リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

ひとり親の貧困率はOECD36ヶ国中最下位……なのに対応は手ぬるい

男女共同参画白書 令和5年版

○ひとり親世帯は、平成5(1993)年から平成15(2003)年までの10年間に94.7万世帯から139.9万世帯へ約5割増加し、その後ほぼ横ばい。
○平成28(2016)年にはひとり親世帯の86.8%が母子世帯だった。

○ひとり親世帯の就業率は8割超と高いが、母子世帯ではそのうち46.5%が非正規であり、平均年間就労収入が236万円と低い。
〇離婚相手からの養育費受領率は、母子世帯で28.1%、父子世帯で8.7%にとどまっている。

○ひとり親世帯の貧困率を国際比較すると、数値のあるOECD加盟36か国中最下位。

令和2年版では貧困率50.8%、韓国の56.6%に次いで悪かった。
令和3年版では貧困率48.1%、韓国の52.9%に次いで悪かった。
令和4年版では貧困率48.3%、コスタリカの49.6%に次いで悪かった。(韓国は47.7%に減少し日本の上に)
令和5年版では貧困率48.3%、韓国の47.7%より悪く、OECD36ヵ国中最下位に。(コスタリカは47.4%に減少)


ひとり親の多くを占める母子家庭の離婚相手からの養育費受領率は28.1%でしかないが、支払いを義務付ける法律はない。その一方で、現在、「共同親権」が義務付けられる可能性が浮かび上がっており、「カネは出さないが口は出す」男親が出てくる恐れがある。

<社説>日弁連新体制 「人権を守る砦」として

東京新聞 2024年3月21日

いい流れです❣
日弁連の新しい会長に4月1日から元東京弁護士会会長の渕上玲子氏=写真=が就任する。法曹界初の女性トップで、男女共同参画などで手腕の発揮が期待される。
<社説>日弁連新体制 「人権を守る砦」として:東京新聞 TOKYO Web

<社説>日弁連新体制 「人権を守る砦」として:東京新聞 TOKYO Web

労働生産性 GDP アベノミクス

日本はかなりやばいところに来ている……

財務省 労働生産性

労働生産性とは、従業員一人当たりの付加価値額を言い、付加価値額を従業員数で除したものです。 労働の効率性を計る尺度であり、労働生産性が高い場合は、投入された労働力が効率的に利用されていると言えます。

1.日本の時間当たり労働生産性は、52.3 ドル。OECD 加盟 38 カ国中 30 位。

 OECD データに基づく 2022 年の日本の時間当たり労働生産性(就業 1 時間当たり付加価値)は、52.3 ドル(5,099 円/購買力平価(PPP)換算)。OECD 加盟 38 カ国中 30 位だった。順位でみるとデータが取得可能な 1970 年以降、最も低い順位になっている。2021 年と比較すると、実質ベースで 0.8%上昇した。


2.日本の一人当たり労働生産性は、85,329 ドル。OECD 加盟 38 カ国中 31 位。

 2022 年の日本の一人当たり労働生産性(就業者一人当たり付加価値)は、85,329 ドル(833 万円/購買力平価(PPP)換算)。ポルトガル(88,777 ドル/866 万円)のほか、ハンガリー(85,476 ドル/834 万円)やラトビア(83,982 ドル/819 万円)といった東欧・バルト海沿岸諸国とほぼ同水準となっている。順位でみても、1970 年以降で最も低い 31 位に落ち込んでいる。


公益財団法人 日本生産性本部

1.日本の時間当たり労働生産性は、52.3 ドル。OECD 加盟 38 カ国中 30 位。

 OECD データに基づく 2022 年の日本の時間当たり労働生産性(就業 1 時間当たり付加価値)は、52.3 ドル(5,099 円/購買力平価(PPP)換算)。OECD 加盟 38 カ国中 30 位だった。順位でみるとデータが取得可能な 1970 年以降、最も低い順位になっている。2021 年と比較すると、実質ベースで 0.8%上昇した。


2.日本の一人当たり労働生産性は、85,329 ドル。OECD 加盟 38 カ国中 31 位。

 2022 年の日本の一人当たり労働生産性(就業者一人当たり付加価値)は、85,329 ドル(833 万円/購買力平価(PPP)換算)。ポルトガル(88,777 ドル/866 万円)のほか、ハンガリー(85,476 ドル/834 万円)やラトビア(83,982 ドル/819 万円)といった東欧・バルト海沿岸諸国とほぼ同水準となっている。順位でみても、1970 年以降で最も低い 31 位に落ち込んでいる。

2023年12月25日の朝日新聞デジタル1人あたりの名目GDP日本は21位 イタリアに抜かれG7最下位に:朝日新聞デジタル
によると:

内閣府は25日、物価の影響を含む2022年の名目国内総生産GDP)が米ドル換算で4・2兆ドルだったと発表した。世界のGDPに占める割合は前年より0・9ポイント低い4・2%で、比較できる1980年以降で最低だった。円安の影響が大きく、1人あたりの名目GDPも主要7カ国(G7)で最下位となった。

 世界全体の名目GDPは101・4兆ドル。トップの米国は25・4兆ドルで世界の25・1%を占めた。2位は中国の17・9兆ドルで17・7%、日本は3位だった。

 1人あたりの名目GDPは3万4064ドルで、経済協力開発機構OECD)加盟38カ国中21位だった。イタリアに逆転されて前年の20位から順位を落とし、14年ぶりにG7で最下位となった。1位のルクセンブルクは12万4592ドルと日本とは3・6倍の開きがある。5位の米国は7万6291ドルで、2倍を超す差をつけられた。(米谷陽一)


少子高齢化は「国難」か アベノミクスは何をしたのか 大沢真理(2018)


日本の子供の貧困率は48.3%で、OECD36ヶ国中最下位!
男女共同参画白書 令和5年版 現状編【第1分野~第11分野 スライド37>

男女共同参画白書 令和5年版

アイルランドのヴァラッカー首相、辞意を表明

今後の女性政策は?

