リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

三浦まり『さらば、男性政治』より抜き書き

岩波新書 2023年刊行

政治分野における女性への暴力の背景にあるのはミソジニーである……それは家父長制的価値規範に叛く女性を排除する、あるいは沈黙させることを目的とするものだ。……ジェンダー平等が少しでも進展を見せると、バックラッシュが必然的に引き起こされる。

日本では1990年代に女性議員が増え、ジェンダー平等に関する立法も進んだ。男女共同参画社会基本法(1999年)やDV防止法(2001年)はその最たる成果である。1996年には法制審議会が選択的夫婦別姓を可能にする法改正を答申した。

中野晃一が指摘するように、日本政治の「右傾化」が進行し、国家主義新自由主義を中核とする新右派連合の存在感が増していく。フェミニズムへのバックラッシュは、歴史修正主義バックラッシュの一環として激しい高まりを見せるのである。選択的夫婦別姓への反対はもちろんのこと、性的自己決定権に基づく性教育への反対、教科書における「慰安婦」問題の記述削除、女性・女系天皇への反対、男女共同参画条例の阻止や内容の書き換え、「ジェンダーフリー」バッシングなどとして表出した。

第二次男女共同参画基本計画には、ジェンダーフリーは「国民が求める男女共同参画社会とは異なる」と書き込まれ、ジェンダーの用語も「社会的性別」とされ、それまでの「社会的・文化的に形成された性ベル」とは異なる定義が使われた。……2006年には内閣府地方公共団体に対してジェンダーフリーという養母は使用しないことが適切であるとする通達を出すに至っている。
 第二次男女共同参画基本計画では、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの言及も後退し、逆に日本は中絶の自由を認めるものではないことが明記されている。
 この時期からバックラッシュが起きた背景に宗教右派の影響があったことが、2022年7月の安倍元首相の銃撃事件を契機にようやく明るみになりつつある。(旧)統一教会神道政治連盟日本会議などが男女共同参画条例の制定を妨害したり、「親学」の推進や家庭教育を強める運動を転嫁ウするなど、自民党および一部の地方行政に深く浸透している。

1990年代後半から2000年代前半に吹き荒れたバックラッシュの嵐はその後のジェンダー平等政策を停滞させるに余りあるものであった。右派が狙った男女共同参画社会基本法の廃止こそ実現はしなかったものの、ジェンダーという言葉は長い間封印され、「男女共同参画」という官製用語しか使えない状況が続いた。2012年に発足した第二次安倍政権は新たに「女性活躍」という言葉を作りだし、内閣官房に「すべての女性が輝く社会づくり本部」を設置し、内閣府男女共同参画会議の重要性を引き下げるような動きも登場した。ジェンダー平等が「男女共同参画」に意訳され、女性のエンパワーメントが「女性活躍」と矮小化された日本では、国際的な規範は換骨奪胎され、ガラパゴス化していったのである。

ところが近年ではSDGsの浸透により、「ジェンダー平等」という言葉が一気に市民権を得る事態となっている。SDGsのターゲット5は「ジェンダー平等」と訳され、日本社会に浸透していった。ジェンダーという言葉はメディアでも溢れ、地方自治体の男女共同参画計画にもジェンダー平等計画という名称が使われ始めている。

……「ジェンダー」の言葉狩りはもはや不可能な状況である。2021年には流行語大賞のトップテンに「ジェンダー平等」が選ばれるまでになった。

このこと自体は歓迎すべき時代潮流であるが、遠からず形を変えたバックラッシュがやってくる、あるいはすでに起きていると見るべきであろう。

1990年代後半以降の日本のバックラッシュは日本政治の(より厳密には自民党の)右傾化と共振して起きており、歴史修正主義をめぐる論点が前景化した。
 第二次安倍政権(2012-20年)になると、、右派は「歴史戦」は国内では勝利を収めた都市、海外での「慰安婦」像建設反対運動を展開するようになったことが山口智美らの研究で明らかになっている。科学研究費(科研費)を用いた「慰安婦」問題研究に国会議員の杉田水脈が介入する事態も起きた。それに対し2019年には牟田和恵、岡野八代、井田久美子、小久保さくらが原告となり名誉棄損の裁判が起こされた。依然として「慰安婦問題は「歴史戦」の中核を占めているが、女性の普遍的な人権問題であることからグローバルな「記憶のポリティクス」が展開しつつある。

その意味で、第二次安倍政権が進めた女性活躍は一般に理解されるような経済政策ではなく、日本の国際的な威信の向上という政治プロジェクトとして捉えることで、その性格がより正確に理解できると筆者自身は考えている。

