リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

岡山県の嬰児殺事件に思う

本日付の毎日新聞のサイトにありました。

岡山・井原の新生児窒息死:「4回出産して窒息死させた」 41歳の容疑者供述

 出産直後の男児を死なせたとして岡山県警が重過失致死容疑で逮捕した同県井原市笹賀町の店員、佐々木博美容疑者(41)が「(男児以外に)自宅で4回出産し、窒息死させた」などと供述していることが分かった。自宅からえい児2遺体が見つかり、県警は残る2遺体を捜索している。

 佐々木容疑者は7月30日、同月23日に自宅で出産した男児の顔にタオルを置いて死なせたとして逮捕された。県警は今月7日の現場検証で、プラスチック製衣装ケースに入ったえい児の遺体を発見。8日には車庫から別の1遺体を見つけた。ともに死後1年以上で、死因や性別は不明。

 佐々木容疑者は祖母と父親、弟、長女(8)の5人家族。「えい児4人は殺害後、衣装ケースに隠した。中絶費用もなく、育てられないと思った」などと供述している。【石川勝義】

毎日新聞 2008年8月13日 東京朝刊

なぜ避妊しなかったの?……という疑問が、どうしても湧いてきてしまいます。相手の男性との関係性に問題があったのか。一度、踏み切ってしまうと、あとは習い性になってしまったのか……なぜ、今回、発覚したのかは分かりませんが、いずれにしても悲惨です。水上勉の小説だったか、そっくりの事件がありました。もしや、あれも実話だったのでしょうか。

昨日の置き去り事件について、わたしはあくまでもミクロの立場から見ていました。でも今日は、こうしたケースを防ぐためには、何が考えられるか……ということを、ちょっとマクロな視点から見てみたいと思います。

まず、こういうことが起きるたびにあちこちの解説者がくり返している言葉ですが、何よりもまず、望まない妊娠をしないように避妊を徹底する必要があります。そのためには、もちろん、“性教育”は必要です。しかしわたしが主張したいのは、単なる妊娠予防教育に終始するのではなく、女性の心と身体と人格を尊重する意識を、男女ともに養っていく必要があるということです。

女性にとって、性と生殖を完全に切り離すことは不可能とまでは言わなくともとても困難です。完全だと思っていた避妊に失敗することも少なくないでしょう。生殖年齢の女性にとって、性行為は常に妊娠の可能性と裏表になっているのです。仮に社会が、生殖に結びつかない性を認めるのであれば、望まない妊娠をどうにかする対策は不可欠になります。

ここで、言うまでもがなのことをくり返してしまいます。日本人の避妊率は他の先進国に比べて低いという事実があります。避妊を実行している場合も、多くは確実性の低いコンドームに頼っており、いわゆる外出しやオギノ法など、避妊とも言えない行動だけで避妊をしたつもりでいたりします。リズム法やオギノ式避妊法は正確にやればかなり避妊成功率が高まりますが、正しく進めるのはけっこう面倒くさい方法であり、むしろ妊娠したい人に適した方法だとも言えるでしょう。「先月のいつ頃生理だったから、たぶん今日は大丈夫」みたいに、いいかげんに採用していては、避妊率はかなり低くなります。

また、現在、世界中で広まりつつある緊急避妊薬(EC、モーニング・アフター・ピル)の店頭販売は、望まない妊娠を防ぐために、ぜひ進めてほしいものです。ECは服用期間が限られているので、もっと後の段階で妊娠の心配をし始めた人のために、月経吸引法(MR)の導入も進めるべきだと思います。

次に、避妊をしていながらも、また上記のような緊急避妊等の手段が得られなかったために、望まない妊娠をする人は、それでも出てくるでしょうから、そうした人の救済策が必要です。

すでに妊娠してしまった段階での救済策は、基本的に産まないか産むかの二通りに分けられます。まず、当人が中絶を希望する場合は、できるだけ早期に、それを受けられるようにする。ご存じのとおり、日本の母体保護法は、「経済的理由」による中絶が99%以上を占めているのに、中絶については(レイプの場合のみを例外に)全く公的な援助がないために、中絶費用を捻出できないほど経済的に困っている人が中絶を受けられないという矛盾を呈しています。避妊や中絶は基本的なリプロダクティブ・ヘルスケアであるというのが、国際的な認識であり、経済的な問題のために避妊や中絶にアクセスできない人には、福祉の一環としてサービスを提供していく必要があるはずです。

もうひとつの救済策は、産んで養子に出すことの支援です。望まない妊娠をしてしまったが、育てられない。でも、できれば中絶もしたくない……という女性たちは、確かに一定数存在しているように思います。こうしたニーズのために、菊田登医師の運動が実って特別養子制度ができたわけですが、なかなか認定されないという話も聞いています。

また、残念ながら、養子縁組が日本より盛んなアメリカから、養子縁組が、産む女性にとっても、生まれる子供にとっても、必ずしもハッピーな解決策ではないという指摘も出ています。(また、下手をすると、こうした制度を逆手にとったベビー・ビジネス=赤ん坊の売買が広まる恐れもあります。)養子縁組制度は、重要な解決策の一つだと思うし、赤ちゃんポストと連動させることで、何かしら機能する可能性もありますが、こうした制度の推進にすべての事例の解決を託すのは難しいようにも思われます。

さらにもっと大規模で困難な救済策は、望まない妊娠をした女性自身がその子どもを産んで育てることを社会がバックアップする制度を作ることです。でも、じつは、これこそ社会が最も避けたがっていることかもしれません……。子どもを生み育てることは、個人の自助努力でやってほしいというのが、今の社会の本音でしょう。

ちょっと考えてみても、中絶を公的負担で行うことよりも、子どもの養育を公的負担で行うことのほうが、はるかに大変です。仮に1回の中絶に10万円かかったとしても、その子を20歳まで育てるまでに家庭が支出するお金は最低でも1300万円から2000万円以上だとされています(野村グループ『第10回 家計と子育て費用調査』(エンジェル係数調査)少子化白書子供1人にかかる費用ってどれくらい?)。公的負担額は、年齢にもよりますが、大雑把に言って個人の負担と同程度からそれ以上には達します。仮に、今まで個人が負担していた子育てコストがすべて公的負担になるとしたら、国の少子化対策予算なんて、簡単にパンクしてしまうことでしょう。

国にとって都合がいいのは、不本意であろうが、不承不承であろうが、国民が黙って中絶してくれるか、黙って産んで、なおかつ育ててくれることなのです。

その虚を突くように、今回のような事件が登場するわけです。産みました、でも育てません……と。

単に「いけないことだ」「母性ってものがないのか」「悪だ」「悪魔だ」「化け物だ」と脅したり、道徳心に訴えようとしていても、いろんな意味で今の子育てに対するハードルはあまりに大きい。特に、そのハードルは、婚姻外で妊娠した女性、職業的・経済的・社会的・心理的に不安定な女性、若すぎる女性、経験の乏しい女性、知識を得ていない女性……等々、不利な立場の女性に重くのしかかっているように思われます。

妊娠も子育てもリアルな現実であり、生の人生のなかで生じるできごとです。当人に対して、心理的な脅しをかけて、「やりたくないことをさせる」だけでは解決しえない問題のほうが多いのではないでしょうか。