リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

1997年=28年前に書かれた文章

人権教育のための国連10年(1995年~2004年)

「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画(平成9年7月4日人権教育のための国連10年推進本部

冒頭を抜粋します。

1.基本的考え方
 (1)冷戦終了後、東西対立の崩壊とともに、世界各地で地域紛争やこれに伴う顕著な人権侵害、難民発生など、深刻な問題が表面化した。しかし、一方で東西対立の崩壊は、国際社会全体での議論を可能とする環境を創り出し、人権に取り組む気運が高まった。
 平成5年(1993年)には、世界人権宣言採択45周年を機に、これまでの人権活動の成果を検証し、現在直面している問題、今後進むべき方向を協議することを目的としてウィーンにおいて世界人権会議が開催された。この会議は全ての人権が普遍的であり、人権が正当な国際的関心事であることを確認し、人権教育の重要性を強調した点で重要な出来事であった。以後、国連としての人権に対する取組も強化され、平成6年(1994年)には人権問題を総合的に調整する役割を担う国連人権高等弁務官が創設されたほか、第49回国連総会(平成6年(1994)年12月)では「人権教育のための国連10年」を決定する決議が採択された。また、平成7年(1995年)9月に北京で開催された第4回世界女性会議においては、女性の権利は人権であることが明確に謳われるとともに、人権教育の重要性が指摘された。こうした動きは、人権に対する国際的関心が結晶化したものである。
 人権の擁護・促進のためには、そもそも人権とは何かということを各人が理解し、人権尊重の意識を高めることが重要であり、人権教育は、国際社会が協力して進めるべき基本的課題である。

 (2)人権教育の推進に当たっては、このような国際的潮流とともに、平成8年(1996年)5月17日の地域改善対策協議会意見具申に述べられている次のような認識を踏まえることが重要である。
 「今世紀、人類は、二度にわたる世界大戦の惨禍を経験し、平和が如何にかけがえのないものであるかを学んだ。しかし、世界の人々の平和への願いにもかかわらず、冷戦構造の崩壊後も、依然として各地で地域紛争が多発し、多くの犠牲者を出している。紛争の背景は一概には言えないが、人種、民族間の対立や偏見、そして差別の存在が大きな原因の一つであると思われる。こうした中で、人類は、『平和のないところに人権は存在し得ない』、『人権のないところに平和は存在し得ない』という大きな教訓を得た。今や、人権の尊重が平和の基礎であるということが世界の共通認識になりつつある。このような意味において、21世紀は『人権の世紀』と呼ぶことができよう。
 我が国は、国際社会の一員として、国際人権規約をはじめとする人権に関する多くの条約に加入している。懸案となっていた『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』(人種差別撤廃条約)にも加入した。世界の平和を願う我が国が、世界各国との連携・協力の下に、全ての人の人権が尊重され、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の重要な一員として、その役割を積極的に果たしていくことは、『人権の世紀』である21世紀に向けた我が国の枢要な責務というべきである。」

 (3)翻って我が国社会を見ると、依然として、様々な人権問題が存在してる。また、近年、著しく国際化、ボーダーレス化が進展している状況下において、広く国民の間に多元的文化、多様性を容認する「共生の心」を醸成することが何よりも要請される。このため、各種の啓発と相まって、人権に関する教育の一層の充実を図る必要がある。さらに社会の複雑化、個々人の権利意識の高揚、価値観の多様化等に伴い、従来あまり問題視されなかった分野においても各人の人権が強く認識されるようになってきたことから、新たな視点に立った人権教育・啓発の必要性も生じてきている。このような我が国の現状に鑑みると、「人権教育のための国連10年」は、全ての人権の不可分性と相互依存性を認識し、人権尊重の意識の高揚を図り、もって「人権」という普遍的文化の創造を目指すものであって、その意義は極めて重要である。

 (4)この国内行動計画は、憲法の定める基本的人権の尊重の原則及び世界人権宣言などの人権関係国際文書の趣旨に基づき、人権の概念及び価値が広く理解され、我が国において人権という普遍的文化を構築することを目的に、あらゆる場を通じて訓練・研修、広報、情報提供努力を積極的に行うことを目標とする。
 また、人権教育を進めるに当たっては、人権にかかわりの深い特定の職業に従事する者に対する取組を強化するとともに、本10年の展開において、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題アイヌの人々、外国人、HIV感染者等、刑を終えて出所した人などの重要課題に積極的に取り組むこととする。

 (5)さらに、我が国は人権分野でも国際社会において積極的な役割を果たして行くべきであり、特に国連を始めとする人権関係の国際的フォーラムは重要である。そのためにも、我が国の国民の生活が深く他国の国民の生活と結びついていることを認識しつつ、人権教育の推進を通じ、他国・他地域の人権状況についても関心を深め、国内外の人権意識の高揚を図っていくことが必要である。
 また、本10年の実施に当たっては、国内的実施措置とともに、国際社会、なかんずくアジア太平洋地域の国々と協力・協調して人権教育を促進していくとの視点が必要である。

 (6)また、人権の問題は、国民一人一人が人権の意識を高め、他者の価値を尊重する意識、態度の涵養が重要である。このためには、政府の果たす役割とともに地方公共団体、民間団体等に期待される役割も大きい。
 このため、地方公共団体、民間団体等がそれぞれの分野において、この行動計画の趣旨に沿った様々な取組を展開することを期待する。政府としては、この計画を実施するに当たっては、これらの団体等の取組、意見に配慮する。また、人権教育を広く国民各層に浸透させるため、様々な機会をとらえて「人権教育のための国連10年」の趣旨等を広める必要がある。

「政府の果たす役割」が何であるのかは明記されていない。
先日紹介した文科省の人権の説明には「政府の役割」など微塵も出てこなかった。
法務省も次のようにさらりと書いているのみだ。「人権の尊重こそが,すべての国々の政府とすべての人々の行動基準となるよう期待されている。つまり,政府のみならず人々の相互の間において人権の意義が正しく認識され,その根底にある「人間の尊厳」が守られることが期待されているのである。」こんなので政府が「人権を正しく認識」しているとは思いがたい。
文部科学省の「人権」の定義・法務省人権擁護推進審議会の「人権に関する基本的認識」 - リプロな日記