アイルランドのヴァラッカー首相、辞意を表明 - BBCニュース


2024年3月21日
 アイルランドのレオ・ヴァラッカー首相が20日、辞意を表明した。統一アイルランド党(フィナ・ゲール)の党首を即日辞任し、次期党首が決定し次第、首相職からも退くとした。

 ヴァラッカー首相は記者会見の中で、首相として国を率いてきた期間は「人生の中で最も充実した時間」だったと述べた。一方、辞任は「個人的・政治的な」理由によるもので、自分は「もうこの職に最もふさわしい人物ではない」と述べた。

 ヴァラッカー氏は2017年、アイルランド史上最年少の38歳で首相に任命された。

 現在は共和党(フィアナ・フォイル)および緑の党との連立政権を率いている。

 この日、首都ダブリンの政府庁舎の階段で演説したヴァラッカー氏は、「失業から完全雇用へ、財政赤字から財政黒字へ、緊縮財政から繁栄へ」アイルランドを導いたと述べた。

 また、「子どもの権利、性的マイノリティーLGBT)コミュニティー、女性の平等と体の自己決定権に関して、この国をより平等で近代的な場所にできたことを誇りに思う」と語った。

 ヴァラッカー氏は2018年、人工妊娠中絶の合法化に向けた憲法改正についての国民投票を行った。

 また自身の功績として、保育へのアクセスを改善したことや、芸術・文化、国際開発、公共インフラへの政府支出を増やしたことを挙げた。

 ヴァラッカー氏は、「我々があまり成功していない分野もある」とも認めたが、「このような日には、その指摘を他の人に任せることを許してほしい」と付け加えた。


総選挙はしないと連立与党
 連立与党は、ヴァラッカー氏の辞意表明が総選挙に結びつくとは考えていないとしている。

 2020年の前回総選挙では、ヴァラッカー氏の統一アイルランド党は第1党から第3党に転落。その後、第1党となった共和党との連立協定の一環として、ヴァラッカー氏と共和党のミホル・マーティン党首とがそれぞれ2年間、首相の座に就くことで合意した。

 2020年にはマーティン氏が首相に任命され、ヴァラッカー氏が副首相を務めた。2年後の2022年、2人は役職を交代した。

 ヴァラッカー氏の辞任発表後、マーティン氏はこの決断に「驚いた」と語った。

 「この場を借りて、心から彼に感謝したい。我々は非常にうまくやっていた」と、マーティン氏は述べ、連立政権が任期を全うすることに変わりはないと述べた。

 連立政権で最も議席数の少ない緑の党のイーモン・ライアン党首は、ヴァラッカー氏について、「エネルギーにあふれた献身的な国の指導者であり、政府の同僚たちを常にサポートしていた」と語った。

 マイケル・D・ヒギンズ大統領は、20日の記者会見の直前にヴァラッカー氏から辞任の意向を伝えられ、会談した。

 大統領報道官は 「その際、大統領は首相の功労に感謝した」と説明した。

 これに対し、最大野党・シン・フェイン党のメアリー・ルー・マクドナルド党首は、下院での演説で総選挙を要求した。

 マクドナルド氏は、統一アイルランド党内の「コンクラーベ」によって次期首相が選ばれることは「考えられない」と述べた。

 「今こそフレッシュなリーダーシップが必要だ。首相の交代だけでなく、政府の交代、そして方向性の転換が必要だ」

 イギリス・北アイルランドのミシェル・オニール第一首相(シン・フェイン党所属)も、アイルランドは「選挙が必要な時期」に来ていると指摘した。

(英語記事 Leo Varadkar: I am no longer best man to be Irish PM

アイルランド共和国・北アイルランドに関する最近の記事

忘備録

2024.3.21

Siege days are over: how Northern Ireland came to lead the UK on abortion
包囲網の時代は終わった:北アイルランドはいかにして人工妊娠中絶で英国をリードするようになったか
The chilling atmosphere of pickets and protests at clinics has given way to a new ‘gold standard’ of care

Rory Carroll, Ireland correspondent
Thu 21 Mar 2024

The family planning advisers at Shaftesbury Square still remember the days of siege when anti-abortion protesters staked out the front and rear entrance of their office in central Belfast.

Some pickets would splash holy water on the doors and daub salt crosses on the pavement while others would thrust leaflets with pictures of babies and foetuses at woman entering or leaving the building, and sometimes follow them.

Continued: https://www.theguardian.com/world/2024/mar/21/how-northern-ireland-came-to-lead-the-uk-on-abortion


2024.3.6

Women's rights activists launch effort to expand abortion rights to EU level
European NGOs said they would launch a new initiative aimed at advancing reproductive rights.

By Lauren Chadwick
March 5, 2024

Women's rights activists across Europe are joining forces to push for a dedicated funding mechanism in the European Union to make sure that women in the bloc have access to abortion.
欧州全域の女性の権利活動家たちが力を合わせ、欧州連合EU)域内の女性が中絶を受けられるようにするため、EUに専用の資金提供メカニズムを設けるよう働きかけている

The movement called "My Voice, My Choice" was launched in Slovenia on Tuesday and brought together activists from several European countries including Spain, Finland, Poland, France, Croatia, and Ireland.
「私の声、私の選択」と名付けられたこの運動は、火曜日にスロベニアで開始され、スペイン、フィンランドポーランド、フランス、クロアチアアイルランドを含むヨーロッパの国々から活動家が集まった。

"We are organising at the European level to push the abortion issue forward," Marta Lempart, one of the leaders of the Polish Women's Strike, told Euronews Health ahead of the announcement.

Continued: https://www.euronews.com/health/2024/03/05/womens-rights-activists-launch-effort-to-expand-abortion-rights-to-eu-level


2024.3.5

Searching for Savita
Abortion bans are killing women. Where are their stories?
サヴィタを探して
中絶禁止は女性を殺す。彼女たちの物語はどこにあるのか?
JESSICA VALENTI
MAR 5, 2024
When Savita Halappanavar died in 2012, it was a turning point for abortion rights in Ireland. The 31 year-old Indian dentist was hospitalized when she was seventeen weeks pregnant and miscarrying. Over the course of three days, Savita begged for help again and again and was refused—even as her health rapidly deteriorated.
At the time, Irish law only allowed abortion when a woman’s life was imminently at risk. And even though there was no hope for her fetus, it still had a heartbeat.
Savita died of septic shock, in pain and surrounded by medical professionals who could have saved her life, but didn’t.
https://jessica.substack.com/p/searching-for-savita


以下はAIによるフェイク・ニュースだとする通知があった。
2024.2.24

Northern Ireland's Abortion Law: An Outdated Norm or a Necessary Protection?
北アイルランドの妊娠中絶法:時代遅れの規範か、必要な保護か?

