リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

一昨日書き込んだ「タイも水子供養が輸出された国だった」というのは間違いでした。3年前,金沢大学の清水邦彦先生の水子供養に関するゼミで,私が発表した以下の本の内容(第一部でタイの中絶状況を,第二部で韓国の水子供養を扱っている)を混同してしまったようです。その時のレジュメを載せておきます。

BUDDHISM AND ABORTION(仏教と中絶)
Damien Keown(ダミアン・ケオゥン)編
University of Hawai'i Press, 1999

第1章 はじめに

第一部
第2章 仏教国タイにおける中絶
第3章 バンコクにおける中絶と売買春
第4章 タイにおける中絶の社会医療的側面

第二部
第5章 日本における中絶:西欧にとっての「中庸」への道?
第6章 「水子供養に足を向けるしかない」:日本における死児の供養
第7章 韓国における中絶

第三部
第8章 パーリ語聖典と初期仏教思想における中絶
第9章 仏教と中絶:西欧的アプローチ
第10章 仏教と中絶:「中庸」はあるか?

==概要===============================
 仏教と中絶をめぐる9人の論考をまとめた本で、編者はロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのインド宗教の上級講師。『仏教倫理の性質と仏教とバイオエシックス』など、倫理問題の著書がいくつかある。Journal of Buddhist Ethicsの共編者でもある。
 第1章は本書の全体を概観しており、それに基づいて以下の内容をおおまかにまとめた。第一部では仏教国タイを素材にして仏教と中絶の関係をみている。人口6000万人のタイでは中絶率がアメリカの1.5倍にも上り、年に推定30万件の中絶がみられ、その大半が非合法的に行われている。中絶者の85%は既婚女性で、比較的経済力のある売春婦は中絶を選ばないという特徴がある。タイ仏教の中絶への態度を明らかにしてから、胎児異常やエイズとの関係についても考察を進める。タイにおいて中絶は仏教の「中庸」の思想において合理化されており、「人間の現実におけるグレイゾーンの中で、より悪の少ない方」だとみられる状況もあると指摘している。
 第二部では日本と韓国の状況について、特に水子供養をめぐって明らかにされる。水子供養が西欧にとって「中庸」という解決法を見いだす道ではないかというLiquid Lifeの著者ウィリアム・ラフレールの示唆を受けて、中絶を受ける当事者のパーソナルな側面がアンケートとインタビューを元に探究され、素人の目から見た水子供養の状況が明らかにされる。最後に中絶が合法化されている日本との対比として、中絶が非合法である韓国の状況が取り上げられる。人口4600万人程度でその4分の1が仏教徒である韓国において、中絶は年間100万件から200万件とも推察されており、仏教信者のほうが他の宗教の者より若干ではあるが中絶率が高いという。そもそもどの国でも仏教関係者の中絶問題への発言は少ない。韓国でもつい最近まで仏教関係者は沈黙を決め込んでいたが、1985年になってある仏教僧が中絶に反対する著書を出版して反対運動に乗り出した。1991年には別の仏教尼が水子の魂のために長い儀式を執り行うようになった。韓国ではキリスト教会関係などが未婚の母のための施設を提供しているがその数は非常に少なく、オルタナティブがない。仏教関係者はそうした施設を提供しておらず、そうした領域での福祉問題が生じている。
 第三部では、上記の論考を経て、南アジアの小乗仏教北アジア大乗仏教との違いが検証され、テクスチャル&規範的な分析が展開される。初期仏教のパーリ語聖典によれば、胎児は受胎の瞬間から人と解されており、中絶は悪に他ならない。しかし、仏教には複数の「道徳的ロジック」があり、「徳の倫理」によって中絶の「悪」は緩和されている。最終章では、仏教における「中庸」の概念が再検討される。これを中絶論争の解決にそのまま持ち込むことの困難を論証した後、仏教の本来的な思想ではなく、日本や西欧の「リベラル」な仏教に妥協の鍵を求める可能性が示唆されている。
 最後に本書の限界として、地域的に偏りがあること、仏教倫理に関する研究が少ないことと、研究を進める必要性が指摘されている。
(塚原久美 (c)2003,2006)