リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

1949年優生保護法改定について

第5回国会 衆議院 厚生委員会 第20号 昭和24年5月16日

谷口弥三郎参議院議員
 第十三條の第三号に、生活が窮迫状態に陥るものとしてあげてありますのは、もちろん経済的関係も大いに加味しておるのでございますが、実は前回の優生保護法をつくりました当時に、やはり貧困というのを入れることがきわめて必要であるということも考えたのでございますが、その当時におきましては、貧困というようなことを人工妊娠中絶の適應症にしておる所は世界中どこにもない。何かスエーデン、ノルウエーでその前年の國会に貧困を適應として出したところが、國会で否決された。從つてそれを加味するために、それをカモフラージするために、ほんとうに貧困であれば、母体も妊娠中に十分な栄養がとれぬから健康を害するだろうというようなところから、健康を害する者というのを貧困のかわりに入れて通過をしておるということを聞いておりますので、実はそういうようなものを加味させて、第二國会のときには出したのでございます。ところがその後の情勢からいたしまして、どうしても経済的方面も一緒にはつきりと書いてくれ、そうせぬと現状においてはどうしても末端において非常に困るからというような要望が非常にありましたので、母性保護という立場だけではいくらか——むろん不十分とも思いますけれども、やはり生活が著しく窮迫状態になれば、母体の健康もそううまくは行かぬだろう。ことに生れる子供の養育の点において非常な心配があるだろうというようなことを加味いたしまして、これは單に母性保護というのみではなしに、ただいまお話になりましたような、いわゆる生活問題、経済問題をかなり取上げて一緒に加えたような次第でございます。

スウェーデンについては1938年法で中絶が合法化され、1950年には「社会医学的事由」での中絶も認められるようになっている。


ノルウェーについては、1956年頃まで「社会医療的理由」による合法的中絶はなかったようだ。

ABORTION LAW: THE APPROACHES OF DIFFERENT NATIONS by Ruth Roemer, LL.B.

図1は、1950年から1963年までのフランスとオランダの妊産婦死亡率の推移を、デンマークノルウェーのそれと比較したものである。1950年には、4カ国とも妊産婦死亡率はほぼ同じであった51。当時、そして対象期間全体を通して、フランスとオランダは非常に限られた理由でのみ治療的中絶を認める制限的な法律であった。1950年当時、デンマークノルウェーの法律は、わずかに自由度が高いだけだった。しかし、1956年にデンマークの法律は社会医学的な理由を含むように拡大され、ほぼ同じ時期にノルウェーでもそのような理由に方針が変わったが、ノルウェーの法律として成文化されたのは1960年になってからだった。1955年までの妊産婦死亡率は4カ国ともほぼ同じ割合で減少していたが、1963年にはデンマークノルウェーの減少率がフランスとオランダのそれを大きく上回ったことは重要なことである。中絶法が厳しい国では犯罪的中絶が妊産婦死亡のかなりの割合を占めることが分かっているので、北欧諸国の妊産婦死亡率低下のかなりの部分は、中絶法が自由化された後に犯罪的中絶への依存度が低下したことに起因すると考えるのが妥当であろう。スウェーデンデンマークフィンランドの法律のさらなる自由化は、1967年秋にポーランドチェコスロバキアの法律を研究しているこれらの国々の国会議員、弁護士、医師によって検討されている。