リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

東京医科大の入試男女差別が示す深刻な実態~日本は時代を逆行して後進国になるのか

東洋経済 2018/08/15 東京医科大の入試男女差別問題について(過去記事)

入試差別問題を検索して見つけた記事。なぜ「恐竜研究家が?」と思ったが、進化学的な観点からのエッセーがとても面白かったので、古いけど再掲します。

東京医科大の入試男女差別が示す深刻な実態 日本は時代を逆行して後進国になるのか | ソロモンの指輪〜「本能と進化」から考える〜 | 東洋経済オンライン

蟹分 解 : 恐竜研究家

 東京医科大学では、女性が合格しにくいように入学試験の操作が行われていたことがわかった。8月7日の同大内部調査委員会報告は、贈賄などほかの不正や、今後の対応にも言及しているが、その中から、女性差別に関する部分のみを要約する。

 ①今年の一般入試の得点を加減し女子合格者を抑制した。 ②操作は2006年から続いていた。 ③関係者は、女性差別の理由を「年齢を重ねると結婚、出産などで長時間の勤務ができないなど、医師としての稼働が低下する」と説明した。

 この件の問題を、大きく4つの点から考える。


女性を排除することで長期的に医療の質も劣化
 第1に、この差別が医療にもたらす効果である。

 関係者が、女性合格者を減らしたがる背景には、大学病院の勤務医の「ブラック」な就労実態がある。過重労働と不規則な就業時間、母性を考慮しない風潮などから、勤務医の仕事は過酷で、特に家庭を持つ女性にとって適合性が低い。この事実は、ひとまず認めよう。

 その解決策は、就労環境を改善することにある。言うまでもなく問題は、女性の側にではなく、ブラック勤務の側にある。 この種の問題の解決には、女性の登用を進めることが有効である。女性を増やせば、問題の明確化と解決が進む。さらに女性の発言力が向上して、変革が促進される。このことは多く実証され、異論の余地はないと考えられる。

 就労環境が改善すれば、女性のみならず男性にとっても有益で、育児参加などに多くのメリットが期待できる。優秀な人が排除されず、男女ともに余裕ができれば、提供する医療の質の向上に資する。 東京医大は、正反対のことを行った。女性の入学を抑制して問題を伏在化させようとしたのである。これでは、事態は悪化し、長期的に医療の劣化につながる。根底から誤った対応といえる。

 第2の観点は女性の権利である。

 当初の取材で、文部科学省大学入試室は「選抜方法はできる限り募集要項に記入すべきで、条件を公開せずに入試が恣意的に運用されているとすれば望ましくない」(読売新聞)としている。このコメントが求めているのは、募集要項への記載であって、差別の廃止ではない。これで女性の権利は守れるのか。2段階に分けて考察しよう。

 まず、実際に起きたことへの評価である。大学入学者選抜実施要項(平成30年6月4日文部科学省高等教育局長通知)は入学者の選抜について、「公正かつ妥当な方法によって、入学志願者の能力・意欲・適性等を多面的・総合的に判定する」としている。一律に女性を減点することは、公正かつ妥当でもなく、多面的・総合的でもない。なぜ文科省はそう指摘していないのか、疑問に思える。

 推測すれば、恣意的に女性を排除してはまずいが、仮に男女別の定員を定めていれば、その範囲で女性合格者を制限することが可能であったと示唆しているのであろう。 だが百歩譲って男女別定員が免罪符になるとしても、そもそも東京医大はその定員を定めていない。どう解釈してもこの入試差別は、不当である。


文科省医科大学の公共性を軽視している
 次に、では仮に「女性は3割」と定員を定め、さらに「それを超えぬよう性別で成績を調整する」と募集要項に明記すれば、正当化されるのか。

 東京医大は、同好会のような私的集合体ではない。学校法人として税制の優遇と公費による助成を受けている。さらに、卒業者(見込みを含む)は、医師国家試験の受験資格を得る。すなわち、医師免許取得の要件を付与する権限が大学にある。 その医科大学の負う社会的責任は、入試選考方法の説明にとどまるものではない。学府として、女性の教育を受ける権利を尊重すべきことは当然である。加えて、「医師国家試験受験資格の付与」という公共的役割を担う以上、職業選択の平等性を担保する責任もある。

 上述した規定が募集要項にないのは、内容に正当性がなく、公表に堪えないと当事者も認識しているためと考えられる。現実にこの内容が報道された後、東京医大は謝罪と是正に追われている。問題は公表の有無ではなく、選考内容が女性の権利を不当に害するものであることだ。

 第3の問題は、この入試差別の発生時期である。

 内部調査委員会報告によると、得点の加減は2006年ごろに始まり、しだいに「洗練」されていったと考えられる。つまり、この差別は前世紀の遺物ではなく、今からさほど遠くない時期に誕生した。 東京医大の記者会見で、担当理事は急激な時代の変化についていけなかった旨の弁明をしている。だが実際は時代に取り残されたのではない。それまでなかった差別を今世紀に新たに生み、時代を逆行させた。このことを自覚すべきである。

 これは危険な兆候である。女性活躍を唱えるのであれば、国の各機関が積極的に介入し、時代の逆行を止める必要がある。 問題はより広く蔓延している可能性もある。 ほかの大学医学部でも同様のことが行われているとの告発が、インターネット上などで複数見られる。文科省は、全国的な調査を行うと発表した。事の重要性に鑑み、単なるアンケートではなく、委員会など大学とは独立した組織を置き、客観的調査を行うことが望まれる。今後の調査結果に注目したい。


