リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

人口急減は止められないのか 失われた3度のチャンス2022.12.22

日経BOOK PLUS

山崎 史郎/内閣官房参与社会保障、人口問題)及び全世代型社会保障構築本部総括事務局長
人口急減は止められないのか 失われた3度のチャンス | 日経BOOKプラス

筆者は、これまでの人口をめぐる動きや人口政策の歴史を見るに、今日の事態を阻止できそうな機会が、3度はあったと考える。

 1度目は、1970年代後半から80年代にかけて。2前後で安定していた出生率が大きく低下していった時期である。しかし当時は、戦前の「産めよ、殖やせよ」の政策への反省や、戦後の出生抑制政策の流れが強かったことから、出産奨励策はタブー視され、対策はまったく講じられなかった。
 また、出生率の低下は「出産のタイミングの遅れ」による一時的現象で、いずれ回復するだろうという楽観的見通しが、専門家の間でさえ共有されていた背景もあった。「出産奨励のタブー視」である。

 2度目は、1989年に出生率が「ひのえうま」の年を下回った「1.57ショック」をきっかけとして、政府が少子化対策に乗り出した90年代前半である。初めて取り組んだ姿勢は評価できるが、政策は小粒で、有効な成果にまでは至らなかった。政府全体の力点が眼前の課題、高齢化対策に置かれ、少子化対策への取り組みは質量ともに十分でなかったことや、子育て制度の拡充について関係者の理解が十分得られなかったことが理由にあげられる。「政策の後回し」である。

 そして3度目は、2度とやって来ない貴重な機会であった。1970年代前半に年間200万人もの出生数があった「第2次ベビーブーム世代」が、結婚し子どもを生めば、「第3次ベビーブーム」がやってくるのではないか。そうなると、少子化の動きも緩和するのではないかと期待されたのである。
 その時期とは、彼らが20代後半から30代を迎える、1990年代後半から2010年代前半で、最も期待されたのが2000年前後だった。
 ところが、その時期にちょうど日本は、金融システム不安に端を発した経済危機に見舞われ、さらにリーマン・ショックが襲いかかった。この時の最大の犠牲者は、第2次ベビーブーム世代をはじめ、後に「就職氷河期世代」と呼ばれた若者世代であった。若者の多くが、厳しい就労・生活環境に追い込まれ、すでに進行していた晩婚化はさらに進み、未婚者は急増した。
 その結果、出生率は2005年には過去最低の1.26にまで落ち込み、その後も低迷した。これは、第3次ベビーブームを失ったという意味で、「世代の喪失」とも言うべき敗北である。

 こうした動きの背景には、東京圏への「一極集中」があることも忘れてはならない。東京圏へは、今なお若年世代が大量に流入し続け、その東京圏は東京都の1.13をはじめ、出生率は非常に低い。このような人口移動の構造が、日本全体の人口減少に拍車をかけてきたことは否めない。

 そして今や、東京圏には若年女性人口の3分の1が集まるまでになっており、東京圏の動きが日本全体の出生率を左右するような状況となっている。

こうした中で、ようやく「どうにかなる」という根拠なき楽観論は下火になりつつあるが、逆に、今度は「もう、人口急減は止めようがない」というあきらめに近い考え方が広まりつつある。

 今後の人口減少を想定して、付加価値生産性の向上を図っていくことは重要であり、人口減少に適応するだけでも取り組むべき課題が山積している。しかし本当に、受け身の対応だけでいいのだろうか。人口急減は止めようがないと、あきらめてしまっていいのだろうか。そして翻って、これまでの対応は、国民すべてが力を出し尽くした上での敗北だったのだろうか。

そうではなくて、「不戦敗」だったのではないか、と感じざるを得ない。多くの女性は自らの生活を懸け、仕事をあきらめてまで、出産、子育てに奮闘してきた。保育の現場では、人手が不足しがちな態勢の中で懸命に子どもを預かってきた。そして祖母たちは、娘の子育てを手伝い、わが国の子育て制度の空いた穴を埋めてきた。

 一方、父親はどうだったか。企業はどうだったか。そして行政は、政治は、この問題に全身全霊をもって取り組んだのだろうか。多くの父親は仕事が忙しいこともあり、育児への参加はあまりに少なかったのではないか。子育て期にある若者を長時間働かせる職場は、今なお多いのではないか。目の前の問題への対処が優先されるからといって、少子化対策をなおざりにしてきたのではないか。

 いろいろな制度をつくり、対策を講じても、本当に出生率回復に効果があるものは少なかったのではないか。我々は、今一度、人口減少を自らの問題としてとらえ、今の流れを変えることに勇気をもって挑戦する必要があるのではないか。このことが、筆者が、人口急減を止める抜本的な改革に取り組むべきではないか、と考える理由である。