フェミニズムへのバックラッシュと並び)日本のバックラッシュを構成するもう一つの柱は、家族への国家介入である。右派は「国家家族主義」と呼ぶべきイデオロギーを保持しており、選択的夫婦別姓への強固な反対に見られるように、譲れない核心的な価値観として異性愛規範、法律婚規範、嫡出性規範、永続性規範(離婚は限定的にしか認めない)を原理とする近代家族観を持っている。

2022年には262人の国会議員が参加する神道政治連盟国会議員懇談会において、性別少数者のライフスタイルは「家族と社会を崩壊させる社会問題」だとする察しが配布され、冊子の内容を否定し差別をなくす姿勢を示すことを求める5・1万人の抗議署名が自民党と同懇談会に送られた。自民党が(旧)統一教会との関係を清算しきれないように、宗教右派と政治家は抜き差しならない関係にあり、これらの影響力が保持される限り、選択的夫婦別姓同性婚、LGBT差別解消法は一歩も進まない状況にある。

 女性の身体もまた標的にされる。少子化・人口減少に対する危機感が、女性の身体を統制し、産ませる圧力へと転じているからである。高校生に向けた妊活の推進、官製の婚活政策といった国家主義的なものから、フェムテック(生理や更年期などの女性の課題を解決する技術)推進の新自由主義的なものまで、活用できる資源を総動員している。こうした露骨な出産奨励は、第2章でみたように女性のセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツを置き去りにしたものである。筆者は第二次安倍政権の女性就労支援と出産奨励政策の組み合わせを「新自由主義的母性」と呼んだが、国家家族主義と新自由主義の度合いは政権のカラーによって変わるものの、基本路線は継承されていると見ていいだろう。

以上は第5章ミソジニーとどう戦うか。続いて第2章「20年の停滞がもたらしたもの――ジェンダー平等後進国が作り出した生きづらさ――」に戻ってみます。


まずはジェンダー秩序の説明から。

私たちの社会は様々な点でジェンダー化されている。ジェンダーというのは社会的・文化的に構築された性別のことである。ルール、規範、実践を含む「制度」が男女の区分を作りだし、その区分は男女の地位、役割、行動規範、セクシュアリティについて、一定の秩序を作り出している。一般的に、男性は女性よりも高い地位が与えられ、公的領域において生産活動に従事するものとされる。他方、女性は私的領域に属するとされ、もっぱら再生産とケア労働(出産・育児・介護や家事)を担うことを期待される。「男性らしさ」「女性らしさ」といった規範は性別役割分業と密接に絡みながら、人々の振る舞いに影響を与える。セクシュアリティについては異性愛が標準的だとされ、それ以外は劣位に置かれることになる。
 こうしたジェンダー秩序は、そのほかの属性にまつわる社会制度(人種、民族、宗教、健康状態、階級など)としばしば交差あるいは複合的に重なり合うことで、その社会における身分、地位、経済的な序列をかたち作っている。

ジェンダー平等な社会というのは地位の面で男女が対等で会えることを意味するが、同時に、性別役割分業や性規範においても固定的な理解が解消し、「女性だから」「男性だから」といった抑圧から女性も男性も解放される状態を指す。

そしてこの章では

ジェンダー平等を実現するための法制度をいくつかの角度から国際比較し、日本がジェンダー平等後進国であることを見ていく。


最初に「女性の生涯を通じて、法的な差別が就業や起業をどの程度阻害しているかを可視化する」世界銀行の「女性・ビジネス・法律」レポート(以下、世銀レポート)を取り上げている。このレポートは、「移動の自由、職場、賃金、婚姻、出産・子育て、起業、資産管理、年金の八つの領域目において各国の法的基盤を比較したもの」で、領域ごとに4~5つ、計35の外登法規制の存否を基準にスコア化したもので、全ての法規制が存在すると100点満点が与えられる。三浦によれば、2022年までに100点を取っていたのはベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、アイスランドラトビアルクセンブルクスウェーデンアイルランドポルトガルギリシャ、スペインの12ヵ国となっているが、2024年版にはドイツとオランダも加わり14カ国になっていた。

最新の2024年版を確認してみた。2024.3.4付のプレスリリースはこちら。

三浦によれば、「2022年版では日本のスコアが修正され、総合で81.9から78.8に引き下げられてしまった」とあるが、オンラインで私が確認した2024年の総合スコアも78.8であった。三浦によれば、日本は「女性のみに再婚禁止期間(民法733条)を設けている」ために婚姻で満点を取れていないが、「この廃止を盛り込んだ改正民放が2022年の臨時国会で成立した」のでスコアは改善されると予測していたので、何らかの項目で日本は再び「引き下げ」られたようだ。

