リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

2006/10/8の私のからだから合宿で,いくつか重要な質問を受けました。なかでも非常に問題を感じたのは,「製薬会社を儲けさせるだけで女性の健康にとっては害がある」――言い換えれば「ミフェプリストン(RU-486)は危険」だと誤解されていることです。

もちろん,わたしは医師でも薬剤師でもないので,この薬が本当に安全かどうかの最終的な判断など下せません。しかし,世界の動向がこの薬の安全性を保障していると考えています。*1

ただし,先にひとつ確認しておきたいのは,わたしが「ミフェプリストンによる中絶を広めるべきだ」と考えているわけではないということです。中絶は行なわないに越したことはありませんが,どうしてもしなければならない事情の人がいる限りは,よりリスクや負担が少ない選択肢が提供されるべきだと考えています。女性のリプロダクティヴ・ライツは守られるべきだからです。

前にも述べましたが,リプロダクティヴ・ライツの二大構成要素は,自分のリプロダクション全般にまつわる意志決定において個人の意志が尊重されることと,その決定を保障するリプロダクティヴ・ヘルスケアを受ける権利が尊重されることです。このリプロダクティヴ・ライツに照らせば,ごく初期の中絶を可能にするミフェプリストンや手動吸引などの処置は合法的に提供されるべきです。

さて,わたしが上記でミフェプリストンと手動吸引という2つのごく初期の妊娠期における中絶方法を挙げた主な論拠は,WHOがこの2つを妊娠初期における安全な中絶方法として指定していることです。なお,この2つの方法は,「生理が来ない」からと妊娠判定薬を使って,妊娠に気づいた段階で,即,使えます。「生理が1週間遅れた」ときはまだ妊娠5週目*2に入ったばかりで,まだ“胎児”ではなく,“受精胚”と呼ばれる段階です。言葉が異なることには意味があります。それは単に小さいだけではなく,人間らしい姿をしていませんし,まだ“つわり”などを引き起こすこともなく,仮にこの時点で自然流産しても,「遅れていた生理がきた」としか思わないような段階なのです。

(ところが,判定薬で妊娠を確認して産婦人科に行っても,従来のD&C(掻爬)と呼ばれる方法しか用いていない医師のなかには,「まだ早すぎるから3週間後にもう一度来てください」などと言う人が少なくありません。ミフェプリストンや手動式吸引法,機械式の吸引法だったら,妊娠5週でも使えるのに! 最初から中絶する決意を固めている人にとっては,医師が当事者の苦悩を引き延ばしているとさえ言えるのではないでしょうか。)

世界ではミフェプリストンの安全性は確認されたというのが合意事項です。ところが,合宿の分科会の二次会に来てくださったSOSHIRENのあるメンバーは,1991年に発行されたRenate KleinらによるRU 486 Misconceptions Myths and Moralsを論拠に,「ミフェプリストンの危険性」を主張なさいました。彼女の発言が誠意に基づいていたことは分かっていますが,これは大いに問題だと私は思いました。Renate Kleinさんは,『不妊』という分厚い本が訳されていることで日本でも名前を知られています。ところが,じつはこの本は,わたしが以前,簡単に調べて,これ以上踏み入る必要はないと判断して読んでいなかった本でした。それはこの本を批判する評を読んでいたためでもありますが,それだけではなく,仮に1990年代初めの時点でRU-486の安全性に疑いが持たれていたとしても,その後,1990年代後半になってWHOが安全性を保障し,プロライフの反発が非常に強かったために導入の際にミフェプリストンの安全性を徹底的に吟味したアメリカのFDAでさえ,結局はその安全性を認めざるをえなくなり,ついに2000年に合法化されているからです。

今回,改めて,Renate Kleinさんのことを調べてみたのですが,彼女はどうやらこの薬が危険だと心から信じているようです。この冬にも,オーストラリアでRU-486の危険性に警鐘を鳴らす意見を発表しており*3,「オーストラリアの女性は自分で判断できないほど情報を与えられていないのか」という反論を受けています。

