これがなぜ日本で「当たり前」の中絶方法になったのか……
日本で初めて搔爬が紹介されたのは、1906年の日本婦人科学会雑誌一巻に載ったドイツの論文の抄訳だったという(太田典礼『堕胎禁止と優生保護法』1967年経営者科学協会)。そこでこの1906年の第一巻を確認してみたところ、以下の記述が見つかった。搔爬法の紹介ではなく、搔爬法に用いるキュレー(キュレット)が登場しているだけだった。旧仮名遣いをひらがなに、旧漢字を現代語の漢字に直し、さらにいったん英訳してから現代語訳してみた。どちらも733頁の記述で、海外文献の抄訳が掲載されている箇所である。
自然及人工流産療法
クラインウェッヒテル
氏は臨床医家の為に一論文を発表し、流産療法及合併症処置に関する精細なる指導を与へんとせり、其要に曰く初版療法及び処置の実地応用に際しては能く精査考究し、其場合に最もよく適合せるものならざるべからざるを説き、次に力めて自然作用に模倣せしめざる可からざるを説けり、而して栓塞子及び拡大器を以て拡張拡大するを最良なりとし、「キュレー」の使用は只子宮内伝染又は胎盤「ポリープ」等に於て子宮口狭小なるも其内容除去速かるを要するきに警告せり。
(舟木抄)
(Zentralblatt fur Gyn, 1906. No.37)
英訳と、それを現代語に訳したもの
He published an article for the benefit of clinicians, giving detailed guidance on the treatment of miscarriages and complications, and in summary, he says that the practical application of the first edition of the treatment and procedures must be carefully examined and studied, and that it must be best suited to the case at hand. The use of "curies" is only for intrauterine infections or placental "polyps," etc., and even if the uterine opening is narrow, the contents must be removed quickly.氏は臨床家のために論文を発表し、流産や合併症の治療について詳しく指導しているが、要約すると、第1版の治療法や手順の実用化については、よく吟味して研究し、その時々の症例に最も適した方法をとらなければならないとしている。「キュレー」の使用は子宮内感染や胎盤の「ポリープ」などに限られ、子宮口が狭くても速やかに内容物を除去しなければならないという。
続けて以下の記事です。
流産に於ける一般実地的療法
モェービウス
氏は「キュレー」又は流産鉗子等による凡ての器械的療法を否認せり、而の子宮内に残留せる卵片の晩出を促すには子宮内洗浄を以て最良と為せり、又不完全に開口せる子宮口改題に向てはヅュールセン氏固定栓塞子を推奨せり、是れ開口時豪末の出血を来ささる者なればなり。
(Zentralbatt fur Gynacologie, 1906. No.37)
(舟木抄)
英訳と、それを現代語に訳したもの
He rejects all instrumental treatment with curies or miscarriage forceps, and recommends intrauterine lavage as the best way to promote the late expulsion of egg fragments remaining in the uterus, as well as Zuelsen's stoppers for the incomplete opening of the uterus, which can cause heavy bleeding when opened.
氏はキュレーや流産鉗子による器械的治療を一切否定し、子宮内に残った卵片の後期排出を促進する最善の方法として子宮内洗浄を、また子宮口が不完全に開くと大出血するためツェルセン式ストッパーを推奨している。
キュレーとはキュレットのことだが、この2つを見る限り、キュレットは人工流産法として推奨されていたわけではない。できるだけ使わない方が良い道具として紹介されていたことが判明した。
ちなみに太田典礼は1976年(昭和51年)発行の『日本産児調節百年史』で、「産調(産児調節)相談所でも失敗の始末や、妊娠してからの相談が多く、危険なヨーチン法や子宮洗浄法が行われるようになったわけである」(p.330)と書いており、少なくとも当時は「子宮洗浄法」は危険視されていたことが分かる。
さらに驚くのが、子宮洗浄機(ユテリン・ダッチ・シリンヂ)やドイツ式通経器、月経流通器が紹介されているのだが、これらのシリンジはすべて薬液を「注入」する*1ために用いられていて、「吸引」の発想が見られないということである。日本にはドイツまたはソ連から大正末期または昭和初期に伝わったとされている。なぜか情報が更新されていないのだ。さらにヨーチン法(綿棒にヨーチンをつけて子宮粘膜に塗布する)を「月一回にして、料金をかなり高くとり、万一妊娠していた場合は早期搔爬をして、同じ料金ですます。これで相当数の固定患者をもっている賢明な先生もある。」(p.305)という驚くべき記述もある。
謎はかえって深まった。ちなみに、日本婦人科学会雑誌は1949年までの発行、その後は日本産婦人科学会雑誌に切り替わっている。
*1:ちなみに、映画ヴェラ・ドレイクでは、主人公が注入法を用いて違法堕胎をしていたのは1950年代のロンドンである