リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

「リプロダクティブ・フリーダム」の中身

Marlene Gerber Fried編著の”From Abortion to Reproductive Freedom”をヒントに

From Abortion to Reproductive Freedom: Transforming a Movementは、1990年にノンプロフィット出版社のSouth End Pressから発行された。Marlene自らが担当している最初の章は、クリニックを取り巻くプロライフの過激派オペレーション・レスキューとの闘争シーンで始まる。「反中絶派の攻撃」に対して、勝ち取ったはずの「権利」を行使するために女性たちは「防御的」にさせられていく。

一部仮訳する。

1980年代の運動は、[法的な、あるいはクリニック周囲での物理的攻撃の形を取った]バックラッシュへの反動として形成され、議会、裁判所、街頭で展開される全面的な反チョイス・キャンペーンに対応する必要性によって形作られた。一線を画すため、新しい中絶権運動は、あえて中絶や女性の権利について語ることはほとんどなく、代わりに相手側の不寛容さや過激さに焦点を当てることを好んだ。中絶の権利をすべての女性の性的自由の必要条件として主張することは、あまりにも脅威的で、あまりにも危険で、あまりにも利己的であると見なされ続けた。その代わりに、運動は「選択」や「個人の自由」という、より無害で曖昧な言葉に目を向けた。女性運動は、女性のリプロダクティヴ・ライフを私的領域から引き出そうと闘い、私たちの個人的な選択は政治的なものだと主張した。今、プロチョイス運動が、中絶は政治的なものではなく、私的で個人的なものだと主張しているのは、なんと皮肉なことだろう。

 守りの姿勢に入ってしまうと、数々の妥協を強いられることになり、新たな支持者を確保することも難しくなり、すでに「権利を手に入れた」白人中産階級の女性たちを守るだけで精一杯になりがちだ。また、本来、中絶の権利はリプロダクティブ・ライツの一側面でしかないのだが、シングル・イシューに力を注ぎこむことが強いられてしまう。
 そこでMarleneは問いかける。「防御的にならない――つまり得る者より失うものの方が大きいかもしれない――運動で中絶の権利を守っていけるか?」「合法的な中絶の権利という狭い運動から、リプロダクティブ・フリーダムを求める運動へと変えていけるか?」「多様な女性たちの生活やニーズを反映したよりインクルーシブな運動に変えていけるか?」……………


 1989年4月、全米の150もの草の根のグループの女性たち(その過半数が有色人種の女性たち)は、「ローを守るために(In Defense of Roe)」と呼ばれる会議に集結した。これは人種を超え、経験の異なる女性たちが、中絶権利運動を「女性の生を中心に焦点を当て直そうとした試み」であり、そこからよりラディカルな要求が経ち現れてきた。女性たちは既存の選択肢の中から選ぶ権利だけではなく、なぜ自分たち自身で新たな選択肢を作っていく力を持てずに来たのかを問いなおしたのである。これは、女性主導のヘルスケアと中絶への関心に改めて目覚めさせられる経験になった。たとえば、RU486のような中絶薬の開発や供給を女性自身がその手に握ることも意味していた。中絶が合法かどうかとは無関係に、中絶クリニックを開き続けていくことなども話し合われた。
 市民的不服従などの直接行動についても広く論議された。ロー判決以前のように中絶がアンダーグラウンドに隠されてしまうのは嫌だと女性たちは拒否した。こうした女性運動は数多くの女性たちの意識を永久的に変革した。若い女性たちは中絶や避妊や職業の権利を始めその他すべての平等の権利を自分の権限であると信じるようになり、今やそれを守るために闘う準備を整えているように見える。

 こうした文脈において、Marleneは「中絶(というシングルイシュー)から(全面的な)リプロダクティブ・フリーダムへ」と呼び掛けているのである。


 上記で突如として現れた(ように見える)"In Defense of Roe"とは何なのか、調べてみた。すると……思わぬ展開が待っていた。
In Defense of Roe - New York | Pregnancy Justice

