リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

フェミニストというのはプロチョイスだと思いこんでいる人が多い。だけど,実のところ欧米には,1970年代の初めからプロライフ・フェミニストと名乗る女性たちが存在している。中絶問題に関して,彼女たちは女性差別の問題として見るべきだという点ではプロチョイスと意見が一致するけれど,どのような意味で差別なのか,だからどうすべきかといった点では,プロチョイス・フェミニストとはかなり見解を異にしている。

以下,Gail Grenier Sweetによる文章(Gail Grenier Sweet編Pro-life Feminism: Different VoicesのIntroduction,1985)から翻訳・引用する。【仮訳 塚原久美】

中絶合法化は,重要な社会的病理の蔓延を覆い隠す傷絆創膏(バンドエイド)にすぎず,女性を「二流市民」の地位に押しとどめるものである。テクノロジーの成熟によって,中絶はかつてに比べてより安全で,より安く,「よりクリーンな」処置になった。だから女性たちはリプロダクティヴ・フリーダムを主張するようになった時,この新しく改善されたテクノロジーは,彼女たちをおびき寄せるために使われた。p.3

なお,上記の中絶のテクノロジーというのは,日本で中絶といえば常識である“掻爬”手術ではないことを指摘しておきたい。続いて,出産の医療化においても同様のことが起きていると筆者は主張する。

女性たちは,父親の立ち合い出産,アットホームな分娩室など,ある程度の妥協を獲得したが,ファミリー中心的なマタニティ・ケアと共に,〔超音波診断装置と胎児モニターなどの〕新しい産科学のテクノロジーが登場した。p.3

ここらへん,日本の“エコ・フェミ”の主張ともダブって見えてくる。

プロライフ・フェミニストは,環境主義者同様に,自然はそっとしておくべきだと信じている。だからといって,すべてのテクノロジーが悪だと言っているわけではない。人間的な知性と思いやりと組み合わせるなら,テクノロジーは世界の飢餓を無くすこともできる。だが抑制のきかなくなったテクノロジーは,私たちの身体の内側と外側の環境を破壊する恐れがある。p.4

「身体の内外の環境」にまで話が広がってしまうと,その要求は留まるところを知らない……。

プロライフ・フェミニストは,女性たちがこれまでずっと得られずにきた長年の獲得目標である自由を求める闘いをリードしてきた。彼女たちは究極の公正を求めている。女性たちが中絶という手段を通じて女性の生物学的アイデンティティを変更できるようにするのではなく,社会の側こそ女性の生物学的アイデンティティに従うべきだと要求しているのである。プロライフ・フェミニストは,部分的な妥協や女性の平等に対するリップサービス以上のものを社会に要求する。以下はその「要求事項」の一部である:

●生殖コントロールにおいて(男性と)責任を分かち合うこと
●安全で非堕胎的手段によるバースコントロールと自然な家族計画の方法に関する教育
●充分な女性向けおよび男性向けの出産育児休暇
●職業保障
●ジョブシェアリングやフレックスタイムなどの就業オプション
●年少の子どもを家庭で育てることを望む女性への支援
●家庭内で年長の近親者を介護する女性(しばしば独身である)への免税措置や補助金の提供
●離婚した親が一人で子どもを育てられるようにするための現実的に徴収が可能な養育費制度
●妊娠した独身女性が赤ん坊を産むことを可能にし,彼女たちが育児能力を学ぶことを支援し,彼女たちが福祉の環【生活保護から抜け出せなくなることを指す】に捕らえられないようにするために,彼女たちが教育を終了できるよう支援するコミュニティー・ベースのシェルター。
●多くの高齢女性が直面している貧困状態を緩和するような年金施策の向上。
介護施設で暮らす障害者や高齢者に対する人道的なケア。
●ターミナル患者に対するホスピスなどの選択肢。
●障害をもって産まれた乳児に対する医療。
●性暴力,近親相姦,幼児への性的虐待などを描いたポルノグラフィーを厳しく取り締まる法的措置。
家庭内暴力の被害者女性のためのシェルターや,女性への暴力や子どもへの虐待の加害者を助けるためのプログラム。
●低コストで高品質の育児プログラム。
●毒物を扱う工場における安全規則。
●妊娠した窮乏女性への栄養およびヘルスケア。
●障害をもつ子どもやその親への支援。
●子どものいる家庭,特にシングルペアレントが世帯主の家庭を差別しない住宅制度。
●未認可の薬の輸出によって弱い立場にある第三世界の女性たちを搾取することや,安全に使用できないような高価な製品を販売することをやめること。
●その他……。p.5

このように,もはやその要求は「女性」の問題に限らず,いわば全面的な世直しを目指すものになっている。こうした総合的かつ全面的な要求は,リブの女性たちが行き着いた「産める社会を,産みたい社会を」というスローガンを具現化したもののようにも見えなくはないけれど……。

本書で声を挙げているプロライフ・フェミニストたちには,全体の構図が見えている。彼女たちは,中絶は我々の心を硬化させ,我々の地球を破壊する複雑で多彩な社会的病理の一片であるということを認識している。その病理には,嬰児殺しや安楽死,死刑,戦争,公害なども含まれる。p.7

ここまで「我こそは真実なり」みたいな論調になってくると,ちょっとアブナイ感じがしてくる。ついでに言えば,プロライフ・フェミニストのあいだでも,自分たちが信奉し,提唱している「伝統的家族」や「あるべき女性像」から“自分たち自身”が離れてしまっている矛盾の指摘や,狂信的なプロライファーによる中絶医殺人事件への懸念などが出ているとも聞く。