Mason Walker
24 Feb 2024

The Conviction of a 21-year-old Woman
In a tragic turn of events, a 21-year-old woman in Northern Ireland has been convicted for terminating her pregnancy using abortion pills. This conviction makes her the first person to be convicted for illegal abortion in at least a decade. The woman pleaded guilty to 'unlawful procurement of miscarriage' under the Offences Against the Person Act of 1861 and was sentenced to a three-month jail term, suspended for two years.

The Desperate Dilemma of Unwanted Pregnancies

This case brings to the forefront the desperate dilemma faced by women with unwanted pregnancies in Northern Ireland. Legal abortion is limited, forcing many women to resort to dangerous methods such as drinking bleach or throwing themselves down stairs. It is also common for women to travel all the way to England for a termination.
21歳の女性の有罪判決
 悲劇的な出来事だが、北アイルランドの21歳の女性が中絶薬を使って妊娠を終了させた罪で有罪判決を受けた。この有罪判決により、違法な中絶で有罪判決を受けたのは少なくともこの10年間で初めてとなる。この女性は、1861年に制定された「人身に対する罪」に基づく「流産の不法調達」の罪を認め、2年間の執行猶予付きで3カ月の懲役を言い渡された。


望まない妊娠の絶望的なジレンマ

 この事件は、北アイルランドで望まない妊娠をした女性が直面する絶望的なジレンマを前面に押し出している。合法的な中絶は限られており、多くの女性は漂白剤を飲んだり、階段から身を投げたりといった危険な方法に頼らざるを得ない。また、中絶のためにはるばるイギリスまで行く女性もよくいる。

Continued: https://medriva.com/health/northern-irelands-abortion-law-an-outdated-norm-or-a-necessary-protection

2024.1.15

Lack of action on State's abortion law shows 'political cowardice'
国の妊娠中絶法に対する措置の欠如は「政治的臆病さ」を示している
MON, 15 JAN, 2024
CIARA PHELAN, SENIOR CORRESPONDENT

Social Democrats leader Holly Cairns said it will be “cruel” and “political cowardice” if the Government decides against removing a three-day waiting period to access abortion services.

Ms Cairns has called on Government to deal with the recommendations from the final review into the State’s abortion law, authored by barrister Marie O’Shea, which recommends significant changes.

Continued: https://www.irishexaminer.com/news/politics/arid-41309473.html

2024.1.1

Free contraception provision expanded in Ireland
アイルランドで無料避妊提供拡大
BBC
Mon, January 1, 2024

A scheme offering free contraception in the Republic of Ireland has been expanded. Since its launch in 2022, the programme has offered free contraception to women, girls and people who identify as transgender or non-binary.

Initially open to those aged 17 to 25, the scheme's age limit was increased last year to 30. From Monday, it is also open to women aged 31.

Continued: https://ca.news.yahoo.com/free-contraception-provision-expanded-ireland-084149291.html


2023.12.28

Blair told Mowlam to put abortion law reform ‘on ice’ 20 years before it was legalised in North
Prime minister’s private secretary wrote that Blair ‘sees little scope for bi-communal support for a change to the law’

Seanín Graham
Thu Dec 28 2023

Twenty years before abortion was legalised in Northern Ireland, British prime minister Tony Blair ordered Northern secretary Mo Mowlam to put her planned review of the restrictive law on terminations “on ice”.
北アイルランドで人工妊娠中絶が合法化される20年前、トニー・ブレア英首相は北アイルランドのモウラム長官に、人工妊娠中絶に関する制限的な法律の見直しを「凍結」するよう命じた
The Downing Street correspondence is contained in previously confidential files released this week in which Blair’s private secretary wrote that the “Prime Minister… sees little scope for bi-communal support for a change to the law and sees little advantage in embarking on a review.”

Continued: https://www.irishtimes.com/history/2023/12/28/blair-told-mowlam-to-put-abortion-law-reform-on-ice-20-years-before-it-was-legalised-in-north/


2023.12.18

Abortion: PSNI investigate safe access zone protest law breaches
妊娠中絶PSNIは安全アクセスゾーン抗議法違反を調査する
18th December 2023
By Elaine McGee, BBC News NI

The police are investigating up to 50 potential breaches of laws providing safe access zones (SAZs) outside abortion clinics in Northern Ireland. The zones came into effect in September at eight clinics in Northern Ireland.

More incidents were reported at Causeway Hospital in Coleraine than any other site, police figures show. That has prompted pro-choice campaigners and some local politicians to call for the zones to be extended by up to 250m (820ft).

Continued: https://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-67749785

「産める社会を! 産みたい社会を」と「中絶は女の権利」「産む産まぬは女が決める」

『資料 日本ウーマン・リブ史Ⅱ1972~1975』より

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編 松香堂出版 1994年

産める社会を! 産みたい社会を!=優生保護法改悪を阻止する全国集会に参加を
優生保護法改悪阻止実行委員会〉1973・6
産むも産まぬも女が決める!

産めない、産みたくない社会を背景としての中絶とは、子殺しの別称に他ならない。むろん、その罪は社会にこそある。……だからといって、〈こんな社会だから堕して当然〉〈胎児は、まだ意識がないから〉と称して、子殺しさせられるわが身の痛みを、女は合理化できない。合理化してはならない。

 生めない社会の悪を悪として追及する中で、女は切り刻まれる胎児と真向おう。女に子を殺させる社会は、むろん女自身も生かせない。次に殺されるのは我が身である、その事実を鮮明に意識下する中で、産める社会、産みたい社会をこそ創っていこうではないか!
 ――女が経済的にも精神的にも、生きるぎりぎりの選択として、中絶を選んでいるかどうか――それは女自身が己れに党ことであって、法が、その行為を裁くことはもとより、他者が推測し断罪すべき事柄ではない。……女たちよ今こそ叫ぼう! 産める社会を! 産みたい社会を!
(1973・6)

中絶は女の権利である エヴリン・リード(19735.23 大阪討論会)

