リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

おまたせしました! 2006年10月8日:SOSHIREN 女(わたし)のからだから合宿 分科会「ザ・中絶〜嘘と沈黙を超えて」の報告です。ネット版では念のために名前を伏せておきますが,差し支えないようでしたらお知らせください(>報告者のみなさま)

 合宿2日目の午後に行なわれた分科会「ザ・中絶〜嘘と沈黙を超えて」では,前半に参加者の中絶のイメージを明らかにすることを目的としたKJ法を用いたグループ作業を,後半に分科会担当者等3名からの報告を行なった。
 参加者それぞれが「中絶」から想起する言葉を書き出したものをグループで分類していく前半の作業では,基本的に女性のリプロダクティヴ・ライツを支持している人の多いこの合宿参加者のあいだでさえ,明らかにネガティブなイメージのほうが勝っていることが明らかになった。
 ポストイットに書き出された項目数は,全体でちょうど180個。そのうちポジティブな内容の言葉が25個で14%,ネガティブな内容のものが94個で52%,残りが一概にはポジティブともネガティブとも言えない言葉だった。ポジティブと判断した言葉には「選択」や「決断」など広義でのリプロダクティブ・ライツに関わるものが散見されたが,ネガティブな言葉のほうは「罪悪感」や「痛み」など心理的な苦悩にまつわる言葉が多数を占めていた。
 後半の報告では,まず現役助産師のM.M.さんから日本の「中絶の現状」を話してもらった。数値的,医学的な現実を確認した後に,医療従事者の側から見た産婦人科における中絶の実態が明らかにされた。産科のスタッフには,患者が何の目的で来院したのかはあらかじめ分からない。待合室では,産む人と産まない人,産めない人とが並んで座っており,同じ「妊娠」が幸福にも不幸にもなりうる。患者たちを単に「手がすいている順番」で担当する助産師は,ときに分娩室でお産を介助し「おめでとうございます」と言った舌の根も乾かないうちに,手術室で中絶胎児の処置を任せられる。看護学校では中絶患者への接し方を教えられていないため,無表情な中絶患者たちに優しく接しようと思っても,下手に声をかけて苦しめてはと言葉をのみこんでしまう。選択を迷っている患者たちに対し,妊娠を確認したとたんに,「ずっと先まで予約が詰まっている」ことを理由に,「産むか産まないか」「手術を予約するかどうか」とせかす医師もいる。患者たちは,焦らされ,短期即決を迫られ,その決断の結果に関するケアを受けることもできずにいる。M.M.さんは,「とても選択したとは言えない状況」だとして,中絶ケアを導入する必要性を訴えた。
 次に塚原から,「中絶という罪の構築」について報告した。一見,中絶の罪悪感は個人的な感情のように思えるが,実際には社会的・歴史的に構成されたものに他ならない。それを証拠に,19世紀末から20世紀にかけての医科学の発達により,「中絶」や「胎児」の意味は変化しており,法の変遷もその現われのひとつである。また,19世紀に盛んになった“発生学(エンブリオジー)”は,当初は生物学の一分野であり,他の生物との対比で語られていた。だが20世紀前半までに「生命の仕組み」はほぼ解明され,1940年頃までにカーネギー研究所の科学者たちが1日単位の発達を示す「ヒト発生標本」を完成させた。「受精卵」から誕生後までの人間の連続性を示す象徴となったこの標本は,戦後の医学教育で“胎生学(エンブリオジー)”として採り入れられた。一方で,19世紀末から未熟児救命用の保育器が出回るようになり,歴史家のショーターによれば,なぜか「1930年」を境に胎児のいのちを救うという観念が一段と強まった。この転換の理由を,論者は1929年の英国嬰児生命保護法と1930年のローマ教皇ピウス11世による「婚姻に関する回勅」に求めている。特に後者の回勅は,中絶を「罪なき胎児」を「直接的に殺す」行為として位置づけることで,現代的な中絶観の土台を作ったように思われる。やがて1960年代以降のメディアを通じて胎児は「可視化」されていったが,それに伴い,1970年頃の日本に登場した「水子供養」が性の自由を求める女性たちを脅し,断罪してきたのである。
 続いてN.M.さんからは,中絶の「技法の『ウソ』」と題して,日本で“常識”だと考えられている中絶方法が,世界の常識から全くかけ離れていることが示された。現在,WHOで推奨されている妊娠初期の中絶技法は,手動および電動の吸引法とミフェプリストンという妊娠中絶薬(陣痛促進剤のミソプロストルまたはゲメプロストと併用する)の2種である。日本では今でも「中絶といえば掻爬(拡張掻爬法,D&C)」だと考えられがちだが,世界では吸引法のほうがより安全で,全身麻酔の必要もなく,からだへの負担も少ないと考えられている。手動吸引法に用いるDel-Emという器具は,1970年代初頭のアメリカで女性のセルフヘルプ運動のなかで素人の女性が開発したもので,スペキュラムを用いた自己検診との併用で大流行したという。一方のミフェプリストンは,“手術”自体が不要であるため,医師でなくとも特殊な訓練を受けた人であれば処方可能だとされている。だがこの薬は日本では未認可であり,個人輸入にも制限がかけられている。中絶技術を改善すると,中絶する人が増えるとの意見もある。しかし,女性たちは「産めない」と判断したときには,非合法で危険な手段であろうと命がけで求めたのである。「私たちは,どこをめざすべき?」とN.M.さんは問いかけた。(文責:塚原久美)