JOICFPのSRHR講座
読み物として充実しています! ただ、SRHRの系譜の元としてカイロ会議で登場したRHRが何から始まったのか……について、特に世界の女性運動の動きについて触れられていないのが残念。そのあたりについてまとまった読み物はほとんどまだ出ていないので、今、新書にまとめているところです。
【第1回】世界におけるセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)の取り組み ~国際社会で揺れ動くSRHR
はじめに ― SRHRの「世界史」をたどる
この数年、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR: 性と生殖に関する健康と権利)という言葉が、日本のメディアでも良く取り上げられるようになりました。日本におけるSRHRの課題や、SRHRと切り離すことができない深刻なジェンダー格差について報道され、若い世代が改善を求めて声を上げるようになっています。
SRHRはすべての人にとっての健康と権利です[1]が、多くの場合、「女性の自己決定権を尊重し、生涯にわたる性と生殖に関する権利を保障する」という、女性の基本的人権として説明されています。また、SRHRは生殖可能な時期だけでなく、思春期や更年期、老年期を含む、ライフサイクルを通して幅広く性と生殖の健康を保障する概念で、その内容は多岐にわたります。2018年に、米国のグットマッハー研究所と英国の医学誌ランセットによる委員会が、次のようにわかりやすい説明を発表しました[2]。
自分の身体は自分のものであり、プライバシーや個人の自主性が尊重されること
自分の性的指向、ジェンダー自認、性表現を含めたセクシュアリティについて自由に定義できること
性的な行動をとるかとらないか、とるなら、その時期を自分で決められること
自由に性のパートナーを選べること
性体験が安全で楽しめるものであること
いつ、誰と、結婚するか、それとも結婚しないかを選べること
子どもを持つかどうか、持つとしたらいつ、どのように、何人の子どもを持つか を選べること
上記に関して必要な情報、資源、サービ ス、支援を生涯にわたって得られ、これらに関していついかなる時も差別、強制、搾取、暴力を受けないこと
この概念が国際的な舞台で広く提唱され、その後の人口、開発、国際保健分野への取り組みに大きな変化をもたらした転換点が、1994年にエジプト、カイロで開催された国連主催の国際人口開発会議(ICPD:International Conference on Population and Development、一般にカイロ会議とも呼ばれる)でした。
ICPDの成果文書である「行動計画(PoA: Programme of Action)」において、リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(RHR)が、初めて明文化されました。しかし、多様な価値観、文化、宗教、政治体制の国々が集まる国際社会の複雑さを反映し、セクシュアル・ライツという言葉は使われませんでした。
また、会議は、欧米を中心とする国々と、バチカン、一部のカトリック諸国及び一部のイスラム諸国の間で、特に人工妊娠中絶を巡って紛糾しました。妥協案として、「中絶は家族計画の一手段として推進しない」、「すべての政府は、家族計画サービスの拡大と改善を通じ、妊娠中絶への依存を軽減するように求められる」という内容が盛り込まれました。女性、思春期の女性、女児を差別するすべての慣行、あらゆる形態の搾取、虐待、暴力、児童婚や女性性器切除(FGM)などの有害な慣習を排除するための措置を講じることや、若者の性と健康の重要性も言及されています。こうして、23カ国からの留保条件付きではありましたが、「行動計画」は最終的に全会一致で採択されたのです[3]。
翌年1995年に北京で開催された第4回世界女性会議では、その行動綱領に、「女性の人権には、強制、差別、及び暴力のない性に関する健康ならびにリプロダクティブ・ヘルスを含む自らのセクシュアリティに関する事柄を管理し、それらについて自由かつ責任ある決定を行う権利が含まれる」と明記されました[4]。また、中絶に関しては、各国政府に対して、非合法な中絶を行った女性に対して、処罰を課す法律を見直すよう求めており[5]、ICPDからより踏み込んだ内容となりました。
次回は、SRHR推進に向けて歴史の転換点となった、カイロでの国際人口開発会議(ICPD)開催までの歴史を紐解いていきます。