 「産む産まぬは女の権利」というのは性差別を行っている男社会の中での主張であって、女が差別され生きがたい社会の中で女はその権利をもつというのです。……一般的に、いかなる理由にせよ望むときに女は中絶できる権利があるといっているのです。言うまでもありませんが、中絶は最後の手段であって、何よりもまず避妊でしょう。
(『女から女たちへ』No.8 1973・7)

〈マジョのコーナー〉わたしは中絶は女の権利だと思う……

 「中絶は女の権利である」ということばにためらいを感じる女が少なくない。「権利」の二文字にひっかかるのだ。でもわたしは「中絶は女の権利である」と主張したい。……中絶を希望する女に国家のいかなる干渉も不要である。


 「産める社会を! 産みたい社会を!」※のスローガンはあまりに抽象的で、無害で、わたしには「中絶は女の権利である!」の方がずっと具体的で現実的だと思われる。政府が中絶をさらに制限しようとしているとき、女は中絶の権利を主張するべきではないだろうか。「産める社会」であっても「産めない社会」であっても、のぞまない妊娠は起るから、女にとって中絶の自由派かならず必要なのであり、とりわけ産めない社会だからこそ、まず中絶の権利は女が確保しておくものだとわたしは思う。……妊娠は産むか・産まないかの二者択一であり、「産まない・産めない」場合には中絶しかないのである。中絶できないために女を自殺に追いこむことがあってはならない。性は生殖だけが目的ではない。胎む性の女には産む権利があると同様に、中絶する権利もあるのである。
 ……エヴリン・リードがいうように、「中絶は最後の手段」であり、女は誰もあの手術台にのぼりたいとは思っていない。…女の子宮の中でしか胎児が成長しないということは、女が希望するときにのみ胎児はこの世に生まれる可能性をえるのであり、その女を無視して「胎児は生きる権利がある」とは誰も言う資格はない。
 ……
 女が産みたいときに生めるような社会を! と同時に、女が産みたくないときには中絶できる自由を! 女の権利として主張したい。
(『女から女たちへ』No.9 1973・7)

※「産める社会を! 産みたい社会を!」
田中美津の「敢えて提起する=中絶は既得の権利か」(1972・10)以後、リブ新宿センターを中心に、「中絶は女の権利」のスローガンがこのスローガンに変わった。(p.326)

『資料 日本ウーマン・リブ史Ⅲ1975~1982』より

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編 松香堂出版 1995年

1982.8.29
’82優生保護法改悪阻止連絡会を結成
一、優生保護法改悪を阻止する
二、刑法堕胎罪・優生保護法の撤廃をめざす

82・11・3 優生保護法改悪反対集会基調報告 於東京・山手教会
’82優生保護法改悪阻止連絡会

 私達は、生む生まないの選択の自由は女の基本的人権であることを主張します。……
 私達はまず、堕胎罪の撤廃を要求します。
 また、優生・劣生と人間を差別選別し、その思想にもとづいてのみ女に中絶をさせる優生保護法そのものを撤廃させたいと考えます。

榎美沙子と中ピ連、そして秋山洋子と日本のリブ

秋山洋子による翻訳や論評

  • 女性解放運動準備会発行『女性解放運動資料Ⅰ アメリカ編』謄写版印刷の全48ページの小冊子。知る限りでは日本で最初のリブ資料。1970年夏ごろ。収録された「パンと薔薇」の訳者は中村敦夫、発行した女性解放運動準備会は川田雅子ら劇団俳優座の元団員などのグループ。「偉大なる苦力(クーリー)――女性」の訳者は秋山洋子。『リブ私史ノート』より。
  • シュラミス・ファイアストーン、アン・コデット『女から女たちへ アメリカ女性解放運動レポート』訳 ウルフの会・翻訳グループ(秋山洋子・榎美沙他)合同出版 1971年
  • ボストン「女の健康の本」集団『女のからだ 性と愛の真実』訳者 秋山洋子、桑原和代、山田美津子 合同出版 1974年
  • 「榎美沙子と中ピ連」『女性学年報』12号 日本女性学研究会 1991年
  • 資料構成「リブセンターへの手紙」加納実紀代「文学史を読み替える」研究会・編『リブという革命』インパクト出版会 2003年
  • 「東大闘争からリブ、そして女性学、フェミニズム」座談会 秋山洋子、池田祥子、井上輝子 司会:太田恭子・加納実紀代 ●中ピ連のこと 編集女たちの現在(いま)を問う会『全共闘からリブへ――銃後史ノート戦後篇(第8回配本 最終号)』 インパクト出版会 1996年 首藤久美子「優生保護法改悪阻止運動と「中ピ連」」


