リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

虐待、妊娠、一人で出産 赤ちゃん抱き立ち尽くす19歳

朝日デジタル 内密出産1回目

内密出産 いのちをつなぐ①
 昨夏、熊本市の慈恵病院でナースステーションなどのブザーが鳴った。親が育てられない子どもを匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の小さな扉が開いた知らせだ。看護師が駆けつけると、生まれてまもない赤ちゃんを抱いた女性が、真っ青な顔色で立ち尽くしていた。

 女性は19歳、学生だと明かした。白いおくるみの中の赤ちゃんにはへその緒が短くついていた。約3千グラムの男の子だった。2日前の早朝、アパートの自室でひとり、出産したという。


 産後の胎盤やへその緒をどう処理したのかすら覚えていない。ただ、赤ちゃんが息をしているか心配で、確認しながら一晩を過ごしたという。翌朝、新幹線に乗り、半日かけて病院にたどり着いた時には重度の貧血状態に陥り、立っているのも困難な状況だった。すぐに治療が施された。

 医師や助産師の立ち会いがないまま自宅などで産む「孤立出産」。大量出血や仮死状態での出生などの事態が起きれば母子とも命の危険にさらされる。だが、今年1月末、同病院の一室で取材に応じたこの女性は「親に知られずに赤ちゃんを産むには、これしか選択肢がなかった」と、その理由を語り出した。

 なぜ、この病院をたずねたのか。女性は記者に語りました。

自分を虐待してきた親、もし赤ちゃん引き取れば

 女性は小さい頃から親から虐待を受けて育ったという。進学を機に一人暮らしを始め、そのころ出会った男性と交際中に妊娠に気づいた。だが、相手に伝えると、「忙しい」という理由で疎遠になっていった。

 「親に妊娠を知られたくない」との思いから、中絶も考えた。だが、子どもの命を奪う気持ちには、どうしてもなれなかった。一方で、出産すれば行政手続きが必要で、未成年だとわかれば、赤ちゃんの親権は自分の親が代行することになることも知った。自分を虐待してきた親が赤ちゃんを引き取り、今度はその矛先が赤ちゃんに向くのではないか。そう思うと、不安だった。

 インターネットで調べても、身元を明かさずに出産できる産婦人科はない。おなかはどんどん大きくなるが、妊婦健診は受けられない。「赤ちゃんの体に異常があったらどうしよう」と心配で眠れない夜を過ごした。「自己責任」だという声があることもネットで知った。追い込まれた末の孤立出産だった。

 当時を思い出すと、いまも涙が止まらない。取材に同席した慈恵病院新生児相談室の蓮田真琴室長は「つらい思いをしている彼女を助けられなかった私たち自身を責めました」と話す。


 女性は自宅から熊本へ向かう途中、赤ちゃんの写真をスマートフォンで何枚も撮っていた。新幹線車内では子が泣くからと、出産直後の体でデッキに立ってあやし続け、やっとの思いで同病院にたどり着いたとき、肩の荷が下りたようなホッとした気持ちとともに「預けたらこの子との関係ももう終わりかな」という思いが巡ったという。

 できるなら一緒にいたかった。でも、親に頼れず、学校に通いながらアルバイト代で生計を立てている状況では赤ちゃんを育てられない。預けた子は、いま、里親のもとで一時的に養育されている。将来は特別養子縁組を望む人に引き取ってもらえれば、と願う。

 病院には、赤ちゃんと自分の写真をアルバムにまとめ、自分の名前を記した書類とともに託した。自分がどうやって生まれたのか知りたいと、いつか子どもが思うかもしれないからだ。

 内密出産ができる病院が近くにあれば、危険な孤立出産を選ぶ必要はなかったはずだ。男の子は体重が7キロを超えてスクスクと育った。女性は半年ぶりに会った男の子をあやしながら、「私に必要だったのは、相談体制の充実より、匿名で妊婦健診を受け、安心して出産できる場所。それがなければ、つらい思いをする女性は減らないでしょう」と話した。

内密出産

 匿名での出産を望む女性が、専門機関などにだけ身元を明かして病院で出産する制度。医師や助産師が立ち会わない危険な孤立出産を思いとどまらせて母子の命を守るとともに、子が出自を知る権利を保障することが狙い。2014年から実施しているドイツでは、母親は相談機関に実名で相談し身元を明かす証書を封印して預け、医療機関では仮名で出産する。子は原則16歳になったら出自を知ることができる。出産前後の費用は国が負担する。慈恵病院では新生児相談室長が母親の情報を保管。母親の名前を記さず出生届を出し、戸籍にも出産の事実が記載されない仕組み。子が一定の年齢に達し希望した場合は母親の情報を開示する。

