リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

女性への無関心と蔑視

第2回IWACで感じたことをまた一つ。IWACのPlenary sessionsの中でおそらく最も強烈なスピーチをしたのは、David A. Grimes博士です。テーマはなんと女性差別。タイトルは"Misogyny and Women's Health(女性蔑視と女性の健康)”でした。タイトルに発表内容のPDFをリンクしたので,参照してください。

2006年のthe Lancetに掲載され、WHOのReproductive Health Report 4に再掲されたGrimes博士等の論文"Unsafe abortion: the preventable pandemic*"は、次のように述べています。

Access to safe, legal abortion is a fundamental right of women, irrespective of where they live. The underlying causes of morbidity and mortality from unsafe abortion today are not blood loss and infection but, rather, apathy and disdain toward women.

私訳:安全で合法的な中絶にアクセスできることは、どこで暮らしているかに関わらず、女性の基本的権利の一つです。安全でない中絶による死亡や傷害の根本的原因は失血や感染症ではなく、むしろ女性に対する無関心と蔑視なのです。

海外との比較、特に他の発展途上国との比較において、日本は「安全に中絶できる国」だということになっています。しかし、日本の産婦人科の事故に占める中絶事故の比率は決して低くありません。(しかもその多くが掻爬術に関連しているようです。)「日本人は器用だから事故が少ない」といった言い訳もよく聞きますが、「掻爬術の方が望ましい」という科学的根拠(エビデンス)は見当たりません。

合法的に行われる中絶であれば、安全に、かつ尊厳のある形で行われなければなりません。今や世界では、中絶薬と吸引法(特に初期の場合は手動吸引法)が最も安全だとされており、それは世界の産婦人科医たちがエビデンスを重ねてきた結論なのです。なぜ日本では、客観的なエビデンスを元により安全であると世界の医師たちが合意している中絶方法(中絶薬使用、手動吸引を含む吸引中絶)が導入されないのでしょうか。疑問と、強い憤りを感じます。

また、より良い医療を導入するのは医師の務めであるはずです。日本の産婦人科医が(吸引手術などで)今も使用している金属製のカニューレは、世界ではもう廃れており、より安全で簡便なプラスチック製カニューレが1個わずか1ドル少々で出回っているそうです(消毒無用の使い捨てのタイプと、消毒は必要だけど複数回使用可のタイプがどちらも廉価で提供されています)。

会場で見たのはiPASのカニューレです。ネットで写真を見つけられませんでしたが、"Karman cannula"で検索すれば、同類のカニューレの写真が出てくるかと思います。(ちなみに、Karmanとは1960年代に中絶用プラスチック製カニューレを開発したアメリカ人心理学者の名前で、現在はその改良型が普及しています。)

中絶薬が未認可である今の日本で、もしまだ外科的手術を続けるのだとしても、WHOによれば掻爬よりも吸引に移行すべきであり、機械吸引だけではなく、シリンジ型の道具を使用し、より簡便でより安全な手動吸引の導入も図る必要があるし、リスクの高い全身麻酔ではなくより安全な局所麻酔に移行しなければなりません。そして、近未来的には、国際的に安全性が確認済みである中絶薬処方による初期中絶(内科的中絶)を導入していく必要があります。日本の産婦人科医の皆様に、ぜひとも検討していただきたいです。

この国に生まれたことで、日本の女性たちが世界的に二流の医療で我慢させられるというのは不当です。しかも日本の場合、経済的に導入が困難なわけでもなく、宗教的な禁忌も強くなりません。そうだとすれば、日本の場合も、中絶医療の遅れは女性への無関心と蔑視に基づいていそうです。

さらに女性差別撤廃委員会からも、日本は女性のメンタルヘルスにもっと留意すべきだとの指摘がなされています。日本の中絶医療では、事前にきちんとしたインフォームド・コンセントを行うことや、術前術後のカウンセリングを行うことも定着していません。医学教育のなかでも中絶ケアはなおざりにされているようですが、もっと女性たちのメンタルヘルスに配慮することもしっかり教えるべきです。それを可能にするためには、「中絶」を罪悪視したり、タブーにおしこめたりするのではなく、もっと広い視野でこの問題を捉え、率直に語り合える場を醸成していく必要があります。