榎美沙子さんと秋山洋子さんに関して、故井上輝子さんが『日本のフェミニズム』に書いている。

中ピ連について
 他国と違って、日本では、生殖に関する自己決定権、ピルの解禁が遅れた。
 中ピ連中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)はリブではないと断定されて、評価されてこなかった。
 私は中ピ連の決起集会に参加もしたし、しばらく一緒に活動。ピルの副作用がどうであれ、女性の権利としての選択肢は必要との立場であった。代表の榎美沙子さんは、ピルや女性の身体について専門知識があった。確か3回連続で女性のからだについて講習会(代々木のセンターにかなり人が来た)を開いた。私も3日間参加。豪華講師陣で充実。これだけの講師を集められる榎さんはすごい。
 こうした女性の身体の講演は内容的にも充実していたが話題にならなかった。私は榎さんから高齢初産の注意点を聞いたり、タンポンの使い方を教わったりした。
 中ピ連の活動はもっと評価されてよいが、当時、中ピ連はリブ扱いされず、私の中ピ連について書いた文章がなぜ?と批判され、私は以後発言せず。
 なぜ中ピ連は嫌われたのか?
 私が榎さんと会ったのは、なんと懇話会の菅谷さんの紹介。「リブ関係でしっかりした人がいるから、井上さん、会っておいたら?」と言われてその日のうちに彼女のマンションへ。
 当時ではおしゃれなセキュリティつきマンション。電気つきポット。私生活については、今お金がないので、菓子関係の翻訳などしていますとのこと。このおしゃれさとプライベートなライフスタイルは、当時のリブからは嫌われただろう。
 この夜、ウルフの会の集まりがここであったので、そのまま私も残る。そこで、松井さんたちとも出会い、大学院生で、アメリカのリブの文献紹介をしているという秋山洋子さんが安保で一緒だった〇〇さんと判明。お互い苗字が変わっていたので納得。この時点で、私はウルフの会には入り込むべきではないと判断。すでにここで居場所を得ている秋山さんの場を侵すべきではない、と考えた。
 たしかに榎さんは感じが良くなかった。あるとき、今度一緒にテレビに出てほしいと言われてつき合った。私の役割は何かなと考えながら服など選んで参加。でも彼女一人で話っぱなっしで、私の役割はまるでなし。
 その後、ピルをめぐって、ウルフの会は分裂。だが実際には、榎と秋山の対立だった。他のメンバーはそれほど熱心にかかわっていない。
 秋山さんの『リブ私史ノート』で、榎批判がリブ内では定着した。製薬会社からの試供品の提供など、ふつうにありそうなこと。それほど榎さんを疑っても? しかし榎攻撃が強くなり、おつき合いもなくなった。
 1974年、田中寿美子さんに誘われてアメリカ旅行。そのとき、榎さんから電話あり。エヴリン・リードさん(全米アボーション協会代表)宛に、ピル問題のパンフを届けてほしいとのこと。当日、飛行場に若い人が届けにきた。
……
 帰国後、田中さんはリードさんのことを、懇話会会報等で紹介。ちょうどリードさんの本(『性の神話――女性解放の諸問題』)の翻訳も出る。私の疑問は、榎さんがリードさんになぜアプローチしたのか、彼女が全米中絶教会の代表だったからだけなのか第4インターとの関係か? 邦訳者は大原紀美子さんと三宅義子さん(なぜ邦訳したのか? 三宅さんが生きているうちに聞きたかった)。
 榎さん宅に行ったとき、ピンクヘル以外にもヘルメットあり、世界的団体との関係も多岐だったのかもしれない。
(2021.7.22 病院のベッドで)

「女の論理」と社会変革
 1972年5月のリブ大会を最後に、リブ運動の中核は、性格を異にする2つの団体に分裂することになる。すなわち「ぐるうぷ闘うおんな」を中心に設立された、リブ新宿センターと、優生保護法改正反対運動の中で誕生した「中絶禁止法に反対しピル解禁をかちとる女性解放連合」(略称中ピ連)がそれである。……
 優生保護法改正反対運動の方向性をめぐって、リブ新宿センターと中ピ連とは決定的な対立をむかえた。すなわち中ピ連が、「生む生まぬは女の権利」のスローガンの下、「女が自分の生き方を選択してゆくことを拒むもの、女に生むことを強制するもの」としての優生保護法および堕胎罪の解体を主張し、「確実な受胎調節を女の手に握ることが、中絶、出産の自由と共に、女がみずからの性の他からの支配から解き放たれるのに不可欠のテーマである」として、ピル解禁を要求したのに対して、リブセンターに結集する諸グループは、「女は中絶をしたくてしているのではなく、中絶をさせられているのだ」という認識に立ち、「産みたい……でも産めない!」「人間の住める社会で生きたい、産みたい」「子供が生まれても追い出されない部屋を」といったスローガンをかかげた。
 「”生む性”であるがゆえに、生むことに関する負担を一切その肩に負わされ、そのことこそが生活物資の生産に関わるにあたってのハンディとなり、はては生産労働からの締め出しをくう」(『ネオリブ』39号)という意味で、「生む性」を拒否する権利を確保することが、女性解放のための前提条件とする中ピ連の主張は、確かに一面ではリブセンター系のグループが批判するように、生むことに代わる何かをもちうる「エリート女」の主張としての側面を有する。だが他面、リブセンター系の諸グループのように、「生む権利」のみを強調することは、女性存在を「産む性」としてのみとらえる伝統的な女性観の中に女性を閉じ込め、ボーヴォワールのいう女の「性への服従」ないし自然への従属をうながすことも否定できないだろう。
 この問題は、単に優生保護法改正反対運動のスローガンをめぐる相違という以上に、女性解放の方向を定める意味でかなり主要な論点であり、十分な議論を要するテーマといえる。
 優生保護法改正案がいちおう国会で不成立になった後、リブセンター系諸グループは統一的運動目標を失い、再び各グループ単位の個別的活動へと沈潜していくことになるが、これに対して、中ピ連はますます活動性を発揮していくことになる。すなわち、一方では、あくまでも中絶とピルの問題を主要関心とし、医学講座やピルの自主販売を追求しつつ、他方では美人コンテスト会場に押しかけ、反対のビラをまくなど活動の幅を広げ、1974年には「女を泣き寝いりさせない会」を内部に結成し、離婚問題、結婚詐欺、少女暴行などで女性に対して不当なふるまいをしたとみなされる男性に直接抗議に出かけたり、さらに昭和50年には女だけの労働組合結成に力を貸し、労組婦人部ではない「女総評」の結成をめざすなど、多角的な活動に従事している。センセーショナルな闘争手段といい、リーダー榎美沙子のテレビや週刊誌における活躍といい、1975年現在のマスコミ報道をみていると、あたかも日本のウーマン・リブは、中ピ連に収斂したかの感さえも抱かれるほどである。
 だが果たして、中ピ連だけがリブ運動の嫡流といえるのであろうか。確かに、医学講座などを通じて女性の肉体の自己管理をすすめた…、結婚や離婚にとなって具体的に女性が悲劇的な位置におかれた実例を告発した点など、ウーマン・リブの中心課題としての「性の解放」運動を、実質的、具体的に推進した点で、中ピ連の活動は評価に値する。
 ウーマン・リブ運動がともすれば、刃を自己の内面に向けるあまり、社会の現実を変えていく力になりえない面をもっていたのに対して、中ピ連は、対社会的影響力を計算に入れた有効な運動を展開してきた。リブセンター系のミニコミや、そこに結集した女たちの発言が論理的であるよりは修辞的であり、ある者にとっては非常な感動をもたらすとはいうものの、他の多くの者たち(とくに男性やリブに無関心の女性たち)にとっては、伝達不能ともいうべき性格をもっているのに対し、中ピ連機関誌『ネオリブ』の文章は、リブ派以外の女性および男性の読解力に十分耐えうるものであるし、榎美沙子のマスコミにおける諸々の発言も論理明快で説得的である。こうした表現方法の総意は、コピーライター出身の田中美津と、理科系大学院出身の榎美沙子という両リーダーの経歴やパーソナリティに起因するところが大きいといえるが、それ以上にリブセンター系グループと中ピ連との運動の性格の総意を物語っているように思われる。
 中ピ連が他の婦人運動団体や政治組織と同様、いわば具体的目標達成のための団体であり、それ故、他者に対する説得性や、運動の効果を第一義に考えるのに対し、「ぐるうぷ闘うおんな」をはじめとするリブグループは、他者に対する働きかけ以上に、自己変革を意図するグループであり、それ故、自己にとってもっとも確かなてごたえのあることばであり、運動であることが第一義であって、他者や社会への顧慮は二の次となるのである。
 ……中ピ連がいわば、現に存在する女の実態に即して、その社会的存在形態の変化に着手したとすれば、リブセンター系の諸グループは、いわば「女の論理」を自己および社会に投げかけた点で、価値ある存在であろう。女の実態の実質的変革と「女の論理」の噴出とが、ともにウーマン・リブの重要な2つの遺産として、今後に受け継がれていくことを期待したい。

