リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

SOSHIRENで分科会「産まない選択」開催

この日、刑法・堕胎罪の撤廃を求めているグループSOSHIRENの「女(わたし)のからだ合宿」に参加し、分科会「産まない選択」を昼夜二回のセッションで開いた。

「産まない選択」というタイトルがミスリーディングだったようで、分科会説明の中には「中絶」と明記していたのに、「生涯子供をもたないつもり」の女性たちも参加してきて、「中絶の話だったの?」と驚かれてしまったことに、こちらもびっくり。だけど話していくうちに、中絶の問題も子供をもたないことで周囲からいろいろ言われる問題も、根っこには「母性」があるなぁ〜ということを、改めて考えさせられた。

夜の会は少人数でいろいろ話したが、「日本の中絶技術・ケアが世界とかけ離れている!」という話が一番盛り上がった。なぜ日本の中絶医療は遅れたままなのか……中絶のタブー視、罪悪視によって女性たちが沈黙させられてしまうことの問題性、語る場のなさ。「中絶したということは話しても、どんな風にしたか、どんな扱いを受けたかなんて話したことがない!」と言った人もいた。女性同士が情報を共有することのたいせつさを感じた。

日本は明治期に近代医学が入ってきて以来ずっと今でも基本的に全身麻酔・掻把(D&C)で中絶が行われているが、諸外国では女性運動が中絶の権利を獲得していった1960年代から70年代にかけて、合法化と同時に「吸引法」と呼ばれる機械で吸い取る方法が広まった(この方法が広まったことが合法化を促したとも考えられる)。

分科会では、1970年代にアメリカの中絶クリニックで働いていたという女性が、日本とは全然違うアメリカの中絶医療現場の様子を証言してくれた。きちんとカウンセリングを行い、清潔で明るい処置室で、局所麻酔を施し、施術を受ける女性に声をかけながら、機械を使って、短時間で処置をする・・・映画「スリーウイメン」でシェール演じる女性医師が演技してみせるような洗練された施術は、「血塗られた器具で胎児を掻き出す」といった薄暗いイメージとは非常にかけ離れている。

女性に対してサポーティヴな中絶医療が行われていること自体が、日本とは全く別の「中絶観」を醸成しているのだとも考えられるだろう。「中絶=abortion」ではなく、「中絶=TOP=termination of pregnancy」だということを再考すべきだ。