 なお、2024年の最新の『女性、ビジネス、法(WBL)』報告書は、女性がグローバルな労働力に参入し、自分自身、家族、そして地域社会の繁栄に貢献する上で直面する障害について、包括的な全体像を示している。本報告書では分析範囲を拡大し、女性の選択肢を広げたり制限したりする上で重要となる2つの指標、すなわち「暴力からの安全」と「育児サービスへのアクセス」を追加した。これらの指標を含めると、女性が享受している法的保護は平均して男性の64%に過ぎないという。

 さらに、単に法律の有無を問うてきた従来のアプローチを超えて、今年から改定された『WBL 2.0』では、法律の有無と、法が実際にどのように機能しているかという実施上のギャップを測定する新しいアプローチを提示した。女性の権利の状況について、法的枠組み、支援的枠組み、専門家の意見を分析することで、現実の姿をできるだけ反映させるようにしたのである。これにより、従来の枠組みでは100点満点を取れていた国も、現実面ではまだまだ改善の余地があることが見えてくる。


閑話休題。三浦の本に戻ろう。
1980年の時点で、日本のWBL(従来の1.0版)スコアは68.8であり、フランス(62.5)やドイツ(68.1)を上回っていた。ところが「フランスは1990年代に変化し始め、ドイツは2000年代に飛躍的に改善して」おり、今や両国とも100点満点だが日本は78.8にとどまっている。

このように変化のタイミングがスピードが異なるのはそれぞれの国の政治事情を反映してのことである。……日本の特徴は変化のスピードが遅い、2010年以降は変化していないということになる……日本の男性政治がもたらしたひとつの帰結であるといえよう。

1990年代の日本人は、世界第二の経済大国であるとか、女性の時代がやってきたといった自己イメージを持っていたと思われる。実際当時は、女性の経済的自立を支える立法が世界から著しく遅れていたとまではいえないだろう。バブル経済までは日本は先進国にキャッチアップすることを目指してきたが、バブル経済の発生とともに、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」との自己意識を強め、先進国から学ぶ姿勢が後退したように思える。しかし、ジェンダー平等の観点からは、ほかの先進国はまさしくその頃より自己改革を進めるようになった。逆に日本は世界から学ぶことは何もないと背を向け、経済の構造改革は進めても、人権面での改革は怠るようになった。

世銀レポートのスコアは女性の経済的自立を支える法的基盤の一側面を捉えたものでしかないが、それでも当スコアと女性の就業率には高い相関関係があり、一人当たりのGDP、経済水準、時間固定効果を統制しても、統計的に優位な水準であると世銀レポートでは指摘している。

世銀によれば、日本は子育てでは先進的な法制度を有する国に分類される。

というのは、産休の保障や出産手当が健康保険から支給されていることを評価しているのだが、「産まない権利」についてはとことん否定している日本の法制度のありかたは、実のところ日本の女性の経済的自立を損ねる要因になっているように思われる。なぜ世銀はそこを見ないのか、理解できない。


続いて三浦はOECDが開発した「社会制度とジェンダー指数(SIGI)」を紹介している。

SIGIは社会規範を映し出す態度(世論調査)や慣行を含む27の変数を16の指標にまとめあげたものである。差別撤廃の法律の有無だけでは、それがどの程度執行されているのかわからず、また規範や慣行が変わらなければジェンダー平等が達成されないことから、意識と慣行を含めている点に特徴がある。

SIGIでも日本は「女性差別が極めて少ない国」とされる最も先進的な第一グループ33ヵ国には入っておらず、「女性差別が少ない国」とされる第二グループの42ヵ国に入っている。最も性差別が少ないのがスイスの8%、次にデンマークの10%、さらにスウェーデン、フランス、ポルトガル、ベルギーが11%で続く。

 日本は24%(54位)の性差別的な社会制度が残存すると指摘されている。

OECDの政策提言の中でILO条約(国際労働条約)の批准が推奨されていること、ジェンダー平等に関するものとして日本が批准しているのは100号(同一報酬)、156号(家族的責任の保護)のみであり、111号(差別待遇〔雇用及び職業〕)、183号(母性保護)、189号(家事労働者)は未批准であることを指摘している。


続いて、女性差別撤廃条約の監視機関(女性差別撤廃委員会)からの主な指摘事項と日本の対応を紹介しているが、このうち「婚姻適齢を男女で平等にする」は2022年4月の民法改正で成人年齢を18歳に引き下げた際に、婚姻年齢は男女共に18歳になっており、刑法を改正し強姦の定義を拡張するについても、2022年7月の不同意性交等罪への変更によって実現している。


ただ、残念ながら三浦さんも刑法堕胎罪と母体保護法の見直しを指摘されている点には目を向けていない。
刑法堕胎罪について国連女性差別委員会が苦言を呈しているのは以下です - リプロな日記


産む産まないを自分で決められる権利がなければ、女性は人権を十分に享受できない。女性差別の際たるものが、リプロの権利の侵害ではないかと私は思う。