Evelyn ReedについてWikipediaから仮訳しました。

 エヴリン・リード(1905年10月31日-1979年3月22日)は、アメリカのマルクス主義者、トロツキスト、女性の権利活動家。

 2人の姉妹とともにニュージャージー州ヘイルドンで生まれ育ったリードは、まだ10代のうちにニューヨークに出て、1934年にロックフェラー・センターで行われた、有名なメキシコ人芸術家ディエゴ・リベラが描いた革命壁画の破壊に反対するデモに参加して、初めてあからさまに政治的な行動を起こした。作家志望のオズボーン・アンドレアスとの短い結婚生活の後、ニューヨークに戻るまでの3年間、アイオワ州クリントンで夫と暮らした34歳のリードは、1939年12月から1940年10月まで何度かメキシコを訪れ、亡命中のロシア革命家レオン・トロツキーとその妻ナタリア・セドヴァと過ごした。1940年8月にトロツキーが暗殺された後も、リードはナタリアのもとに滞在し、彼女を支援した[1]。

 1940年1月、コヨアカンのビエナ通りにあるトロツキーの家で、リードは社会主義労働者党の指導者であったアメリカのトロツキスト指導者ジェームズ・P・キャノンとも出会った。その後、リードはトロツキーの勧めで社会主義労働者党に加入した。リードはトロツキーと、彼女の個人的な計画、党における自分の立場、そして彼女を経済的に支援している姉との確執について話し合った。リードは死の直前まで、39年以上にわたって党の主要メンバーであり続けた[2]。

 1960年代から1970年代にかけて、第二波フェミニズムと女性解放運動に積極的に参加したリードは、1971年に女性全国堕胎行動連合の創設メンバーであった[3]。この間、彼女はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本、アイルランド、イギリス、フランスの各都市で、女性の権利に関する講演や討論を行った。

 フリードリヒ・エンゲルスとアレクサンドラ・コロンタイの女性と家族に関する著作に影響を受けたリードは、マルクス主義フェミニズムと女性抑圧の起源と解放のための闘いに関する多くの著作がある。リードの代表的な著作は以下の通り:『女性解放の問題』、『女性の進化』:母系家族から家父長制家族へ』、『生物学は女性の運命か』、『化粧品、ファッション、女性の搾取』(ジョセフ・ハンセン、メアリー=アリス・ウォーターズとの共著)など。

 1972年のアメリカ合衆国大統領選挙では、社会主義労働者党のアメリカ合衆国大統領候補として指名された[4]。3つの州(インディアナ、ニューヨーク、ウィスコンシン)のみの投票で、リードは合計13,878票を獲得した。1972年の主な社会労働党大統領候補はリンダ・ジェネスで、52,801票を獲得した[5]。

 リードは1979年3月22日、ニューヨークで死去、享年73歳。

「母体保護法指定医師の指定基準」モデルの改定について [現行・改定対照表]

2013年「技能」の要件が30例から20例に減っている。

[https://www.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20130424_2.pdf:title=母体保護法指定医師の指定基準」モデルの改定について [現行・改定対照表] ]


改定前の「2.技能」の項

(2)研修期間中に、30例以上の人工妊娠中絶手術又は流産手術の実地指導を受けたもの。ただし流産手術の数は半数以下にとどめるものとする。


改定後の「2.技能」の項

(2)研修期間中に、20例以上の人工妊娠中絶手術又は流産手術の実地指導を受けたもの。ただし10例以上の人工妊娠中絶手術を含むこととする。
 なお、指定医師でない医師については、研修機関で指導医の直接指導の下においてのみ人工妊娠中絶手術ができる。
(3)都道府県医師会の定める指定医師のための講習会(以下、「母体保護法指定医師研修会」という)を原則として申請時までに受講していること。

1984年アムステルダムで開かれた第4回「女と健康国際会議」で語られたこと

リプロダクティブ・ライツの始まり

Womens Global Network for Reproductive Rights

リプロダクティブ・ライツのための女性グローバルネットワーク
すべての女性と女児のための安全で合法的な中絶へのアクセスを求める25年の活動


イカ・ヴァン・デア・クレイ


 WIAは、リプロダクティブ・ライツのための女性グローバル・ネットワーク(WGNRR)のコーディネーター、アイカ・ヴァン・デル・クレイ氏とともに、1984年の設立以来、ネットワークの歩みを辿り、さらに挑戦的な未来を描く。


連帯の種

 WGNRRの歴史は長い。その起源は、主にヨーロッパ/社会主義フェミニストの女性たちが、情報と戦略を共有し、安全で合法的な中絶を求める闘いにおいて相互支援を見出すために集まったグループにあった。彼女たちは中絶の権利のための国際キャンペーンを結成し、ロンドンのグループによって調整された。当時ヨーロッパに住んでいたラテンアメリカの女性たちの影響を受けて、このグループは後に安全で合法的な避妊と不妊手術へのアクセスという問題を含むように拡大し、国際避妊・人工妊娠中絶・不妊手術キャンペーン(ICASC)と名前を変えた。

 1984年、ICASCは第4回国際女性と健康会議(IWHM)を開催した。アジア、アフリカだけでなく、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、北米からも女性が参加した。この会議で、組織をICASCからWomen's Global Network for Reproductive Rights(WGNRR)に変更することが決定された。この名称変更に伴い、焦点も変わった。避妊、中絶、不妊手術の問題に取り組むことに加え、そうしたサービスが女性に提供される背景にも重点が置かれた。写真はWGNRRより