仮訳します。

 「”In Defense of Roe"は、1989年に開催された画期的な会議を記録した映画である。この会議には、拡大しつつあった有色人種の女性のリプロダクティブ・ライツ運動の指導者たちと、草の根的で進歩的な白人女性たちが一堂に会した。

 この会議は、ワシントン大行進を組織していた主流派グループが、その計画や組織化に有色人種の女性リーダーを参加させていなかったことへの反発もあって招集された。リン・M・パルトロウは、ACLUのリプロダクティブ・フリーダム・プロジェクト、中絶の権利のための宗教連合(RCAR)、RCARのウーマン・オブ・カラー・パートナーシップ・プログラムが主催したこの会議の主幹事を務めた。この会議は、ロレッタ・J・ロスの支援と、彼女が1980年代にNOWのWomen of Color Programsのディレクターとして、また1986年にハワード大学で開催された第1回「有色人種の女性とリプロダクティブ・ライツに関する全国会議」の主催者として、有色人種の女性のリプロダクティブ・ライツのリーダーシップを特定し、発展させるために行ってきた活動がなければ実現しなかっただろう。有色人種の女性リーダーや活動家のリストを含むロスの支援は、このイベントの参加者や支援者の重要な情報源となった。

 リリー・アレン(National Black Women's Health Projectの共同設立者であり、最終的にはBe Present, Inc.の設立者)は、自身のワークショップ「Black and Female」、「What is the Reality™」、「Sisters & Allies™」を通じて、この会議に参加した多くの人々にトレーニングを提供した。このイベントの成功は、参加者の多くがアレン氏から受けたトレーニングのおかげでもある。

 映画監督のロリ・ヒリスは、会議の撮影とフィルムの編集に並々ならぬ時間を割いてくれた。リンとロリは、(ロリが撮影機材にアクセスできた)深夜に長時間を費やし、2日間の会議を、この画期的なイベントを正当に評価しようとする36分の要約に作り変えた。

 会議の中心的な企画委員は以下の通り: クリスティーナ・カバレロフェイス・エヴァンス、サブラエ・ジェンキンス、リン・M・パルトロウ、ロレッタ・J・ロス、チョン・セト、パトリシア・タイソン。全講演者と参加者のリストは映画の最後に掲載されている。

 この会議は、『From Abortion to Reproductive Freedom: Transforming a Movement, Editor Marlene Gerber Fried (1990)』』、『Undivided Rights: Women of Color Organize for Reproductive Justice, by Jael Silliman, Marlene Gerber Fried, Loretta J. Ross, and Elena Gutierrez (2004).という本にインスピレーションを与えた。


タイトルの "In Defense of Roe "について:
 リン・M・パルトロウは、今日、このイベントやそれに関するビデオを "In Defense of Roe "とは呼ばないと説明している。時間の恩恵と、中絶(手術)とロー(最高裁判決)の擁護に焦点を絞った20年以上の政治活動によって、擁護されるべきは、1つの手術でも、1人の女性でも、1つの判決でもなく、むしろすべての女性と、妊娠する能力を持ち、妊娠する可能性のあるトランス男性やノンバイナリーな人々を含むすべての人々の人権と市民的権利であることが、今では非常に明確になっている。

 ロレッタ・J・ロスをはじめ、この会議に出席した人々やビデオに登場する人々は、リプロダクティブ・ジャスティスの運動を定義し、リードしていった。

つまり、打開策は黒人女性を中心とした「リプロダクティブ・ジャスティス」だったというわけだ。彼女たちの言う「フリーダム」は、単に抑圧から解放されるというのではなく、すべての人が真に自由に選択できるようになること(そのための権利保障もすべて確保することを含む)なのである。

日本でも、そこまでの展望をもって「リプロダクティブ・フリーダム」という言葉を使えるようになるといいですね。