくもって意外ではない

人々の人権を支える国の義務(社会権)が全く抜け落ちている……まさに無責任。


文科省

第1章 学校教育における人権教育の改善・充実の基本的考え方
1.人権及び人権教育
(1)人権とは(1)人権とは
 人権は、「人々が生存と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」と定義される(人権擁護推進審議会答申(平成11年))。また、基本計画は、人権を「人間の尊厳に基づいて各人が持っている固有の権利であり、社会を構成する全ての人々が個人としての生存と自由を確保し社会において幸福な生活を営むために欠かすことのできない権利」と説明している。
 しかし、人権を一層身近で具体的な事柄に関連させてより明確に把握することが必要である。人権という言葉は「人」と「権利」という二つの言葉からなっている。人権とは、「人が生まれながらに持っている必要不可欠な様々な権利」を意味する。したがって、人権とは何かを明確に理解するには、人とはどのような存在なのか、権利とはどのような性質を持つのかなどについて、具体的に考えることが必要となる。
 人権の内容には、人が生存するために不可欠な生命や身体の自由の保障、法の下の平等、衣食住の充足などに関わる諸権利が含まれている。また、人が幸せに生きる上で必要不可欠な思想や言論の自由、集会・結社の自由、教育を受ける権利、働く権利なども含まれている。
 このような一つひとつの権利は、それぞれが固有の意義を持つと同時に、相互に不可分かつ相補的なものとして連なりあっている。このような諸権利がまとまった全一体を人権と呼ぶのである。したがって、個々の権利には固有の価値があり、どれもが大切であって優劣や軽重の差はありえない。ただし、今日、全国各地で児童生徒をめぐって生じている様々な事態にかんがみ、人間の生命はまさにかけがえのないものであり、これを尊重することは何よりも大切なことであることについて、改めて強調しておきたい。
 人権を侵害することは、相手が誰であれ、決して許されることではない。全ての人は自分の持つ人としての尊厳と価値が尊重されることを要求して当然である。このことは同時に、誰であれ、他の人の尊厳や価値を尊重し、それを侵害してはならないという義務と責任とを負うことを意味することになるのである。


法務省人権擁護推進審議会

1 本審議会の人権に関する基本的認識


 「激動の世紀」と言われた20世紀も後一年数か月で幕を閉じ,新しく21世紀を迎えようとしている。
 人類の歴史の中で,20世紀ほど科学技術が急速に発達し,人類の未来の夢をはぐくんだ世紀はなかった。しかし,20世紀は,人々の生活に快適さと豊かさをもたらした面がある一方で,人類に多くの災いをもたらした世紀でもあった。二度の世界大戦のみならず,冷戦後も度重なる各地の局地紛争は,かつてないほどの規模で人々の生活を破壊し,その生命を奪い,さらに核戦争の恐怖を生み出している。経済開発の優先は,地球規模で深刻な環境破壊・環境汚染をもたらし,人類だけでなく,地球上に生きとし生けるものすべての生存さえも脅かしかねない。
 迎える21世紀は,「人権の世紀」と言われている。それには,20世紀の経験を踏まえ,全人類の幸福が実現する時代にしたいという全世界の人々の願望が込められている。20世紀においても1948年(昭和23年)の世界人権宣言以来,国際連合を中心に全人類の人権の実現を目指して,様々な努力が続けられてきたが,それが一斉に開花する世紀にしたいという熱望である。
 人々が生存と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利-それが人権である。この人権の尊重こそが,すべての国々の政府とすべての人々の行動基準となるよう期待されている。つまり,政府のみならず人々の相互の間において人権の意義が正しく認識され,その根底にある「人間の尊厳」が守られることが期待されているのである。
 人権は,「人間の尊厳」に基づく人間固有の権利である。しかし,地球の狭さと限られた資源の中で,人々を取り巻くあらゆる環境と共生していくことがなければ,人権の尊重もまたあり得ない時代に差し掛かっている。人権の尊重ということは,今日,そのような広がりの中でとらえられなければならない。
 世界の大きな動向から,ひるがえって我が国の人権状況を見ると,人権尊重を基本原理とする日本国憲法の下に,様々な経緯を踏まえながらも,人権尊重主義は次第に定着しつつあると言える。しかし,公的制度や諸施策そのものの在り方にかかわって,様々な課題がある。さらに,国民相互の間にも課題が残されている。とりわけ同和問題など不当な差別は,憲法施行後50年以上を経過した今日の時点でも解消されていない。我が国が,世界の人権擁護推進に寄与し,国際社会で名誉ある地位を得るためにも,これらの課題を早急に解決していく必要がある。一人一人の人間が尊厳を持つかけがえのない存在であるという考え方が尊重され,守られる社会を作っていくことが求められている。
 「人権の世紀」への始動は,既に至るところに,様々な形で見られるが,国際連合の提唱による「人権教育のための国連10年」もその一つである。そのような中で,人権擁護推進審議会(以下,「本審議会」と言う。)は,人権擁護施策推進法に基づき,まず,「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育・啓発に関する施策」の検討を行ってきた。
 人権は,「人間の尊厳」に基づく権利であって,尊重されるべきものである。しかし,現実には,人々の生存,自由,幸福追求の権利,すなわち人権が,公権力と国民との間のみならず国民相互の間でも侵害される場合があり,その一つの典型が不当な差別であることは,広く認識されるに至っている。このような人権侵害とされるものの中には,人権と人権が衝突し,その衝突状況を慎重に見極めて人権侵害の有無を決すべきものもあるが,多く見られるのは,不当な差別のような一方的な人権侵害である。こうした人権侵害は,いずれにしても,決して許されるものではない。本審議会は,国民相互間の人権問題について,このような認識に立って,人権教育・啓発の施策の基本的在り方について検討してきた。
 人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めることは,まさに,国民一人一人の人間の尊厳に関する意識の問題に帰着する。これは,社会を構成する人々の相互の間で自発的に達成されることが本来望ましいものであり,国民一人一人が自分自身の課題として人権尊重の理念についての理解を深めるよう努めることが肝要である。しかし,同和問題など様々な人権課題がある我が国の現状にかんがみれば,人権教育・啓発に関する施策の推進について責務を負う国は,自らその積極的推進を図り,地方公共団体その他の関係機関など人権教育・啓発の実施主体としてそれぞれ重要な役割を担っていくべき主体とも連携しつつ,国民の努力を促すことが重要である。さらに,これらの実施主体の活動のほかに,国民のボランティア活動にも期待するところが大きい。他方,人権教育・啓発は国民一人一人の心の在り方に密接にかかわるものであることから,それが押し付けになるようなことがあってはならないことは言うまでもない。
 本審議会は,人権教育・啓発に以上のような困難な問題があることを十分踏まえた上で,人権教育・啓発を総合的に推進するための諸施策を提言するものである。