 1987年にコスタリカで開催された次回のIWHMで、WGNRRのメンバーは、女性の健康に関する国際行動デーに焦点を当てた行動で、妊産婦の死亡率と罹患率に関するキャンペーンを開始することを決定した。キャンペーン開始の決定がなされた日を示す日付として、5月28日が選ばれた。

 この同じ会議で、多くの女性たちが妊産婦の罹患率と死亡率の分野で活動を始めるべきだと提案した。安全でない人工妊娠中絶による死亡は妊産婦死亡の重要な側面であるため、キャンペーンの焦点は人工妊娠中絶の合法化と決まった。しかし、いくつかの国の女性たちは、自国に中絶問題を導入する最善の方法は、妊産婦の死亡率と罹患率に取り組むことだと考えた。

 テーマは地域によって異なる性格を帯びており、地域の関与や行動もさまざまである。1990年、フィリピンのマニラで開催された第6回IWHMで、別のメンバー会議が開かれた。1990年、フィリピンのマニラで開催された第6回IWHMで、再びメンバー会議が開催された。その時までに、グローバル・ネットワークは成長し、アフリカ、アジア太平洋、東欧のメンバーが加わった。キャンペーンの今後の方向性について、幅広い方針が決定された。特に、政治運動としてのリプロダクティブ・ライツが再確認された。1988年から1998年にかけては、「妊産婦の死亡率と疾病率に関するキャンペーン(MMM)」が継続され、毎年、特定のテーマに焦点を当てた「行動の呼びかけ」が行われていた。

成長する木

 5月28日は、ますます多くの女性グループや国や地域の女性の健康ネットワークが、キャンペーンと女性の健康のさまざまな側面に焦点を当てた多種多様な活動を組織する日となった。テーマは地域によって異なり、参加する地域や活動もさまざまである。コーディネーション・オフィス(CO)は、地域活動の動機づけの役割を果たす。テーマの選定には、さまざまなグループとの協議、会議への参加、アイデアの募集などが含まれる。

 トピックは毎年変わるため、メンバーの関与の度合いは、それぞれの組織との関連性によって異なる。月28日だけに焦点を当てるメンバーもいれば、何カ月もその問題に取り組むメンバーもいる。例えば、ラテンアメリカでは毎年5月28日から9月28日まで中絶に焦点を当てた。妊娠中絶は、昔も今もこのテーマのひとつである。

 毎年、背景情報とキャンペーン資料が3カ国語で会員に送られる。何人かの会員は、率先して情報を自国の言語に翻訳している。月28日以降のキャンペーンの方法は、各国のメンバーによって異なる。キャンペーン資料には常に提案が添えられている。WGNRRは、会員がそれぞれの実情に合わせて活動を調整することを強く感じていたため、地域レベルで戦略立案が行われた。

 要するに、キャンペーンは国際、国内、草の根の3つのレベルで実施されると理解するのが最も適切である。各レベルのキャンペーン活動は、互いに補強しあい、強化しあっている。COが調整する国際レベルでは、全地域に共通または関連する問題を特定することに重点を置き、これらの問題に関する情報を収集、発信する。全国レベルのキャンペーンは、全国的なネットワークや団体が存在する場合は、それらによって組織される。草の根レベルは個々のグループによって組織される。

 MMMキャンペーン期間中、「行動の呼びかけ」は二度、安全な妊娠中絶に明確に焦点を当てた。1993年には「(違法な)中絶についての沈黙を破ろう」と呼びかけた。翌年は、"安全で合法的な中絶 "をテーマとした。カイロ会議のテーマのひとつであったため、中絶の問題は多くの国で報道され、一般市民にも広まった。行動プログラムには最終的に中絶の合法化を求める内容は盛り込まれなかったが、安全でない中絶が公衆衛生上の懸念事項であることは明記された。

 多くの国々で国際的な政治的、経済的、社会的な新自由主義政策が実施されていることを考えると、これらの政策を批判する方向にキャンペーンの焦点を絞り直す必要があることは明らかだった。
 カイロはまた、人口統計目標や家族計画に焦点を絞ることから離れ、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)と健康の視点に置き換えた。しかし、WGNRRのメンバーの中には、いわゆるカイロ・コンセンサスには批判的で、現場では言葉だけが変わり、実践は変わっていないと主張する者もいた。インドのメンバーなど、WGNRRの他のメンバーは、女性の健康が中絶と避妊の問題としてあまりにも狭く捉えられていることを懸念していた。WGNRRが「安全で合法的な中絶へのアクセス」に特化した別の「行動要請」を開始したのは、2007年のことであった。


現場からの戦略

 MMMは、地域会議と1997年の会員との最終会議を通じて評価された。そこで浮かび上がった本質的な側面は、参加団体が女性の健康の分野で活動している国々に 影響を及ぼしている政治的、経済的、社会的勢力を明確にする必要性であった。これらの勢力は、新自由主義の枠組みの中での民営化によって特徴づけられる。国際的な政治的、経済的、社会的な新自由主義政策が多くの国、特にいわゆる発展途上地域で実施されていることを考えると、これらの政策を批判し、女性の質の高い医療へのアクセスに与える影響を強調し、包括的でジェンダーに配慮した質の高い医療を受ける女性の権利を確保するために、キャンペーンに焦点を絞り直す必要性があることは明らかだった。写真はWGNRRより

 このため、WGNRRはキャンペーンの焦点を変更することにした。WGNRRは、妊産婦の死亡率と罹患率が依然として大きな問題であること、そして多くのグループがこれらの問題に取り組んでいくことを認識した。しかし、次の期間、国際行動デー・キャンペーンは、女性が質の高い医療を受けられなくしたり、そのような医療を受けられるよう要求できる健康と権利を弱めたりする国際的・地域的メカニズムを対象とした。

