リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

スロヴァキアやスロヴェニアの中絶法(の英訳)では,artificial termination of pregnancyという言葉が使われていることに気づいた。もしかしたら日本の「人工妊娠中絶」という言葉も,1948年時点で中絶を合法化していた(あるいは中絶合法化をした経験のある)国々の言葉に基づいているのではないだろうか。そういえば,ロシア語で中絶を何と言うのかも分からないし,調べたこともない……。

ついでなのでソ連の中絶合法化→再禁止→再合法化の流れを手持ちのメモからざっとまとめておく。(典拠について詳しくはあとで加筆修正予定。)

1920年ソ連は「堕胎自由化法」で中絶を合法化した。11/18 新生ソビエト人民委員会「健康と正義部会」が、中絶は希望するすべての者が医療機関で無料で受けられると発表した。ただしソビエト医療機関の医師以外が行なった場合は、人民裁判にかけられた〔ローゼンブラッドp.96-7〕。医学的理由のみならず社会的理由を認めたことがドイツ人医師たちの熱い議論の的になった〔Susan Gross Solomon1992〕。レーニンの「産むか産まないかを決定する自由=生存の基本問題を自ら決定する女性の権利」という考え方に基づく〔中谷瑾子『21世紀につなぐ〜』1999:122〕。特に妊娠初期の10週以内は女性のオンディマンドとされた。

1927年,真空吸引法vacuum suctionがソ連で発明された〔Joffe1995:43〕。

1936年,スターリン政権下のソ連は,「堕胎禁止法(家族保護法)」で中絶を再び禁止した(1918年に合法化されていた=中谷瑾子によれば1920年「堕胎自由化法」で解禁……このズレはおそらく法制定の年と実施年の違いだろう)。理由は、1920年代後半の飢饉によって地方人口が激減したため。「国家の繁栄がその弁明となった」〔ローゼンブラッドp.99〕。

1955年,コロンタイの活躍で再度合法化(中谷瑾子によれば1954年に再度合法化……このズレも同上か?)。グリセズは,この新しい法令は「戦争による損失を埋め合わせるために人口増を狙ったもの」とする〔ローゼンブラッド〕。「人口政策,ドイツとの国際緊張関係などの状況下で,再び可罰的なものにした」〔中谷瑾子, p.122〕。