むしろ逆行する動きが広がっているのではないか
 だが、時代逆行の広がりは大学医学部にとどまらない。 大学生の女性比率は先進国ほど高い。わが国でも上昇が続き、平成30年度学校基本調査では45.1%で過去最高を更新している。米国などに続いて男性を上回る日が来るであろう。このことに社会が対応してゆかなくてはならない。

 ところが昨今、企業の新入社員採用で、優秀者が女性に多いことを嫌い、男性に「下駄」を履かせて採用しているという声が聞かれる。 女性が実力の向上により大学および職場でその存在感を増していることに対し、これを抑圧する動きが見え始めたことは、看過できない。企業が建前では女性活躍を唱えつつ、男性を「カサ上げ採用」しているとすれば、その思想は、まさに東京医大と同根である。

 女性の地位向上は、世界各地で文明とともに進んできた。しかし日本はただでさえ賃金格差、無償労働(主に家事労働)比率、管理職比率、セクハラ問題などで、ジェンダーイコーリティ(男女平等性)の後進国となっている。 これに加え、昨今の報道を見れば、差別やセクハラを正当化したがる人々は権力機構の各所に「健在」で、むしろ力を増している懸念がある。東京医大の問題は、この大きな文脈の中でとらえる必要がある。

 本件の海外の報道では、日本の後進性があらためてクローズアップされている。たとえば英フィナンシャル・タイムズ紙は世界経済フォーラムジェンダーイコーリティで日本は114位まで落ちたことを、英BBCは政治家、政府高官、管理職の女性比率が12.4%にすぎないことを指摘している。日本は女性の人権が後退してゆく特異な国だという不名誉を、国際社会で被っていることに、相応の危機感が必要である。政治、行政、司法に併せて、企業内を含む各種ガバナンス機構が一丸となって、時代の逆行を防ぎ、さらには進歩を促進しなくてはならない。

 第4に、女性の地位向上には行動学的な側面からの分析も有益である。人類の本能における女性差別の根深さは、どれほどであろうか。

 遺伝子の98.8%程度が共通し、われわれに極めて近縁であるチンパンジーは、オス優位社会を構成する。序列の低いオスでも、メスより優越的に振る舞うのが通例であり、いわゆるボスザルは決まってオス(アルファ・オスと呼ばれる)である。 チンパンジーと人間を兄弟とすると、ゴリラはこの両者のいとこ、オランウータンは遠縁の親戚、ニホンザルは赤の他人の関係になる。

 そのチンパンジーから見て、唯一人間よりさらに近縁の動物が、ボノボである(遺伝子は約99.6%が共通)。ところが、 このボノボの社会はチンパンジーとは大きく違い、平等性が高く、オスだからといってやたらに威張る者はない。オランダ・アーネムのブルゲルス動物園のチンパンジー研究で名高いフランス・ドゥ・ヴァールは、ボノボ社会はgynecocracy(女権社会)であるとした。オスメスともに平和主義を重んじ、ムラ間の「戦争」も観察されていない点もチンパンジーと異なる。

 霊長類研究が進むにつれ、同一の種であっても、群れごとに異なる行動特性が存在することがわかってきた。ゲラダヒヒは子殺しをしないのが定説であったが、それまで観察された群れとわずか数十キロメートル隔たったところのグループは子殺し習慣を持つと判明した。 社会的行動は種内でも極めて可変性に富む。チンパンジーボノボのように、わずかでも種が異なれば行動の差は甚大になりうる。


教育・社会環境の整備によって差別意識は変わる
 すると、仮に現生人類の一部が本能的に男女差別を好むとしても、その淵源は意外に浅く、教育その他の環境で容易に修正できる可能性がある。また逆に、環境によって深刻化することもある。それを踏まえ、教育および社会環境を整えることが、女性差別の是正に重要である。

 環境変革には、法に基づく強制が有効であることが明白である。 1985年以前、わが国の女性は、男性と同じ仕事をする機会を得るだけでたいへんな努力を強いられた。賃金格差もあまねく存在した。大きな転機は、「男女雇用機会均等法」である。運用面での男性優遇はなお残るが、制度上の差別は減少していき、企業の意識は大きく変わった。

 さて、人種を含む差別の是正に米国の取った政策は、「アファーマティブアクション」である。典型的には、組織内の女性や黒人の比率の下限を設ける。弊害の指摘もあるが、効果は大きかった。一方、日本にも独自の「ポジティブアクション」があるが、浸透しているとは言いがたい。 米国のマイノリティ優遇策には、政府の強制するもの、政府の承認するもの、民間の任意のものの3種があり、政府の強制するものが、反発を受けつつも変革を牽引したのである。

 わが国のポジティブアクションは、企業や大学などに自発的取り組みを促すもので、強制力はない。 いったん事例ができれば、社会はそれに対応する。女性活躍を国是とするなら、時限的な施策として、より強力な国家による介入が検討されてよいかもしれない。その弊害を指摘するのはたやすいが、病状が深刻であれば、副作用を覚悟して薬を使うべきケースもあろう。

 最後に一言、男女定員問題の「本丸」を指摘しておく。男女別定員のある大学は少ないが、都立高校は逆にほとんどがそうなっている。入試は女子に厳しく、男女の最低合格点に「著しい格差」がある。 成績順に合格させると男子生徒があぶれることを恐れて、こうなった。不公正で、放置すべきでない。都立高校の男女格差問題はいずれあらためて論じたい。