今日はあの日だった……気づいてなかったということに驚くと同時に,気づかずにいられた平和を喜ぶべきか,自戒すべき記憶の風化と捉えるべきかと,迷う。
上記と直接的に関係はないのだけれども,さっきまで"shame恥"という感情がもたらすdisempowering(パワー剥奪)効果のことを考えていた。中絶問題はguilt(罪)よりもshame(恥辱)の問題,self-respect(自尊心)の低下,あるいはdisgrace(尊厳の剥奪)の問題と捉えてもいいのではないかと思ったりしている。
そんなことばかりに囚われていると,巨大な不正を目にしたときに身動きできなくなるようにも思えるが,むしろ逆ではないだろうか。個人を身動きさせなくなる力は,巨大な不正と間違いなく通じているという直感がある。その“間違いのない感覚”をもっと言葉化していけば,湾岸戦争時に考えたことに戻っていきそうな気がするのだけれど……。
いや,しかし,わたしはわたしの前線から考えていくべきなのだろう。今,とつぜん“大きな問題”に向き合おうとすることは,得策ではないように思う。