リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

中絶の身の上相談

ネットのあちこちに「身の上相談」的なサイトができてますよね。そのなかで、切迫した、目の前の意図せぬ妊娠への対処について相談している方々が、しばしば見受けられます。

ところが、その多くが、反・中絶的なコメントで批判され、中傷され、攻撃され、苦しめられているような感じがしてなりません……見ててつらいです。

そうした「相談」への回答で使われる論理の基本は、「中絶は胎児殺し、子殺しであり、非道である」といった決め付けです。今あるすべての能力・資力・可能性を全放出してでも、「母親」になった限りは「わが子」を守るべきだ・・・という「母性本質主義的」な意見があちこちで強弁されています。

(ただし、受精の瞬間の胚と、誕生寸前のほとんど「赤ん坊」である胎児をすべて同一視して「胎児」と呼び、「中絶は胎児殺し」と言うのは、どうかと思わないではありませんが。)

一方で、誰から見ても「育てる」ことが危ういような、ごく若い当事者(中高校生)年、貧困(収入なし)で同じ悩みを持っている方々には、「本当に育てられるの?」「子育ての責任も考えて」「大丈夫?」といった問いが投げかけられたりもしています。

でも、妊娠という事態は、それぞれの人にとって、非常に個別的な事情をもたらすものではないでしょうか? 一律に年齢、収入、子への責任感だけでは決められないはず。とても微妙で、個別的な配慮の末に、「これしかない!」と選ぶ人がほとんどでは?

たとえば、妊娠した相手との関係性(どれだけ“責任”を取ってくれるような男性か?)と、その相手の意向というものが、いやでも関わってきますよね。相手(男)が産むのに反対で、自分(女)が産みたければ、産んだ後の育児(ほぼ20年)を女が自分ひとりが担っていかなければならないことまで、覚悟しなければなくなります。(わたしが知っている女性で、少なくとも3人が、そうした事情で、泣く泣く中絶を選択しました。)まだ生涯のパートナーも確定できておらず、自分自身の職業的な展望(キャリア)も打ち立てたとは言いがたい20歳前後の女性に強制するのは、あまりにも酷ではないでしょうか。

でも本当は、何歳で、どういう状況であろうと妊娠すれば、あとは国が守ってくれる・・・なぁんて状態があれば、話は全く別なんですけどね。

日本の場合は、妊娠したのも自己責任、産んで子育てするのも自己責任としているのだから、少子化になるのは当然かもしれません。