個人的には,Kleinさんのようにいくら周囲から反対を受けても信念を主張しつづける方には敬意を感じますし,実際,彼女の言い分のなかには尊重すべき点がいくつもあるのだと思います。しかし,こうした国際的に見れば,ごく少数の偏った意見を論拠にして,ミフェプリストンは危険で,製薬会社を潤すばかりだと判断するのは危険でしょう。しかも,その判断を鵜呑みにして,それを根拠に日本に導入してはならないと主張したり,それに反する考え方――しかも世界の合意事項でさえある考え方――の導入を阻んだりするのは,間違っていると考えます。

中絶するかどうかばかりではなく,中絶すると決めた場合に,どんな方法を選ぶかも,基本的に当人が決めることです。少なくとも,それが“基本”であるべきです。

これと同じ問題が「吸引法」についても起きています。すなわち,ごく一部の人々が吸引法は危険だという思いこみをもっているがために(あるいは,その意見を支える少数の――しかもたいていは古い――論拠を捨てないために),「吸引による中絶は安全だ」という国際的な了解事項が日本には紹介されてすらいないという事実です。

冒頭で,ミフェプリストンと並んで,わたしは手動吸引法があると指摘しました。ここのブログや理系フェミのブログをずっと読んでくださっている方々ならご存じのDel-Mなどを使った方法です。この方法がWHOで推奨されているという事実でさえ,日本ではさっぱり知られていません。なにしろ日本では,機械式の吸引法すら用いず,未だに(中絶週数が遅くなり,全身麻酔を併用するがゆえによりリスクが高くなっている)掻爬という方法を用いている産科医が少なくないのです。WHOが手動吸引法を推奨していることを知っていた産婦人科の先生も,「それは発展途上国で使われる方法だ」とおっしゃったりするしまつです。じつはこの方法は,最近になって,安全性の面でより優れているとして,先進国でも見直しが始まっているのですが,そのことはご存じありませんでした。日本では中絶は「合法的で事故なくできればいい」とだけ考えられているようなのです。より安全な方法の追求はほとんどなされてきませんでした。

ニューズウィーク日本版の「医療鎖国ニッポン!?」には,中絶医療を含めるべきでした。明らかに中絶医療は,他の国々と日本の医療レベルが極端に違う事例のひとつです。諸外国では1970年代の中絶合法化以来,中絶といえば局所麻酔のみで診療室で行える吸引法と呼ばれる比較的手軽な処置のことだと思われてきました。1980年代には,フランスで開発される妊娠のごく初期に人工的に流産を引き起こすRU-486という名の薬が開発され,1990年代をかけて多くの国々がこれを合法化し,プロライフの反対の強かったアメリカでさえ2000年に解禁されました。2003年にWHO(世界保健機関)が発行した「安全な中絶」という報告書のなかでも,初期中絶については吸引法とRU-486が最も安全だと明記されています。ところが日本では,半世紀以上も,よりリスクの高い全身麻酔を用いて,掻爬と呼ばれる旧態依然たる外科手術が延々と行なわれ続けてきました。WHOの報告書では,掻爬は他の安全な方法が採れない場合の代替策でしかありません。なのに日本では他の国々とは違って吸引法が常識になっていないばかりか,ミフェプリストンの輸入は禁止され,解禁に向けた議論さえ始まっていません。さらに,他の先進国ではルーチンとなっている中絶カウンセリングや精神的なケアも皆無です。敗戦後,日本は人口政策のために世界に先駆けて中絶を合法化しましたが,今や,世界に名だたる中絶後進国になっているのが実態です。

*1:アメリカで起きている死亡事故は非常に数が少ないばかりか,単純に薬の副作用とは思えない他の要因があると考えられますが,今回は触れません。

*2:これも誤解されることが多い点ですが,産科学の妊娠週数は“前回の最終月経開始日”からカウントするため,受精の時点ですでに2週目になっています。妊娠5週目とは前回の最終月経開始日の翌月の第2週目にあたり,受精の時点からカウントすると満3週を過ぎた頃になります

*3:ただし,技術に対して非常に懐疑の強いクラインさんでさえ,この中絶薬の代わりに「吸引法」を推奨しています