リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

アイルランド1971年 避妊列車(Contraceptive Train)

Meical History, 2020 Apr; 64(2): 195–218.

The Contraceptive Pill in Ireland c.1964–79: Activism, Women and Patient–Doctor Relationships
Laura Kelly

要約を仮訳します。

 1960年代と1970年代のアイルランドで、避妊ピルをめぐる議論が複雑であったことは明らかである。イギリスと同様、避妊ピルは一般的な避妊の代名詞となり、マスコミがこの問題を議論する手段となった。月経困難と嘘をついて避妊ピルを入手できた女性がいたという事実は、アイルランドの避妊禁止の重大な偽善性を示しており、避妊ピルは、合法化以前の避妊へのアクセスに関する階級間格差の象徴であった。避妊ピルを服用する女性たちは、明らかに、避妊ピルを入手する際に重要な主体性を示しており、どのようにして入手するか、誰から入手するかに関する知識の流通は、女性たちが法律を回避するのを助ける上で、女性たちのネットワークの重要性を示している。しかし、いくつかの証言が示すように、カトリック女性にとって、避妊ピルを服用するという決断は、時として良心に関するジレンマに陥る可能性がある。
 最後に、避妊ピルは、法改正に賛成する運動家と反対する運動家の双方にとって、アイルランドの家族計画法をめぐる議論の重要な象徴となったことは明らかである。アイルランド家族連盟のような避妊反対運動家にとっては、ピルが「堕胎薬」であることに焦点を当て、その潜在的な副作用について議論することは、避妊に対する自分たちの立場を主張するのに役立ったが、避妊の議論を中絶の議論と切り離すことができないことも意味していた。アイルランドの女性運動のメンバーにとって、ピルの副作用の可能性や一部の女性には適さないことを考えると、避妊に関して女性にさまざまな選択肢を与えることが不可欠であった。また、女性中心の避妊に焦点を当てた結果、避妊の責任が女性に負わされることになったと批判した。この点で、ピルはアイルランド女性が避妊へのアクセスにおいて選択肢がないことを示す重要な象徴となり、また階級や地理的格差の大きさを浮き彫りにした。合法化後も、避妊へのアクセスは制限されたままであったが、さまざまな避妊法の選択肢が理論上、合法的に女性に提供されるようになった今、アイルランドのメディアにおけるピルの焦点は、ホルモン剤以外の避妊法に移っていった。