リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

米:テネシー州の全面中絶禁止によって女性たちが苦しめられている

アメリカのCenter for Reproductive Rightsより

Blackmon v. State of Tennessee


仮訳・要約します。

 ニコール・ブラックモンは、10代の息子が殺害されたわずか数カ月後に妊娠が発覚した。ところが、妊娠15週目にして、胎児が妊娠継続できない状態であると診断された。うつ病と不安障害に加え、ニコールは分娩中に脳卒中を起こす危険性の高い健康状態にあった。中絶のために他州に行く資源もなく、ニコルは自分の意志に反して妊娠を続けざるを得なくなり、31週目に死産した。


 アリー・フィリップスは妊娠18週目であったが、脳の先天性疾患など妊娠を続けても助かる見込みのない複数の胎児診断が胎児についたことを知った。妊娠の継続はアリー自身の健康にもリスクをもたらすことがわかった。アリーはニューヨークへ行くための資金を調達することができたが、そこで胎児がすでに子宮内で死亡していることと、感染症血栓のリスクが高いことを知った。彼女はニューヨークで必要な中絶治療を受けることができた。


 ケイティ・ドゥロングは、妊娠第2期の早い段階で子宮頸管機能不全と診断され、妊娠を失うのは間違いないと告げられた。彼女は妊娠組織を排出するために中絶薬を処方してほしいと頼んだが、その代わりに家に帰された。ケイティが必要な中絶治療を受けたのは、子宮頸管が完全に拡張し、羊水がすべて排出され、胎児の体のほとんどが腟内に残っていた10日後のことだった。中絶薬がなければ、数日以内に死んでいたかもしれない。


 レベッカミルナーは妊娠20週目で早産の膜破裂(PPROM)を起こし、胎児に助かる見込みがないことを知った。妊娠を継続すると、生命を脅かす感染症にかかる危険性があった。彼女は必要な中絶を受けるためにバージニア州に行くことができた。しかしレベッカは、中絶治療の遅れに起因する感染症を発症し、テネシー州に戻ったときには敗血症の緊急治療が必要になった。


 レイチェル・フルトンは超音波検査で、胎児の神経系、脊椎下部、肺、腹部、足、手の胎児の発育が不十分で、組織や臓器に水分がたまっていることを知った。この妊娠は出産まで、あるいは出産後長く生存する可能性は低く、妊娠を継続することはレイチェルにミラー症候群(生命を脅かす合併症)を発症させる危険性があった。レイチェルの祖母は出産時に亡くなっており、その悲劇はレイチェルの父親とその兄弟に生涯影響を与えた。自分の健康を守り、家族をそのような悲劇から救うために、彼女は中絶治療を受けるために夫とイリノイ州まで車を走らせた。


 モニカ・ケリーが妊娠12週目だったとき、胎児にトリソミー13という深刻な障害があり、出産まで生存できる可能性も低いし、出産してもまもなく死亡するだろうと医師から告げられた。モニカの主治医は、妊娠を続ければ子癇前症や感染症などのリスクがあると警告した。モニカは必要な中絶治療を受けるためにフロリダに渡った。


 キャサリン・アーチャーは妊娠20週目のとき、不規則な脳の発達や不適切に発達した臓器など、いくつかの深刻な胎児の状態から、妊娠が出産まで存続する可能性が低いことを知った。州外で予約を見つけるのに苦労した後、キャサリンワシントンD.C.で中絶治療を受けることができた。