リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別 藤田早苗著

第一部 集英社新書2022年12月発行

抜き書きします。

日本での人権のイメージは次のようなものではないだろうか。ある先生が生徒に「車が多い道を視覚障害者の人が渡れずに困っている。そういうときは手をひいて渡らせてあげることだ。これが人権だ」と説明した。つまり「人権とは親切や思いやりによって実現する」と。
 実際、日本の「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」には、人権教育とは「人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動」であると定義されている。これは、個人が優しさや思いやりをはぐくむことを目的としていて、いわゆる「優しさ・思いやりアプローチ」の教育が強調されている。そして多くの人が、人権とはそういうものだと理解している。

 人権について国連の人権高等弁務官事務所は次のように説明している。

 生まれてきた人間すべてに対して、その人が能力・可能性(potential)を発揮できるように、政府はそれを助ける義務がある。その助けを要求する権利が人権。人権は誰にでもある。

 つまり人権の実現には、政府が義務を遂行する必要があるのだ。
 その義務は三つある。
① 人がすることを尊重し、不当に制限しないこと:「尊重義務」(respect)。
② 人を虐待から守ること:「保護義務」(protect)。
③ 人が能力を発揮できる条件を整えること:「充足義務」(fulfil)。