リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

女性の生き難さ

Faye D. Ginsburgの"Contested Lives"に関するNancy (Ann) Davisの評論"The Abortion Debate: The Search for Common Ground, Part 1"より抜粋訳(p.537)。

女性たちの生活について二つの解釈を互いに突きつけあう中絶論争は、両者に共通した根源的問題、すなわち女性たちが賃労働と個人的な達成が生殖や母親業、育児と衝突するようなシステムの中で暮らしていることを見えなくする。このジレンマは中絶論争のすべての当事者が直面しているものだが、とりわけ女性の身体上であらわになる。この意味で、問題を二極化してしまうことには悲劇的な側面がある。

ここでいう二極とはプロチョイスとプロライフのこと。上記はGinsburgからの引用ですが、元論文でページを確認するのを怠ってます、すみません。Davisの言葉(私訳)では「プロライフとプロチョイスの運動家たちの『プロクリエーションの物語』は、どちらも未来の人々のウェルビーイングに懸念を示し、我々の社会の構造が相当に深く根本的に変革されねばならないという信念を共有している」とある。

「中絶」という一点では全く反対の立場にあるように見えるプロライフとプロチョイス二つの陣営に分かれた(ともにフェミニストの)運動家たちが、根源的に共通の問題を抱えているという指摘は当たっていると思うが、ミソジニーのプロライフはまた別の話である。