 慈恵病院は昨年12月、予期せぬ妊娠をした母親が病院の特定部署にだけ身元を明かして出産する「内密出産」の導入に踏み切った。出産の事実を公にせず戸籍にも記さないことで危険な孤立出産を防ぎ、母子の命を守るとともに、子が出自を知る権利を保障する狙いがある。熊本市を通じて国に求めてきた法整備が整わない中での決断にはどのような背景があったのか。命をつなぐ現場を取材した。

「民間が行政を動かすしかない」

 慈恵病院(熊本市)の蓮田健副院長は、内密出産を受け入れると決めた理由を「もう行政の対応を待ってはいられない。民間で先行事例を積んで行政を動かすしかない」と説明する。

 同病院は2007年5月、子を育てられない親が赤ちゃんを託す「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を開設し注目された。親の虐待で子どもが命を落とす事件が相次いだことを受け、蓮田太二理事長が「命を救う最後の手段」と決断したものだった。

 「安易な育児放棄につながる」「子どもの出自を知る権利が奪われる」と批判も浴びたが、予期せぬ妊娠や貧困に悩む女性たちの最後のよすがとなり、19年3月末までに144人の赤ちゃんが預けられ、その命を救ってきた。

 熊本市によると、そのうちの49%が医者も助産師もいない自宅や車中での孤立出産だった。妊娠を親に相談できない未成年、不倫、性的暴行の被害者、出産や養育、人工妊娠中絶の費用を工面できない女性――。実名での手続きが必要な病院を避け、大量出血などで命を落としかねない状況で出産したのには様々な事情があった。

 厚生労働省の虐待死亡事例の検証報告によると、03年7月~18年3月までに心中以外の虐待で亡くなった子ども779人のうち、生後0日の赤ちゃんは149人で約2割を占める。いずれも医療関係者のいない孤立出産によるもので、予期せぬ妊娠の結果による虐待死が多いとみられる。


 こうした事態を重く見た蓮田副院長らはドイツなどの先行例を学んで仕組みを考え、17年末に内密出産の導入検討を表明。18年5月には市に素案を示し、実現への協力を呼びかけた。その後、行政の協力が得られないことから想定していた児童相談所の代わりに、病院の新生児相談室の室長が母親の免許証のコピーなど本人確認情報を保管することにした。母親は病院で匿名で出産でき、子どもは一定年齢に達して「自らの出自を知りたい」と希望すれば実母の情報を知ることができる仕組みだ。

「内密出産」「匿名出産」の違いとは

 母親の情報を保管し将来的に出自を知る権利に応えられる点で「匿名出産」と異なる。ゆりかごの運営状況を検証する市の専門部会も、出自を知る権利をまもる解決策として内密出産を挙げていた。

 一方で、実施に向けた課題として当初指摘されたのが戸籍法との整合性。母親の存在が明らかなのに、名前を記載せず出生届を出せるかという疑問だった。

 戸籍法は父母が出生届を出せない場合、届け出をしなければいけない者のひとりに出産に立ち会った医師を定める。ただこの点について、法務省は「名前を知っている人が立ち会った医師以外であれば戸籍は作成可能」との見方を示す。熊本地方法務局も18年に蓮田副院長から照会を受けた際に「戸籍法がネックになることはない」と回答している。

 市が現実的な懸念として指摘するのは、国の支援体制が整わぬまま慈恵病院だけで実施に踏み切れば、全国から予期せぬ妊娠をした妊婦が訪れ、生まれた子どもを乳児院などで養育する責任と負担が生じる点だ。母親が出産費を払えない場合などの費用を誰が負うのかといった課題もある。大西一史市長は「一自治体、一民間病院だけで解決できる話ではない」として、国による法整備が必要との考えを一貫して示している。

 市は国に検討を求め、全国の政令指定都市でつくる指定都市市長会からも要請。厚生労働省は18年度、19年度にドイツなど海外の事例研究をしたが、実現に向けた具体的な動きはみられない。

 今年1月の衆院本会議。内密出産を認める法整備について見解を問われた安倍晋三首相は「一般論として、子供の出自を知る権利をどう考えるか、出産後に実親が養育しない子供が増加するのではないかなどの課題もある」として、こう述べるにとどめた。「予期せぬ妊娠に際して妊婦の孤立化を防止し、母体と子供の安全を確保していくため、教育や相談体制の整備なども含め、総合的に検討を進めてまいります」(白石昌幸、山田佳奈)

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