リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

中絶の訳語は?

先日、某学会のワークショップで、比較的若い女性の研究者が人工妊娠中絶を指す文脈において「堕胎」という言葉をくり返し使っている場面に遭遇した。その言葉の間違いを正すことは、文脈的に必要ではなかったので、わざわざ質問者として立って指摘することはなかった。終了後も、他の先生とお話ししているうちに彼女を見失ってしまい、話す機会を持てなかった。

そこで、改めて「堕胎」と「中絶」という言葉の区別をつけておきたい。

結論から言えば、「堕胎」と「中絶」は同義語ではない。この混乱は、英語のabortionがより広い意味をもっていることに端を発している。英語のabortionは、「堕胎」「中絶」「流産」のすべてを意味することができ、厳密に区別したければ、それぞれ順に「illegal abortion」「elective abortion」「spontaneous abortion」と表現する。

「堕胎」と「中絶」は、違法性/合法性で区別される。「堕胎罪」という言葉はあるが「中絶罪」という言葉がないことも(誤用されることさえないのは)、その根拠のひとつだ。実際、「堕胎」という言葉は明治刑法策定時にフランス語のavortementの訳語として採用されたもので、当初から違法性および危険性の含意がある。(それ以前は、「コオロシ」などと呼ばれていた。)

「人工妊娠中絶」というのは、戦後日本が優生保護法によって合法的に行えるようにした際に、「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に胎児及びその附属物を母体外に排出すること」と定義して採用した言葉である。人工妊娠中絶を直訳するとartificial termination of pregnancyで、スティグマの少ない言葉として女性の権利や健康の観点を重視する人々が好んで使うTOP(termination of pregnancy)と同系列にあると考えられる。(なお、日本が優生保護法を立法した1940年代に唯一中絶が合法だったソ連圏の国々の英訳文献で、やはりtermination of pregnancyという言葉を見たことがあり、そちらから借りてきた可能性もある。)「中絶」は「人工妊娠中絶」の略だが、しばしば「妊娠中絶」「人工中絶」などと別の略し方をされることもある。いずれにしても、最初はTOP同様に、非合法ではなく、比較的安全なものだという含意があったのだろう。そう考えると、1960年代頃まで中絶に対して日本国民のあいだでほとんど「罪の意識」がなかったことも理解できる。しかし、「中絶反対運動」などによる「堕胎」との関連付けや概念の融合(実際には混同なのだが)を通じてスティグマが付与されていき、今では学者のあいだでさえ、しばしば混同が見過ごされるような状況になっている。

一方、abortionという言葉を用いている国々において、この言葉はある種の自己同一性を保ち続けている。キリスト教では基本的に、神に与えられた生命(の萌芽であれ何であれ)を摘み取ること自体が「罪」だという考えに立っているので、その摘み取り行為がどのように行われるか(後ろ暗い犯罪めいたものであるか、合法的な医療の一部で行われるものか)は、最終的にはあまり関係がない。一般にキリスト教では、神に与えられたあるがままの自分を受容し、自分の分を超えた欲望をもつことも望ましくないこととされているらしい。つまり、女は孕む性としての自分を受容し、神に与えられた機能(妊娠・出産)を果たすべきだといった女性観があって、それに反することが「罪」だとされているようなのである。

博論では少し触れたが、日本の場合、「堕胎」の「罪」とは、神に与えられた「生命(の萌芽)を摘み取る」ことへの畏れというよりむしろ、多分に儒教的な観点による「産まない女」への非難が込められていたようなのだが、そこらへんのことはまだまだ理解されていない。追究すべき論点のひとつだと思う。

なお、博論を出版してくれるところが決まりました。まだまだ粗い研究だとは思うけど、議論の発端にするために、早く修正して刊行したいです。