リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

リプロダクティブ・ライツのための女性グローバル・ネットワーク(WGNRR)

OUR HERSTORY

「WGNRR Strategic Plan 2023-2025」より

1993年のマドラス会議の記述がある。

たちの歴史
 世界中の女性たちが、自分たちの権利のために闘い始めた。1984年、世界中の女性が参加した「国際女性と健康会議(IWHM)」において、リプロダクティブな問題はすべての女性に影響を及ぼすこと、そして世界的な連帯が不可欠であることが明らかになった。
 女性が直面する無数の問題に取り組むことの重大な緊急性と、女性の権利の実現に対する危険性から、リプロダクティブ・ライツの擁護者と活動家を集めたWGNRRを含むいくつかの重要なネットワークが形成され、これらの差し迫った問題が集団的な発言力を持つようになった。
 WGNRRの創設メンバーであるロエス・キーザースの言葉を借りれば、「WGNRRは炎から生まれた。女性の虐待と苦しみに対する怒りの炎と、世界的に女性の生活を変えるために手を取り合おうという情熱の炎である」。
 WGNRRは、1987年に開催された国際女性の健康会議(IWHM)で初めて明言された「行動の呼びかけ」キャンペーンを通じて、女性の健康運動に勢いを与え続けた。5月28日が「女性の健康のための国際行動デー」と宣言されたのもこの時である。
 1993年にインドのマドラスで開催された国際会議「リプロダクティブ・ライツの強化」は、セクシュアリティ、セクシュアル&リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)、健康の枠組みという概念が活発に議論されたSRHR運動にとって記念碑的な会議であった。SRHR活動家たちは、自己決定が運動全体の基本的な礎石であると主張した。この会議で、WGNRRはこの考えを繰り返し述べ、今日でもこの概念をすべての活動の中心に据えている。この年はまた、WGNRRが安全で合法的な中絶を受ける権利に意図的に取り組み、提唱し始めた年でもあった。
 1994年の国際人口開発会議は、女性の健康にとって画期的な年となった。WGNRRは、この会議で女性の声を聞き、代表することを確実にする連合の一員であった。WGNRRはまた、その年に北京で開催された女性世界会議のための行動計画の策定にも密接に関わった。
 それ以来、WGNRRはすべての人のためのSRHRの実現のために、パートナーや同盟国とともに動員やキャンペーンを行っており、特に5月28日と9月28日の国際安全な中絶の日には世界的なキャンペーンを展開している。1970年代後半から1980年代前半にかけて、フェミニストと女性の健康運動は、人口抑制という支配的なパラダイムに反旗を翻し、その本領を発揮した。

マドラス会議はボンベイ女性センターが主催したとされる(Maud Anne Bracke, Contesting ‘Global Sisterhood’: The Global Women's Health Movement, the United Nations and the Different Meanings of Reproductive Rights (1970s–80s), https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1468-0424.12718 [2023])。