リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

子どものために産まない〈母性〉

大原社会問題研究所雑誌 №649/2012.11

『青鞜』の「堕胎論争」から見た〈母性〉――近刊叢書所収拙稿を中心に 松尾純子

「新しい女」と呼ばれたものたちによって1911(明治44)年に発刊された月刊誌『青鞜』では,「性」に注目して自己を内省した結果を発表する過程で,1914(大正3)年後半から立て続けに「貞操」「堕胎」「廃娼」の各語をめぐり真摯な意見表明や反論が交わされた。その論争のひとつである「堕胎論争」をとりあげ,「母性」を“本来性”としてではなく“行為”として,しかも“産む”ではなく“妊娠する”へと焦点をずらし,〈母性〉として考えてみる。「堕胎論争」の発端となった原田の小説「獄中の女より男に」に対しては,これまで女の自
己決定権の主張という観点から評価がなされてきた。しかしこの小説で,主人公の女は,女自身のためにではなく子どものために堕胎を選択している。望んでいなかった妊娠によって,女は子どものために生きる主体,つまり“新しい母”を見出した。強固に自我を確立した原田が創造した女には,女に“考えさせる”胎児が別の個体(他者)として認知されるようになり,女はその他者への責任主体たる母を後悔と苦痛とともに自覚し,母としての責任のとり方として堕胎を選んだ。これは子どものために産まない〈母性〉といえる。

原田皐月はこの小説の中で、胎児を母体の「附属物」と呼んでいました。この文章を見つけて、読み返してみたくなりました。