 2003年から2007年にかけて、「女性の保健医療アクセス・キャンペーン(WAHC)」が「人々の保健運動(PHM)」とともに開始された。このキャンペーンは、女性の健康の重要な側面に関する「行動の呼びかけ」を毎年発信した。女性が社会的平等を達成できるのは、適切なヘルスケア、セクシュアル&リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する権利と生殖の選択肢)、性的暴力からの自由を利用できるようになってからである。WAHCは現在閉鎖され、評価中である。中絶の犯罪化など、中絶をリプロダクティブ・ライツ(生殖に関する権利)と見なすことを妨げる障害を克服するのはかなり困難であるにもかかわらず、世界的なトレンドは、アクセス、安全性、合法性を高める方向にある。

 2007年には、「中絶」という言葉を口にすること自体がタブーであったため、行動喚起のための資料を使用することが困難であったと、何人かのメンバーが述べている。一方、2007年11月にニカラグアで開催された地域協議会では、WGNRRのメンバーが、中絶(治療的中絶を含む)を犯罪とするニカラグアの新刑法を強く非難する立場声明を発表した。安全でない人工妊娠中絶に起因する妊産婦死亡に関する公開討論を含む戦略も提案された。

 ニカラグアの新たな戦略計画には、中絶擁護研究所の設立が含まれている。


豊かな収穫

 2008年、WGNRRは新しいキャンペーン方法を設定する。過去の経験に基づき、現メンバーの意見を取り入れながら、WGNRRのキャンペーンを開始する一方、WGNRRメンバーの特定の関心事を既存のキャンペーンに統合する。新たな戦略計画のもう一つの側面は、中絶擁護研究所の組織化である。このアイデアは、2005年の国際女性健康会議で発案された。2007年にロンドンで開催された世界安全な妊娠中絶会議では、その関心が再確認された。

 戦術と戦略的アプローチは、研修生としての経験を持つメンバーと、学生としての経験から学ぶ必要のあるメンバーとの間で交換される。中絶領域で活動する多様なステークホルダーとの連携は、戦略的提携を通じて構築される。この新たな取り組みにより、WGNRRは、安全で合法な中絶への普遍的なアクセスを求める世界的な闘いにおいて重要な役割を果たすことができるだろう!

 アイカ・ファン・デル・クライは2007年2月からWGNRRのコーディネーターを務めている。彼女は、WGNRRの移行を確実にし、WGNRRを位置づけるための体制を整える一方で、WGNRRがグローバル・サウスを拠点とする、より参加的で活動的なネットワークになるよう取り組んでいる。アムステルダム大学、南アフリカのフォートヘア大学、パリのパリ第1大学で女性の権利に特化した国際法を学ぶ。過去にはオックスファム・ノビブ、UNDP、国際法律協力センターでの勤務経験がある。


 ところが1984年のアムステルダム会議に参加してきた日本のSOSHIRENメンバーは、この会議で「リプロダクティブ・フリーダム」という言葉に出合ったとくりかえし述べている。(たとえば、SOSHIREN 女(わたし)のからだからメンバー 長沖暁子「からだへの自己決定を否定する堕胎罪はいらない」We Learn2023年2月号 vol.826)

 アムステルダム会議が重要であるのは、そこでの議論から「生殖の権利(リプロダクティブ・ライツ)を求める地球規模女性ネットワーク(略称WGNRR)」が誕生したことであり、この時、「リプロダクティブ・ライツという概念の検討と、この概念が女性の性と生殖の健康を手に入れる力になりうるかという討議がなされた」*1ことである。この会議の成果を「リプロダクティブ・フリーダム」という言葉で括ってしまうのでは、焦点から目を逸らすことになってしまう。*2「女性の権利」「人権」として位置づけられたことが重要なのであり、またこの時に、「産まない権利」だけではなく「産む権利」も同時に肯定されたことに目を向ける必要がある。

ヤンソンは次のようにも書いている。

 本来リプロダクティブ・ライツは、個人が国家の人口政策に対して主張する権利であり、女性の自己決定権として女性健康運動の中から提唱されたものである。避妊をする自由と堕胎罪の撤廃を求め、子どもを産むことに関する決定権は国にはなく女性にあるとする考えにもとづく。女性の運動体は、国際的な情報を交換しながら、女性の健康を守るには中絶を倫理的に罰するのではなく健康尾問題としてとらえ、安全な医療行為と位置付けることが重要であると、各国政府や国連に訴えてきた。世界的な女性運動が進むなかで……国家によって性と生殖が管理される状態が女性の健康と声明をおびやかしているということがわかってきたからだ。こうしてリプロダクティブ・ライツは女性のものという主張が女性健康運動の核心にゆるぎなく位置するようになったのである。

なお、ヤンソンによれば、リプロダクティブ・ヘルスという言葉を日本に紹介したのは彼女であり1980年代後半のことだったという。「この言葉の限界を感じ、性の部分もカバーするために「性と生殖に関する健康」と訳した。」とある。

「グループ・女の人権と性」でわたしたちが作った小冊子『リプロダクティブ・ヘルスを私達の手に』(1990年)では、「性と生殖に関する女の健康」とした。

*1:ヤンソン柳沢由実子『からだと性、わたしを生きる リプロダクティブ・ヘルス/ライツ』国土社1997年

*2:ただしヤンソンアムステルダム会議でWGNRRが誕生したことには言及しておらず、この会議以前からあったかのような説明を書いている。たとえば、以下の下りである。「WGNRRはかねてから、リプロダクティブ・ライツとは「子どもを産むか否か、産むとすればいつ、だれと、どのような方法で産むかを決める女性の権利で、国籍、階級、民族、人種、年齢、宗教、障害、セクシャリティ、婚姻の有無にかかわらず、社会、経済、政治的に保障されるべきである」と定義し、この権利の実現を運動の目標にしてきた。概念の再検討がなされた理由は、女性運動から生まれたこのリプロダクティブ・ライツという言葉が、リプロダクティブ・ヘルスの保障との絡みで各国政府、国連などによって積極的に使われ始めたためだった。」

プレグランディンの産みの親とされる富永好之の懊悩と願い

1984年7月12日朝日新聞

連載「人工流産剤をめぐって」
鳥取大学の富永好之の発言

「恐ろしくなるほど」の絶大な効果におののき「こんな薬が世に出ていいのだろうか」と懊悩する一方で、「妊娠初期も許可されたら……もっと多くの女性が救われる」

月刊ウィラーン(公益財団法人 日本女性学習財団)2023年2月号(Vol.826)
研究レポート「経口中絶薬導入前に――中期中絶薬プレグランディンから学べること」